2016年(平成28年12月) 18号

発行所:株式会社 山田養蜂場  http://www.3838.com/    編集:ⓒリトルヘブン編集室

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蜂屋にとっては大自然が銀座じゃないですか

 翌日、幸一さんが最初に私を案内したのは、同じ雲仙市吾妻町だが集落を離れた山中で、諫早湾締切堤の内側に流れ込む谷川沿いにある川床名牧之内だ。そこには、幸一さんの両親が養蜂をするため19年前まで暮らしていた家と未使用のままの長さ48メートルもある大きな豚舎が建っていた。

 「蜂屋にとっては大自然が銀座じゃないですか。だから自分たちもそういう所に工場を持ちたかったんですよ。ここに拠点を置いて仕事をすると、大自然の下で蜂蜜を採ってるイメージで、1つ物語ができるなと思ってですね。この豚舎の一角がうちらの従業員の休憩所になるんです。12月には工事が始まって、ここに蜂場から巣枠だけを引き揚げてきて、湿度、温度を管理してくれる部屋に入れて蜂蜜の品質を保っておきます。その蜂蜜を全自動で一気に搾るというような形に持っていきたいんです。ここから自分の新しいスタートと思ってですね。この谷川にはヤマメがいて、初夏には、ここからホタルが滝のように流れていくんですよ。両親が花の咲く木ばかりを植えてるんで、それはそのまま畑の上の方に植えようと思ってるんです。ここを今、写真撮って、3年後に来られたら見違えますよ」

午前4時に自宅を出発した幸一さんが、JA福岡大川支所に到着して
おにぎりを頬張る

蜂の翅を持って私の手の甲に刺さすっとですよ

 午後からは、仕切堤の道路を通って諫早市側に渡り、小長井蜂場と高来蜂場で交配用蜂の出荷準備だ。内検をしながら、餌の補給とダニの駆除剤を入れていく。幸一さんが、内検を始めた吉本健二(よしもと けんじ)さん(35)に声を掛ける。「蜂良かね、健二。良かとができとろ」。慣れた手つきで内検をしていた健二さんが、「もうムダ巣作りよるけん」と応える。健二さんは、8年前から一緒に仕事をしている幸一さんが全てを任せている従業員だ。

 「それまでは看板屋で働いていたんですが、幸一社長に『ちょっと来てみれ』って呼ばれて、どがん仕事をしよらすとかなと興味本位で行ったですよ。そしたら、蜂の翅を持って私の手の甲に刺さすっとですよ。毒袋が動いて毒が全部入ったけん。そしたら、『もう一匹刺すけん』って。まだ看板屋で働いておったけど、もう仕事にならんで、痒かも痒か。2、3日したら腫れが引いたですもん。そしたら『そりゃ、わや早か。大丈夫やろ』って。3月ごろから仕事が始まって、イチゴの交配から帰ってきた蜂を整理するような仕事やったんですよ。4月から始まる蜜搾りは、大自然の中に連れて行ってもらったんですよ。勤め始めた頃は昼からの仕事で、社長はずっと夢を語らすとです。今は1日雇われんけど、いずれ1日雇えるようにしてやるけんと言われてですよ」

 もう1人の従業員室井敬一郎(むろい けいいちろう)さん(26)は、働き始めてまだ一か月だ。幸一さんが寄り添うように仕事を教えている。

 「最初から煙で追わんごとせな。麻袋を静かにめくると。それから優しく煙を送っと、(蜂は)自分の家に入っていくけん。それから巣枠の間に(ダニ駆除剤を)ゆっくり差し込むと自然に落ちていくけん」

諫早市小長井蜂場で、ムダ巣を作るほど活発な活動をしている巣箱

ムダ巣に溜まった蜂蜜をハイブツールの角で掬って味見する健二さん

諫早市小長井蜂場に到着して、直ちにスズメバチの捕獲を

始めた幸一さんたち

諫早市小長井蜂場で、内検と同時にダニ駆除剤を巣箱に入れる

諫早市高来蜂場で、蜜蜂が巣箱に帰るのを待つ間にお茶の時間

今はもうコスモスが咲いとるとが気になる

 小長井蜂場では2時間ほどで約100箱の内検を終え、巣箱43箱に移動のための紐を掛けた。働き盛りの男3人の仕事はさすがに早い。巣箱に取り付けたスズメバチの捕獲器の中をウロウロと歩き回るスズメバチが一匹。

 「一匹、生きとる奴がおっでしょう。こいつが(他のスズメバチを)呼び寄せてくっとですよ。みんながみんな、こん地獄に入れば良かとですけど。みんながみんなは入らんですけん」

 白い捕虫網を持った幸一さんは、スズメバチを見つけると躊躇することなく寄って行って、サッと網を振って一瞬で捕獲し踏みつぶしている。

 「3月終わり頃、蜂が増え始めたら新しい巣枠を入れますもんね。その巣礎を盛らして卵を産んだとは美しかですね」

 養蜂の仕事をするようになった感想を健二さんに聞いてみると、「蜂屋をすれば、季節と天気を気にしとらんばでしょう。以前は、関心無かったけど、今はもうコスモスが咲いとるとが気になるし、山にも登ってみようかなと思うようになりましたね」と、すっかり養蜂家になりきった様子だ。

ソバの匂いがすごかもん

 午後からは、諫早市の高来蜂場での作業だ。軽トラックの運転席から降りるなり、幸一さんが大きな声を出した。「わーっ、ソバの匂いがすごかもん」。高来蜂場でも内検をしながら、イチゴの交配用に貸し出す蜂の準備だ。内検をしていた健二さんが、ムダ巣を巣枠から切り取って、ハイブツールの角でムダ巣に溜まっていた蜂蜜を掬い取って、面布の網の上から口に含んだ。

 「香りのすごか、こげん入っとる」

 ここでも白い捕虫網を持った幸一さんが、スズメバチ捕りをしている。

 「敬、燻煙器を横に寝かしとって、煙が出よるけん」

 スズメバチ捕りをしながらも、作業の状況を見て、敬一郎さんに声を掛けている。

 「今年、キイロ(スズメバチ)少なかよね」と、健二さんに声を掛ける。「わーっ、ここを歩くだけで、ソバの匂いのすごかね」。

諫早市小長井蜂場で、交配用の蜜蜂を運び出す前に内検

家々に点いている灯を見て思いよったです

 蜂場外の農道に空の巣箱を持ち出してお茶の時間だ。交配用の蜂を移動しなければならないのだが、日暮れまで時間があるので、蜜蜂が巣箱に帰って来るまでの間は待機だ。ペットボトルのお茶を飲みながら、3人は所在なさそうにしている。

 「養蜂は、技術職だと思ってるんです。従業員を雇っているからポリネーションをやってるんですよ。本業は蜜採りなんですよ。夕方になると、家々に点いている灯を見て思いよったです。これだけの人が、うちの蜂蜜を買ってくれると食っていけるとになあって」

 幸一さんも強気で押せ押せばかりではないようだ。

素直じゃないと、心が折れますから

 翌朝は、午前4時に雲仙市を出発して、JA福岡大川支店へ交配用蜂の配達だった。軽トラックで片道約2時間の距離である。

 「今日は一番初めやけんが、1軒に1箱か2箱ぐらいだと思いますよ」

 発注伝票を見て、貸し出す蜜蜂の巣箱を準備していると、ようやく明るくなった大川支店の駐車場に、次々と農家が軽トラックで乗り付け、1箱か2箱の蜂を幸一さんとひと言言葉を交わして受け取っていく。

 「あと残りは、ぜんぶ別の農家ですけん」と、10箱ほどの巣箱は携帯電話で連絡を取りながら小川の傍らに立つビニールハウス前の堤防に並べた。小川では日傘を差し掛けた3人の釣り人がヘラブナ釣りをしている。巣箱の巣門を塞いでいたティッシュペーパーを取り除きながら、「暖かくなって飛び出した蜂が、あっちに行かんなら良かけど」と、幸一さんが少し気にかけている。

 帰りも約2時間のドライブだ。

 「乗る時間が長いですから、うちの車には結構良いオーディオを入れてあるんですよ。軽トラックでも良い音出しますよ。車で流す音楽と周りの景色がピタッと合うと、アドレナリンが出て仕事も頑張れるんですよ。素直じゃないと、心が折れますから」

 幸一さんは、軽トラックの運転席に流れていたローリング・ストーンズの「A GREAT BIG WORLD」のボリュームを一段と大きくした。

諫早市小長井蜂場で、内検と同時に餌の補給をする

諫早市高来蜂場で、幸一さんが運び出すための紐を配って歩く

うちのメイン商品はですね、ただ蜂です

 この日は日曜日、従業員は休みだ。大川から帰宅した幸一さんは、一休みすると販売店の裏にある作業所で、妻の舞(まい)さん(34)と一緒に「巣蜜」の梱包を始めた。

 「蜂蜜を採ることは、みんなプロフェッショナルと思うんですよね。自分よりすごい人がメチャクチャ居ると思うんですよ。しかし、同じ分野で闘うってなった時に、人間が手を加えることなく技術だけで出来て、そのままの商品が出来ないかなって思ったんですよ。養蜂家の本来の姿ですよね。そういう自分たちのスタイルが巣蜜だったんじゃないかなと思ってます。採った巣蜜を、ただ袋に入れて出すだけですから。巣蜜が出来るのに一番早いので21日、一番遅いので30日。それ以上、巣箱に入れると、こんどは巣蜜に色が付くんですよ。花のカレンダーと蜂のカレンダーは比例するんですけど、人間のカレンダーと蜂は比例しないんで、盆栽を見て、巣蜜の巣礎を巣箱に入れるタイミングを掛ける(合わせる)んですよ。皆さんしないということは、リスクが大きいんですよね。お客様にこれほどの商品が届くというのは、巣蜜の他にないと思ってですね。でも、うちのメイン商品はですね、巣蜜でもなく蜂蜜でもなく、ただ蜂です。私も養蜂家なんで、自分たちが生きていくための方法であって、本来はただ蜂を扱うことが仕事だと思っています。ちょっと言えば、頑固なラーメン屋みたいなもんですよ」

 幸一さんが巣蜜の品質を点検し、舞さんが一つ一つを「巣みつ」と大きく書かれたオリジナルの包装紙で梱包していく。幸一さんが、巣蜜の一つを私に見せながら話し掛けてきた。

 「こういう凸凹があるでしょう。雨が降った時の証拠なんですよ。雨が降って何日か流蜜が止まるじゃないですか。そして又、流蜜が来だすとボコってなるんですよ。ここは雨が降った証拠って巣蜜採った人にしか分からんわけ」

 幸一さんは、少し得意顔である。舞さんが蜂場に出ることは稀だ。

 「私は虫が嫌いなんです。最初は、あの大群が駄目だったんです。今、やっと、近くに寄って来ても手で払うだけで済ますようになりましたね。何度も泣いて、やっと付いてきてますので」

 遠くから作業所まで太鼓の音が聞こえてくる。この日が釼柄神社の秋の祭礼の日だったのだ。

作業室で「巣みつ」の包装作業を終えてリラックスする幸一さん

人間よりも魂の多かっちゃなかろうかって

 お暇を言う前に、もう一度、母親の純子さんに話を伺った。

 「蜜蜂の方が人間よりも偉いんじゃないだろうかと思う時があります。旧王から新王に切り替える時に、旧王をうっかり近くに踏み殺しておくことがあっでしょうが。そうすっと、働き蜂が旧王に集っとる時がありますもん。言ってみれば、蜂の葬式ですもんね。そがんとを見ると、人間よりも魂の多かっちゃなかろうかって思うことがあります」

 「蜂ば見よれば、もぞかっ(可愛い)ですよ。脚んところを見てみさい。花粉の細か〜つを付けてくっで。黄色か花粉を付けてくる時もある。ピンクの花粉ば付けて来っ時もある。グルグル幾つの花から花粉ば持って来たっじゃろ。黄色かつでも薄かつもある。ゆーと(よーく)、こうして蜂ば見よれば、お前たちゃ何ば作ってきたつな。花粉でもピンクは何の花な。キウイの花な。わっども(お前たち)キウイまで見つけてきたつなって。掌に乗ればむぞかで、早よ行ってから餌ばやれ、早よ児に。掌に乗せて、門口の所に入れてやっとじゃよ。おっどま(私は)飛行機じゃなか、翅は持たん。歩き走るるばってん、わっどまたちゃ(お前たちは)、どこまで飛んで行ったな。寿命の短かかれば(短いから)頑張って採って来たねって」

作業室で「巣みつ」の包装をする幸一さんの妻の舞さん

体いっぱい腫れました

 「息子が帰ってきてから、もう11年ぐらいになりますかね。昔、私たちは有明海の海苔をしよったですよ。牛を飼いながら海苔をして、百姓をして、そして蜂。4つ仕事をしてたもんですから。一年中、息を抜く暇がなかっです。そっでどれか一つにしようという時、蜂だったら誰でんでけんけん(誰でもは出来ないから)、蜂一本にすったい(しようよ)と、わが言うたっです。『刺さるっど』と主人が言いますけん『うん、刺されてもいいって』。甘い考えで嫁に来たのが間違いだったです。蜂には刺されるし、もう何べんかと思うたばってん、こっで生活していかんなら、ちいった痛つも我慢せんならんし、我慢しよれば、わら強かたい刺されたっちゃって。ジンマシンの出て、体いっぱい腫れました。そうばってん、3、4年まじゃ(経つまでは)カッカして眠られん時もありました。慣るるまでには、水風呂に入ったり、氷で冷やしたり、救急車で行かれんだけが良かった。『わが強かたい(あんたは強い)。病院に行かんちゃ済むけん』。そがん言われれば、行こうと思うても、行かれんとです。氷で冷やして良くなる時には痛痒かっですもんね。でも、蜂屋で良かった。誰でも出来ない仕事持ってるから。今、そう思ってます。それを息子が継いでくれたけん。ひと安心。主人も喜んでると思います」

以前、両親が暮らしていた川床名の庭に咲く草花

※取材時に自宅で療養されていた幸一さんの父・吉本幸雄さんは、平成28(2016)年10月  28日に悪性リンパ腫のため69歳で永眠されました。(合掌)

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