2016年(平成28年6月) 12号

発行所:株式会社 山田養蜂場  http://www.3838.com/    編集:ⓒリトルヘブン編集室

〒880-0804 宮崎県宮崎市宮田町10-22-203

島根県浜田市高佐町 中山農園株式会社

濃い蜂蜜は反物を折り返すような音がする

翌朝も午前5時に集合。昨日、時間切れで採蜜できなかった田橋(たばせ)養蜂場の採蜜をこの日で終わらせようというのだ。この朝は、昨日よりも雲が低く垂れ込めている。

軽トラックに遠心分離器や採集した蜂蜜を入れる空の一斗缶を積み込むと、2台の軽トラックを連ねて田橋養蜂場へ向かった。ところが、途中から大きな雨粒が叩き付けるように降り始め、正さんの軽トラックに積んだ遠心分離器は簡単なシートを被せただけ。遠心分離器に雨が入り込んでしまったら、今日の採蜜は中止だ。正さんは、駐車スペースを見つけて急いで車を停めたが、前を行く櫛本さんと財津さんの車は気付かないまま走り去ってしまった。正さんとゆき子さんが叩き付ける雨にびしょ濡れになりながら、遠心分離器にビニールシートを被せた。すると、大粒の雨はぴたりと止んでしまった。

田橋の養蜂場で、先に到着した2人が心配顔で待っていた。いつ雨が降り出すか分からないため、この日の最初の仕事は雨除けのテント張りだ。蜜蓋切りと遠心分離器の作業は雨の中ではできない。雨除けテントを張り終わると、いつものように最初に採蜜した蜂蜜の糖度を測定しなければならない。

緊張の瞬間だ。正さんが手にしている糖度計は81.4度を表示している。文句なしの糖度だ。昨日の採蜜から1日で、0.7度も上昇している。働き蜂の仕事が数字に表れている。

|「ほんとに濃い蜂蜜は、反物を折り返すように遠心分離器から出てきて、パタパタと音がしますよ。これまでに一度だけパタパタという音を聞いたことがありますね」と、正さん。

働き蜂に産め産めと使われる女王蜂

巣房全体に蜂蜜が溜まっている「ベタ板」の蜜蓋を切る

蜜蓋を切る包丁を温めておく湯を沸かす缶に穴が開いた

 

常に素手で作業する中山正さんの手

今日の蜂蜜は特に糖度が高いことが判って、正さんたち4人は一斉にやる気モードに突入した。昨日と同じように、正さんの鼻歌が聞こえ始める。巣枠を水平に持って膝の屈伸運動のように体全体で花蜜を振り落とす動作も始まった。

どの巣箱も巣門の周辺は、蜜蜂が溢れ出ている。巣枠の中の巣房が蜜で一杯になっていると、蜂は居場所がなく巣門の周辺に溢れ出すのだ。それだけ蜂蜜がたくさん溜まっていることの証でもある。継ぎ箱から蜂蜜の溜まった巣枠を取り出したとき、たまに蓋をした王台ができている事がある。このような場合には、下の巣箱にも本来あってはならない王台ができている可能性があり、これを放置すると分封の可能性があるため要注意だ。そのため下の巣箱も点検して、王台ができていれば新しい王台を潰しておかなければならない。

|「女王蜂は群に君臨していると思ってましたけど、よく観察してみると、働き蜂に卵を産め産めと使われているように見えますね。女王蜂の産卵率が悪くなると、すぐ次の女王蜂を作りますもんね」

蜂社会と人間社会とを照らし合わせれば、一つ一つの生命体が階級や地位に関わりなく社会で果たす役割が見えてくるようで示唆に富む。そんな蜂たちを観察し続ける養蜂家は、日常的に哲学的思索を巡らしているのかも知れない。

13年後、こんなこと想像もできなかった

遠心分離器を担当する櫛本さんは、中山農園の採蜜を手伝うようになって今年で4年目。「最初の年は最高。次の年は最低」と苦笑いする。自然の変化と小さな生物を相手にする仕事は、人間の思うままにならない。蜜蓋を削いでいるゆき子さんに正さんが大きな声で伝える。

|「あと16箱!」

それを聞いたゆき子さんが、ブツブツ言っている。「中途半端な数を言われてもね。『はい』言うしかないもんね」

そんなやり取りに、中山夫妻の普段からの仲の良さが浮かび上がる。

|「13年前に結婚したんですよ。13年後の今、こんなことになっていると想像もできなかったけど」

ゆき子さんの本業はバイオリニストである。バイオリン教室を主宰し、コンサートでの演奏もある。採蜜の最盛期である4月から6月は、午前3時半に起床し5時に養蜂場へ出発。昼前に採蜜を終えて帰宅すると、午後は事務仕事と納品作業、夕方からはバイオリンのレッスンという日々が続く。その合間を縫うように小学4年生のみどりちゃん(9)と1年生のめぐみちゃん(7)の2人の娘を世話し、家事もこなす。結婚した当時から、正さんは蜜蜂を飼っていたが、養蜂を本業にするとは思いも寄らなかった。

最初に絞った蜂蜜の糖度を測り、糖度80度以上の場合だけ採蜜する。

「今日の蜂蜜はフルーティーですよね」と正さん

巣枠を取り出す後ろで財津さんが絞り終えた巣枠を巣箱に戻す

蜂蜜を漬け物樽みたいなのに溜めて

その当時を思い出した正さんは、懐かしそうだ。

|「最初2、3箱しかなくて、一升瓶一本採れたんかな。どこに巣箱を置いたら(蜂蜜が)採れるか分かんないし。山本師匠とまだ出会ってない時なんですよね。そいで、2枚掛けの小さい遠心分離器を回しながら、嫁さんと2人でやっていた訳ですよ。そん時、(ゆき子さんは)まだバイオリンの方へ移行してないで、みんな(正さんの両親も)一緒に農業やってたんですね。採蜜の時は、蜂が蜂蜜に寄って来ないよう軽自動車のバンの中で手回しの遠心分離器を回していましたね。懐かしいというか、そんな感じでやってました」

ゆき子さんにとっても、自然界の神秘が次第に解き明かされていくような面白さを感じていたのだろう。

|「その頃は、(蜂蜜を入れる)一斗缶の存在を知らなかったので漬け物樽みたいなのに溜めて、初めて蜂蜜が採れた時には、えーっ、こうやって採れるんだと嬉しかったですよね」

そんな時代を経て、山本師匠と出会い一気に養蜂家への道を辿ることになるのだが、高校教師の時代は常勤から非常勤としての勤めをしばらく続け、いよいよ専業として養蜂業を始めたのは3年前からだ。

何とか最後まで雨に降られないで済んだ。中山農園楽しみのご褒美アイスは、この日も皆に配られた。

 

正さんの鼻歌も出る和やかな雰囲気で採蜜作業を行う

ゆき子さんが蜜蓋を切ると櫛本さんが遠心分離器に
セットする

蜂蜜を溜めた一斗缶に日付と場所を書いて作業が終了

一箱で4升が基本ですけど、師匠は5升

|「ゆきちゃん、ベタ板が4枚出ました。こりゃ蜜蓋切るのが大変だな」

ベタ板の蜂蜜の糖度を測ると、81.3度と表示された。ベタ板とは、巣枠に作られた巣房のほとんどに蜂蜜が充満している状態を表現する言葉だ。養蜂家には嬉しい状態である。

|「フルーティーですよね、今日の蜂蜜は。だいたい1時間に10箱なので、11時に終わりましょう」

正さんの一声で、皆が一斉に持ち場に就く。

|「何だか知らないけど、今日は(蜂が)荒い。昨日(蜜が)入ってないんだろうね。ほら、手にからんでくる」と、言っているうちに「あっ、痛っ」と正さんが小さく声を出し、左の人差し指で右手の甲を刺した蜂を軽く押した。

|「蜂が刺す針の方向があるんですよ。その方向へ押すと、すっと飛んで行きますね。せやない(世話ない)」

正さんは、飄々として何ごとも無かったように作業をつづけている。

|「(採蜜の)基本は一週間(間隔)なんですね。そうすると糖度が80度超えますんでね。ぼくらは(一箱で)4升が基本ですけど、師匠は5升採蜜してたんですよ。それだけ期間を置くんですけどね」

ベタ板が出たことで勢いが一層増したのか、巣箱から巣枠を取り出す正さんの動作がリズミカルだ。「星高」と呼ぶこの養蜂場は、周りを林に囲まれ周辺の状況はまったく見えない。遠心分離器と蜜蓋切り作業は養蜂場の外で行うため、狭い通路を蜂蜜の入った巣箱を腰に乗せて運び出さなければならない。

連日の早朝起きと重労働で、この日の作業が終わる頃になると、皆が少々疲れ気味だ。正さんが蜜の入った巣箱を腰に担いで養蜂場の外に出ると、ゆき子さんが軽トラックの荷台に座ってぼんやりしていた。

|「どうしたのお嬢さん、考える人になっとるん」と、正さんが声を掛ける。ゆき子さんは「ムンクの叫びになっとるわ」と応じている。

忙しい毎日が続く採蜜期にも暮らしを楽しむ時間を持つ

みどりちゃん(右)とめぐみちゃん

養蜂もバイオリンも家庭も一所懸命のゆき子さん

人さんが助けてくれないとできない仕事

太陽の位置が高くなるに従って蜂の動きも活発になっていく。採蜜作業を早く終えないと、今採ってきたばかりの花蜜が混じり、蜂蜜全体の糖度が落ちてしまうのだ。

|「農園を株式会社にした時、収益の3.8%を寄付することにしたんです。パキスタンで医療活動を支援しているペシャワールの会とシリア難民を救う活動をしている団体、それに私が教員をしていたキリスト教系の高校へですね。私たちの仕事は、巣箱を置く地主さんの協力から始まって人さんが助けてくれないとできない仕事なんで、その恩返しなんですよ」

仕事の手を休めることなく正さんが自らの志を話してくれる。

糖度ギリギリではテンション下がる

翌朝も午前5時集合は、変わりなかった。さて、いつものように最初に絞った蜂蜜の糖度を測ると、76.7度。「えっ」という空気が流れ、ちょっとの沈黙。そのまま糖度計の上に蜂蜜を載せたままにしておくと、少しずつ数値が上がり始め最終的には79.3度で落ち着いた。

|「これで絞っても78前後になってしまうので、今日は(採蜜を)止めます」

正さんが決断した。今期2回目の中止だという。

|「恐らくずっと前から(蜜が)入っていたんじゃなくて、昨日か今朝入ったんだね。(糖度80度以上と)決めちゃってるから、そんなに滅入っているわけじゃないんです。明日になったら糖度はすごい上がってるもんね。今日は駄目だけど」

ゆき子さんが正さんを励ますように、少しおどけて私に言う。

|「こういう時を避難訓練と言います」

|「採ろうと思えば78度を超えているので採れるんですけど、糖度ギリギリで採ってると、良いのかな良いのかなと、テンションが落ちていきますけど、翌日行くと濃度が凄い上がってて、私たちのテンションも上がりますので、そっちの方が私たちには向いてますよね」

設置したばかりの遠心分離器や蜜蓋を切るタンクを再び軽トラックに載せている。先ほど絞った蜂蜜は、水で薄めて同じ群の給餌箱に入れ、もう一度蜂に与えた

|「あっけなく終わったな」と、正さん。

|「それじゃ今日、親子会のソーセージ作りに行けるね」と、ゆき子さんは少し嬉しそうだ。自宅に帰り着くと、いつもは家に居ない母親の姿を見つけたみどりちゃんとめぐみちゃん、ゆき子さんに飛びつき、手を握り、まとわり付いて喜んでいる。ゆき子さんにも、久々の休暇になったことだろう。

 

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