2016年(平成28年4月) 11号

発行所:株式会社 山田養蜂場  http://www.3838.com/    編集:ⓒリトルヘブン編集室

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岐阜県岐阜市福富 美濃養蜂園

胃の中へ流れ込んだ半月型の幼虫の姿

 「これ食べてみますか」と小指の先ほどの固まりを、大野和男(おおの よりお)さん(66)が私に差し出す。「これがローヤルゼリーですよ」。茶色い固まりの先端から乳白色のとろんとした液体が見えている。よく見ると、長さ3ミリほどの白い半月型の生物が液体に浮かんでいる。「幼虫が入っとるけど、何も問題ないですから」と、和男さん。女王蜂が居なくなった巣箱に王台が3つ出来ていたそうだ。その中で、幼虫が最も大きく育っている王台を一つだけ残し、取り除いた2つの王台のうちの一つなのだ。巣箱から女王蜂が居なくなった理由は、和男さんにも分からない。

 面布を着けたまま網の内側に手を入れ、ローヤルゼリーの詰まった王台を口に含む。わずかな酸味とねっとりとした生物の匂いが口の中に広がった。舌でキュッと王台を押し潰しローヤルゼリーを絞り出すと、トロンとするが粘る感じはなく喉の奥へすーっと消えた。一瞬、胃の中へ流れ込んだ半月型の幼虫の姿が脳裏に浮かぶ。

 

女王蜂となるか働き蜂になるかの違いは卵から孵って4日目からの餌の違いなのだ

 和男さんの説明によると、女王蜂が居なくなったことに気付いた働き蜂は急遽、産み付けられていた卵の中から協議して女王に相応しい卵を選び、その卵から生まれた幼虫をさらに3段階に分けて選びローヤルゼリーを与え続けていたのだと言う。

 蜜蜂の受精卵は、女王蜂になるか働き蜂になるかの運命を背負った雌の卵であるが、その分かれ道は、産み付けられた卵が3日後に幼虫となった時から始まる。女王蜂となる幼虫には、卵から孵った時から成虫になるまでローヤルゼリーが餌として与え続けられ16日間で女王蜂となる。働き蜂となる幼虫にも、卵から孵って3日間はローヤルゼリーが与えられるが、その後は、花粉と花蜜が餌として与えられ21日で働き蜂となる。女王蜂となるか働き蜂になるかの違いは、卵から孵って4日目からの餌の違いなのだ。

Beeカバーで覆われた巣箱

蜂場近くに咲くウリカエデの花

 

蜂場横の竹林でタケノコ掘り

蜂場の近くでアケビの花が満開

蜂もドンゴロスを好いとらんのじゃないかと思うとるんです

新芽を吹き始めたばかりの大きなユリノキ(チューリップツリー)が、美濃養蜂園養蜂場の真ん中に聳えている。養蜂場は小さな盆地になっていて、周りは小高い山に囲まれ、すぐ近くに散り始めた山桜の大木が一本ある。緩やかな風にもハラハラと花びらが舞い落ちていた。

上の段に継ぎ箱(2段)が23箱、単箱(1段)が5箱。下の段には継ぎ箱が17箱。ほとんどの蜂は、ハウスイチゴの交配に貸し出しているため、現在ユリノキの養蜂場に置いてあるのは、ここで冬を越した群だ。全ての巣箱がBeeカバーと呼ばれるビニール製の段ボール板で作られた台形のカバーで覆われている。

|「保温効果やね。夜はまだ寒い時があるんで、気休めにしかならんか知れんけど。カバーの中の方が草の生長が早いから、それだけ温かいということやね」

和男さんには、進取の気性があるのかも知れない。もう一つ巣箱の管理で特徴的なのは、蓋の内側で巣枠を覆うのに、多くの養蜂家がドンゴロスを使っているが、和男さんは空いたビニールの肥料袋を使っている。そのためなのか燻煙器で燃やすのも、ドンゴロスではなく引き裂いた新聞紙が使われている。

|「古い巣箱の雨漏りよけでビニールにしたんですわ。それにドンゴロスを燻煙器に使うと、喉にくるんですよ。えすらっこく(いがらっぽく)なるというかね。ひよっとしたら蜂もドンゴロスを好いとらんのじゃないかと思うとるんです。自分と同じに見とるいうことなんやけどね」

和男さんが掘ったタケノコ

花蜜はまだ水分が多く、巣箱の中に雨のように滴り落ちていく

4月中旬。和男さんが行っている作業は、「分封熱を抑えるために、蜜を取り上げて調整しとるんです」ということだ。妻のますえさん(64)は、雄蜂(ゆうほう)の幼虫が入っている巣房の蓋を切って、雄蜂の幼虫に付いているミツバチヘギイタダニの有無を調べている。

|「溜めていた蜜を取られた蜂たちは、(蜜が)少なくなったからもっと溜めようとするでしょ。蜜をそのまま置いておくと、食料が充分あるからということで分封の動きになっていきますから」

Beeカバーを外して蓋を開け、巣枠一枚一枚を丁寧に見ていく。蜂蜜や花粉が溜まっている巣枠は巣箱から抜いて、替わりに空の巣板を入れていく。この日採ってきたばかりの花蜜はまだ水分が多く、大野さんが巣板を水平にしてパッと振るうと、巣箱の中に雨のように滴り落ちていく。蜜蜂たちは巣板の上に落ちた花蜜に群がり、「もったいない」とでも言うように口吻を出して吸い取っていく。巣板の上に群がっている蜂たちに鼻を近づけると、蜂の熱と蜜の香りが一緒になった匂いが漂っていた。

|「これが桜蜜の匂いですね」と、大野さん。桜が終わると、それまでに蜂が溜めた蜜はイチゴハウスから帰ってくる割り出し蜂(貸し出し用に女王蜂を増やして小分けした群)の餌として使うのだ。イチゴハウスから弱って帰ってきた群に濃縮された蜜を与えてやると、力の弱っている群は蜜集めより、子育てに専念できるので、群を早く大きくすることができるのだ。

|「給餌しなくても、子育て用の蜜がいっぱいあれば蜜蜂も安気に子育てに励むことができるということですよ」

蜂蜜が溜まっている巣板は別の箱に移し、イチゴハウスから返ってきた群の餌にする

ビニールで巣箱の内側を覆う

人間とは、めったに会わないね

大野さんが巣箱の内検を続けていくと、継ぎ箱の下段の空間にムダ巣を作っている群がある。ムダ巣は、分封しないでこの巣箱の中で子育てをしようとする蜂たちの気持ちの表れだ。しかし、ムダ巣は取り除いておかないと、女王蜂がムダ巣に卵を産み付けてしまい管理が難しくなる。大野さんがムダ巣を巣板から切り取ると、すでに桜蜜をたっぷり溜めた巣房もあった。蜜の溜まった巣房をちぎって吸うと、思いのほか濃厚でクセのない味がした。

|「ムダ巣を孫巣と言う養蜂家もいるってね。蜂を大事にしとるんやなぁと思って」

巣房から雄蜂の蜂児(ほうじ)を一匹一匹ピンセットで抜き取り、青い手袋をした掌に置いてダニの有無を調べていたますえさんが、感心したように言う。

|大野さんの養蜂場ではダニの予防剤を使わず、蜂児に取りついたミツバチヘギイタダニを見つけたら蜂児ごとビニール袋に入れて持ち帰り、熱湯を掛けて完全にダニを殺しておくことでダニの予防をしている。

|「蜂児を一匹一匹調べて絶えず点検しとかな、いつダニが入ってくるか分からんからね。99.9%ダニはいない。そんなに豪語しとるだけの価値はありますね。目の敵にして徹底的にやるんです」

黙々と蜂児を掌に取り出しているますえさんを労るように、手間の掛かる仕事を続ける意義を和男さんが強調する。

周りを山に囲まれた養蜂場は、時折ウグイスの鳴き声が聞こえるだけだ。ふっと我に返ったように、ますえさんが私に言う。

|「静かで良いですね。世の中に取り残されるような気はしますけどね」

それを受けて和男さんが、ますえさんに向かって話し掛ける。

|「人間とは、めったに会わないね」

24歳の時、この世界に飛び込んだということですね

|「大野和男という名は、ぼくの親父の実(みのる)が、大きな野原で蜂屋やっとって、自然と和するようにと付けてくれたと聞きましたけどね。親父の養蜂歴は、戦前、戦中、戦後もしばらくやっておりまして、戦後に砂糖が無かった時代には糖分が非常に重宝されて貴重なものでしたから、一斗缶に2つの蜂蜜があれば北海道へ行く片道の貨車賃と人夫賃、向こうの降ろし賃、ぜーんぶ(全部)賄えたと聞いておりましたけど、その後、蜂屋はしばらく止めておりましたね」

|「ぼくが小学校4年生の時に、親父が、ぼくら兄弟の力を当てにして蜂を復活したわけです。昔取った杵柄というか美味しい仕事みたいな思い出で、蜂の仕事が始まったんですよ。ぼくは3男です。兄弟の中でも親父に対して従順で純粋な3男坊やったんで扱いやすかったんでしょうね。でも、最初は上手いこと行かず長年のうちには色々なことがありましたね。熊にやられちゃったり、スズメバチにやられちゃったりで、せっかく育った蜂が冬越せなくて死んじゃったとか。で結局、ぼくが20歳になった時に『頼む』と、ぼくを頼りに春になると福井県の九頭竜川の最上流に蜜蜂を転飼しまして、岐阜県と背中合わせになる所なんですがね、自然の山の蜂蜜を採集して夏を越す蜂屋のパターンでした」

|「それが、24歳の時にぼくが資本を降ろしまして、金融機関から金を借りましてね。それで蜂の資材と先輩の蜂の蜂場権(ほうじょうけん・巣箱を置く権利)とですね、一緒に買いまして、正式に蜂屋として、この世界に飛び込んだということですね。その時に、親父が世話した後輩の蜂屋さんが居られるもんで、どっかいいとこ紹介してくれということで、北海道の深川市多度志町ちゅうとこへ転飼するようになったんです。その頃はただ必死こいて働くばっかりでね。養蜂技術はそれなりに親父から伝授されていたんですけど、先輩同業者に勉強させてもらいやってきました。こっちは若輩で未熟な点がいっぱいあるし、なかなか借りた金が返せなくて大変な思いをしまして、北海道へ8年行ってました。冬場になると暇やで、ここら辺の土木のバイトやら鉄筋屋さんへ行って鉄筋工の仕事をしたり、暇というよりも必然的に生活できんもんやから、しゃにむに仕事しましてね。蜂屋もそうですけど一日休んだら喰っていけんもんで、一所懸命やってだんだん現在に移行しておるちゅうことやね」

巣板を水平にして振るうと、採ったばかりの花蜜が雨のように滴り落ちる

巣板の上に滴り落ちた蜜を「もったいない」と口吻を出して吸う蜜蜂たち

ぼくの組合長権限でもっとレンゲを植えようかと……

|「蜂屋に飛び込んで42年間、そりゃ楽しい思い出もありますよ。15年ほど前ですけど、ぼくが岐阜市の養蜂組合長の頃にレンゲを普及する事業をやったんですけど、色々な補助金や自己負担金でレンゲの種を買いまして、頼み込んで農協を通じて農家の方にレンゲを植えてもらう事業を20年以上続けてきたんです。それは、ぼくが組合長になる前からやってたんですよ。でも、その頃は、除草剤を撒いて草は一本も生えんようにして、さあ田んぼを作ろうかちゅうのが主流になってまして、レンゲはまず無かった。肥料はちゅうたらチッソ肥料を撒く、合成混合肥料ですね、だから自然なレンゲは要らんという形になってきちゃってましたね。ぼくが組合長になった時に、こりゃいかんと。ぼくの組合長権限でもっとレンゲを植えようかと……。パワー全開でレンゲに向けて誠心誠意一所懸命やりよったら、ある組合員の先輩から『大野くん、お前そんなに一所懸命やりよったて、自分で蜜絞れな、あかへんぞ』って、言ってみれば『そんなきついこと止めて、自分の養蜂のために働け』って言ってくれたんですわ。有り難い言葉やって思ったけど、組合の仕事を120%やって、やっと組合長って呼んでもらえる。賛同してもらうためには、120%信頼ある仕事をせんと誰も振り向いてくれんのですわ。だから、自分の仕事抛(なげう)つ訳やないけど、自分の仕事のために組合長を任されたんで、ぼくは必死になってやりました。そうしたら、農協あたりもぼくの熱意に負けたのかどうか、解ってくれたのかは分からんけども、岐阜市内でしっかりレンゲを植えるようにしていただきまして、その時初めて良いレンゲ蜜が採れたなって。蜜もほんとに良く絞れました。3、4年は継続してレンゲ蜜が豊作だったです。一所懸命やっとったもんで、人様も考えてくれたと、ま、天の恵みというか、やることをやったから天の女神が微笑んでくれたと解釈しますけど……。調子が良くなってきた途端に、アルファルファタコゾウムシの問題が九州の阿蘇から出てきましてね」

組合長を務めていた4年間

一所懸命になれたということが幸せでした

|「アルファルファタコゾウムシは、レンゲの葉っぱから花からきれいに食べちゃって枯らしてしまいますよ。岐阜市でも2001(平成13)年に被害が出始めましてね。見に行ったんですけど、蜜蜂が花びらにぴょっと行ってぱっと離れちゃうのよね。葉っぱはタコゾウムシにやられてるし、花弁を開けば一番奥の蜜吹く所に、小さな小さな爪楊枝の先っちょぐらいのタコゾウムシが頭突っ込んで、ええ、もう、6つの花弁全部、蜜から全部食べちゃうよね。レンゲを蒔いてもらっている田んぼが約400ヘクタール、その3分の2が壊滅している状態でね。そんなもんで、こりゃあかんと、必死こいて岐阜から東へは一歩たりともタコゾウムシは出さないというくらいの勢いで、岐阜大学に研究を打診して実際に教授にO.K.受けましてね、フェロモンを使った画期的な駆除法を研究さしてもらったです。費用や時間の問題があって劇的な効果という訳にはいきませんでしたが、タコゾウムシ対策には一所懸命になりました」

|「ちょうどその頃、近代養蜂発祥の地である岐阜県で100周年記念大会をやりましょうという話が持ち上がり、岐阜県養蜂組合連合の会長が持って来た『岐阜県養蜂21世紀大会』を、これは歴史的なことだから皆さんやりましょうと、私が率先して声を掛けて、これも一所懸命やりましたね。岐阜市は1910(明治43)年に第一回全国養蜂家大会が開催された地ですからね。今でしょうという訳ですよ。組合長を務めていた4年間が、養蜂家42年間の中で最も輝いていた4年間でしたね。一所懸命になれたということが、今から思うと幸せでした」

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