2016年(平成28年2月) 10号

発行所:株式会社 山田養蜂場  http://www.3838.com/    編集:ⓒリトルヘブン編集室

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青森県八戸市城下(取材地・千葉県館山市) 川代養蜂場

ほんとに暇だったの

みんな集まってトランプしてたの

夕方になると、川代さんが、次の日に蜜蜂に与える人工花粉の餌作りを始めた。

|「残業しているところまで写されて、よく働く蜂屋だね」と、川代さんが笑う。

|「昔は、菜の花がたくさんあったから、餌を作る仕事はしないで済んだね。お金(餌代)も要らなかったし。館山で(人工花粉)100袋食べさせるから、年間だと350袋、7トンになるね。必ず、使う前の日に、餅(人工花粉の餌)を作らなきゃなんねえでしょ。ダニの予防薬を入れ替えなきゃならないでしょ。砂糖を溶かす手間や餌をやる手間も、昔は要らなかったでしょう。それと、今は2週間ぐらいで八戸に帰るでしょ。昔は、暮れに(館山市に)来れば4月末まで居ったでしょ。館山では、ほんとに暇だったの、(餌を作る必要がなく)何もやることないから。それで、(東北各地から来ている養蜂家が)みんな集まってトランプしてたの」

|日が落ちて、辺りは薄暗くなっても川代さんの餅作りは続いた。2種類の粉末と1種類の液体を混ぜ合わせて、ペースト状の人工花粉を作る。250グラムずつ正確に計ってプラスチックの容器に小分けしていく。この餌には、腐蛆病の予防薬が入っているので、採蜜する時期には与えない。もちろん、採蜜の時期には、自然界の花が満開なので、人工花粉も砂糖水も必要ないのだが。

川代さんが餅作りをしている傍らで、館山市の宿で共同生活している赤坂憲一(あかさか けんいち)さん(53)が、夕食に一緒に出かけたくてウズウズしている様子だ。赤坂さんも、川代さんの父親が最初に蜜蜂を2箱買ってきた三戸郡五戸町で養蜂業を営んでいる。この時期は毎年、同じ宿で共同生活をしながら越冬した蜜蜂の世話をしているのだ。

養蜂場へ行く途中、顔見知りの農家と出合い立ち話

蜂が汗をかいて、巣箱が湿気を持つから

林の中の養蜂場で1人黙々と給餌をする

翌朝は、穏やかで良く晴れていた。暖かい1日になりそうだ。午前8時過ぎに川代さんの宿を訪ねると、「僕はね、昔の2層式洗濯機で砂糖を溶かすの」と、砂糖水を作っていた。溶かした砂糖水を一斗缶に詰め、軽トラックに積み込む。この日の仕事をイメージして、補充用の巣箱や蜂蜜の入った巣板、巣箱の保温に使うワラ束などと一緒に、昨夜作っておいた人工花粉の餌も数を揃えて積み込むと、養蜂場へ出発だ。

館山市近隣に、川代さんの養蜂場が3か所ある。館山市塩見に1か所と、隣の南房総市池之内に2か所。それぞれに30箱から40箱ほどが置いてある。

この日は、南房総市池之内の養蜂場へ向かった。

養蜂場に到着すると、まず燻煙器の準備だ。火の点いたドンゴロスを燻煙器に詰めて空気を送り込む川代さんの表情が、みるみる引き締まって仕事モードになっていく。養蜂箱の蓋を跳ね上げるように開けて、巣板の釘を抜く。釘抜きとヘラが両端に付いたハイブツールで巣板の間隔を広げると、端の一枚を抜き出して状態をじっと見つめている。

|「蜂がたいぶ居なくなってる」と、呟く。冬の間に、寿命で死んでしまった蜂や飛び出したまま巣箱に帰って来られなくなった蜂もいるため、全体に蜂の数は減っている。巣板を詰めて、蜂の密度を高め、人工花粉の餌と砂糖水を与える。

砂糖水を餌として与えている様子を撮影していると、「ほら、やっぱり蜂蜜には砂糖水が混ざっていると勘違いする人が出てくるんじゃないか」と、川代さんが真顔で心配している。

ようやく真冬の寒さは越えたが、花はまだ咲いていない季節。期待していた菜の花は、食用として栽培している農家が蕾のうちに刈り取ってしまうため、蜜蜂の糧とはならないのだ。ほとんど花のないこの時期は、人工花粉や砂糖水を蜜蜂に与え、蜜蜂を餓死から守ってやるのが養蜂家の大切な務めなのだ。

蓋を閉める時、川代さんは蓋の内側に防寒のため被せている飼料袋を小さめに折って蓋の周辺に僅かな隙間を作っている。

|「蜂に餌をやるとね、蜂が汗をかいて、巣箱が湿気を持つから。それで、箱の周囲に隙間を作って湿気を逃してやると良いんじゃないかと思ってね」

 

日暮れ近く、明日の仕事の準備で巣箱を運ぶ

宿の大家・鈴木義久さん(左)とは50年以上の付き合い

川代さんは、蜂の健康に対して細かい気遣いをしている。冬を越して初めての内検は、餌の不足を補うのが主な目的だ。

蜜の無くなっている巣板は、蜜の入っている巣板と交換しておかなければならない。びっしり蜂が入って蜜を食べてしまっている蜂の群は、採蜜の戦力となる元気の良い群の証拠なのだ。巣板がびっしり8枚詰まっている巣箱の内検をしながら、「こういう蜂の写真を撮ってほしいんだよね。蜂見ながら、鼻歌が出るようだば。巣箱の数ではなくて、どんな蜂の群かが問題なんだよね」と、川代さんは上機嫌だ。

 

トチの花が残っていても、

アカシアの花が咲き始めたら移動するの

越冬した蜜蜂を最初に内検した後、八戸に帰る2月下旬までには、もう一度、蜂の状態を把握するための内検をしなければならない。

一旦、八戸に帰り、3月10日頃もう一度館山に来て、4月20日ごろまで滞在する。この間は積極的に餌を与え、トチとアカシアの蜜を採集するために働く蜜蜂を増やす期間だ。館山では田植えが始まり、花のない期間がまだ続いている。

|「5月20日頃かな、その年によるけど、5月末から6月初め頃までは、秋田県(側の)十和田湖畔でトチの蜜を採集して、6月5日頃になると思うけど、トチの花が残っていても、アカシアの花が咲き始めたら秋田県の大館市へ移動するの。そこでアカシア蜜を採集。6月一杯でだいたいアカシアが終わるんですよ。そして、又、八戸に帰ってくる。その頃、ちょうど栗の花が咲くんだけど、採集するほどは栗の木が無くなったの。栗が終わった後、1、2か月分は蜜を蓄えているんだけど、それでも砂糖水を2、3回はやらなきゃならないね。昔は、栗が終わると、夏ソバの蜜を採ったんですよ。ソバは今もあるけど、蜜を採るほどは入らない。作付け面積が少ないからね。夏ソバが終わってから、十和田市へ行って秋ソバの蜜を採ってたよ。それが越冬の蜜になるから。でも、今はもう、砂糖水をやって11月末まで八戸に居る。10日間くらいの間隔で内検して、秋はただ管理だね」

全部アカシアだったの、その頃はアカシアが無制限

|「杉やヒノキに、どんどん山が植林されていったんですよ。それでトチ蜜が無くなってね。アカシアの山だって、金銀の鉱山から始まって、銅や亜鉛を掘っていた秋田県鹿角郡小坂町の小坂鉱山の山にアカシアを植林した山だったの。その山全部アカシアだったの。アメリカのロケットが初めて月へ行ったことがあったでしょ(1969年7月20日)。その頃、やっと道路ができたと思ったら山を伐り始めたね。全部アカシアだったの。あんないいとこないね。その頃はアカシアが無制限。雨でも降れば、初雪が降ったように花びらが道路に散って、真っ白くなるほどアカシアの花が咲いてたもん。それが杉やヒノキの山になったの」

国有林の自然林が杉やヒノキに変わり始めた時期は、1970年に大阪府吹田市で日本万国博覧会が開催されるなど戦後の高度経済成長期末期に当たる。「いざなぎ景気」と名付けられた好景気は、その一方で小さな命を世話し自然の恵みを糧とする養蜂家たちが、国策に翻弄され始める時期でもあったのだ。

宿に帰ると庭で鈴木さんが味噌造りの大豆を煮ていた

幼馴染みのような付き合いをする鈴木さんと談笑

日暮れても明日の仕事のために人工花粉の餌を作る

この仕事してないと、色々なこと考えて頭が火になる

積極的に取り組んだ養蜂家の道ではなかったが、後に川代さんを支えることになったのが養蜂家の仕事だった。

|「70歳で蜂屋は止めると言ってたんですよ。私は、遊ぶのも好きだから、70歳までは当たり前に働いて、それからは渓流釣りとか鉄砲とかをやるつもりだったんですよ。ところが67歳で膀胱ガンになって、こういうことでもやってないと、精神的に参るわ。結局、この仕事が好きだから、夢中になってるから、それで助けられたけど。この仕事してないと、色々なこと考えて頭が火になる。病気になってからは、もう15年になるな」

病気のために養蜂家の仕事を止める機会を逸したが、そのお陰で充実した時間を過ごすことができている。

越冬後一回目の内検が終わろうとしていた時、川代さんが卵を産んでいない群を見つけた。川代さんは、すかさず女王蜂を探し指で潰してしまった。このまま放置すれば、この群は消滅への道を辿ることになってしまうのだ。翌朝、この巣箱を見ると、蜂が落ち着きなく巣門の外で飛び回っている。女王蜂が居なくなって混乱しているのだ。巣箱の近くを探すと、昨日死んだ女王蜂が巣箱から外に運び出されていた。

川代さんが、別の場所から運んできた女王蜂の居る巣箱を、女王蜂の居なくなった巣箱と隣合わせで並べて置き、しばらくの間放置した。2つの群を1つに合同しようとしているのだ。

|「女王蜂の居る巣箱の蜂が、自分の居場所を記憶してからでないと合同できないから」と言う。30分も経過しただろうか。川代さんは、新しく空の巣箱を持ってきて、霧吹き器で内側に焼酎を吹きかけた。その巣箱に、先ほどの2つの巣箱から巣板を取り出しては、巣板に集っている蜂にも焼酎を吹きかけて、1つの箱に収めてしまった。

|「蜂の群を合同する際に、焼酎を吹きかけてやると合同しても喧嘩しないですよ。それぞれの群の匂いが判らなくなるからじゃないかと思っているですよ。酔っ払って気分が良くて、鼻歌を歌ってるのかも分からないけど」

巣箱の蓋をして1つの箱に収めてからも、巣門の外側に蜂が溢れて乱れ飛んでいる。10分ほどして、川代さんが様子を見に来た。

「もうだいたい収まったね」

これで、1匹の女王蜂を迎えた新しい群が誕生したのだ。

 

酔っ払って気分が良くて、鼻歌を歌ってるのかも

言葉判るかと聞いたら、判んないってよ、そんなやり取りが楽しくて

内検がひと区切りついて宿に帰ると、大家の鈴木善久(すずき よしひさ)さん(71)が味噌を造るための大豆を大釜で煮ていた。「ここの宿はね、もう50年以上になんだ。もういい加減、飽きられているかも知れないけど……」と、川代さんが幼馴染みに会ったように軽口を叩く。

|「昔は、こっちでお正月したんですよ。今は、新幹線だと5時間半で、ここまで来るもの。昔から比べれば遊んでるみてえだ。昔は、炊事道具も食器も全部持ってきたんですよ。薪を燃やす竈まで持って来たですよ。子どもを連れて来る時には、遊び道具や着替えまで、蜂箱10箱ぐらい持って来たんだもの。この軽トラックは、鈴木さんに貰ったの。新車買ったからやるって」

川代さんと鈴木さんは、親戚のような付き合いを続けてきたのだ。川代さんは、養蜂の仕事をしている楽しみの1つに、「地域の人と交流できるのが楽しい」と言っていた。

|「(青森弁で話し掛けて)言葉判るかと聞いたら、判んないってよ。そんなやり取りが楽しくて止めらんねえね。どこへ行っても、すぐ友だちができるね。『渡る世間は鬼ばかり』って言う人もいるけど、私の場合は『渡る世間は福ばかり』だね。金は持たないけど財産は持った。友だちは財産だもの、ほんとに」

そんな話を聞いた夕方、養蜂家仲間で山形県の安藤忍(あんどう しのぶ)さん(48)が、「一昨日の朝から来てました」と、挨拶に来た。年齢を問わず川代さんは親しまれているようだ。

館山市での滞在は、2月20日に切り上げると聞いた。

|「3月になると、岩手の渓流釣りが解禁になるから、これから帰って、2、3回、渓流釣りして、3月にこっちさ来んの。これまで、ほんとよく遊んだね」

川代さんの頭の中は、八戸に帰ってからの遊びの計画で一杯のようだ。今ごろは、渓流釣りの竿を引っ張り出して、1人浮き浮きと渓流釣りの解禁を待ちわびていることだろう。

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