2017年(平成29年2月) 20号
発行所:株式会社 山田養蜂場 http://www.3838.com/ 編集:ⓒリトルヘブン編集室
〒880-0804 宮崎県宮崎市宮田町10-22-203
1月中旬の大雪ですっぽり雪に埋もれていた巣箱が、2月中旬にはビニールシートに覆われた姿を現す。巣箱の中では、蜜蜂が春の準備を
始めていることだろう
柳原蜂場の道具置き場から巣礎を張る巣枠を持ち帰る徹司さん。善光寺平(長野平野)を取り囲む山々には1月に降った大雪の残雪が見える
初夏にアカシア蜜を採る千曲川河川敷の蜂場を訪ねると、一面の雪に覆われていた。しかし、雪の上に落ちた実の周辺だけは雪が溶け春が間近であることを告げている
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盆栽の鉢、犬小屋、巣箱が3つ
大型スーパーマーケットに隣接する住宅街の一角、玄関脇に盆栽の鉢が並び、庭先に猟犬英国ポインターの犬小屋がある。巣箱も3つ置いてある。ここが養蜂家の家であることが分かる。北信濃養蜂場を経営する小泉徹司(こいずみ てつじ)さん(44)と父親の盛司(せいじ)さん(77)が暮らす自宅だ。数日前に降り積もった雪が、道路脇や駐車場の片隅に残る2月中旬。養蜂家にとっては、最もゆっくり過ごせる時期でもある。
「私はね、食品会社にいたんですよ。営業担当で東京支社にいたんですけど、女房がね、53歳でね、亡くなったんですよ。私が58歳の時で、定年まで2年ありました。その時、女房のご両親が故郷の長野に健在で、それで、私は、女房の墓をこっちに建ててやろうと戻ってきたんです」
若くして亡くなった妻を祀る仏壇の前で盛司さん(右)と
徹司さん
狩猟に同行する英国ポインターの愛犬エス
空が真っ暗になるほど飛んでいた
私を招き入れてくれた座敷には、個人宅にしては大きめの仏壇が祀ってあった。亡くなった妻に対する盛司さんの想いの深さが伝わってくる。
「若い頃から狩猟が好きだったんですね。それと渓谷の釣り、ゴルフ、盆栽。こういうのが下手の横好きでね。余生を好きなことでもやろうということで、長野に家も構えたんですよ。こっちで暮らし始めて、渓谷へ釣りに行った時にね、日本蜜蜂の大群が、分封しているところにちょうど出合ったんです。何度か聞いてはいたんですが、これが蜜蜂の分封かと、空が真っ暗になるほど飛んでいたんですよ。驚いて見ていたら、渦を巻いて近くに降りようとしているんです。その方へ行ったら土管の下に丸く蜂球がくっついてて、それを捕まえて飼い始めて10箱ぐらいまで増やしたんですよ。ところが、日本蜜蜂は日本古来の生物ですから、病気だとか外的要因に弱くて、衰退しちゃったんですね。一時期は面白いなと思ったんですけど、一挙に群が崩壊してですね。私の技術じゃとても飼い続けることは出来ませんでしたね」
巣箱に麻袋を被せてシートで覆い、間に藁を詰めて蜜蜂を
越冬させる
蜜蜂が活動する時期は、蜂場の前に「立入禁止」の札を立て
トラブルを防ぐ
柳原蜂場に建てた道具置き場に予備の巣箱が置かれている
養蜂家というよりビジネスマン
そんな唐突な蜜蜂との出合いから始まった養蜂の道。日本蜜蜂は諦めて、西洋蜜蜂を友だちから貰って、2、3群飼い始めた。
「蜜を採って友だちにあげると、喜ばれるわけですよ。聞いたところによると、国産蜂蜜の自給率は7%(注:平成27年も7.3%)ほどで稀少性が高いから面白いなと思って、私、食品会社にいたんでね、食品を提供するという意味では通じる面があるんですよね。もちろん趣味で飼ってたんですけど、だんだん息子の方へ『お前やってみれや』っていうことでね。これ(徹司)がね、東京にいたんですけど、東京の仕事はハードなわけですよね。私は独りでこの家に居るのだから、もう田舎に帰って来いよと」
そんな経緯があって、徹司さんが2年前に創業したのが北信濃養蜂場だ。徹司さんは、経営計画書や創業の経過を記した資料、それに独自に制作した蜂蜜料理のレシピパンフまで揃えて、私を迎えてくれた。養蜂家というよりビジネスマンだ。それもそのはず徹司さんは、東京の広告代理店で仕事をしていた。
消費の伸びしろはまだ残されている
「養蜂家というのは、だいたいお祖父ちゃんや父親がやっているのを見て、そっから継ぐというのがオーソドックスな継承だと思うんですよ。ぼくの場合は地盤も何にも無いんですけど、自分の蜂蜜をブランド化して売りたいという思いがあったんです。蜂に興味を持ったのは、父が蜜蜂を飼っていたというのはもちろんですが、まだ東京で仕事をしていた時、銀座ミツバチプロジェクトの見学会に参加して、都会のビルの屋上でも年間1トン近く蜂蜜が採れるのを知ったことですね。うちのブランド名は『なごみつ』というんですけど、細かいところから積み上げてブランドを定着させ、首都圏、全国展開で売っていく戦略というか、急には無理なんで少しずつですね。売りっぱなしというのは良くないと思うんですよ。売った後、どう使うかとか、例えばアカシア蜂蜜はどういう料理に合うとか、百花蜜はこの料理に合うとか、蜂蜜の種類も色々ありますので、そういうところまで提案して使って頂き、消費を伸ばしていくのが、うちの養蜂場の仕事の進め方と、ぼくは思っているんです。代々養蜂をやってこられた方とは、考え方が違うと思います。ぼくは、広告とかプロモーションとかマーケティングとか、そっちの方から考えるんで……。一般的に養蜂家の方は、たぶん養蜂の技術とか、そっちの方から考えると思うんですね」
徹司さんは日経流通新聞の資料を示して、日本人1人当たりの蜂蜜消費量は欧米に比べて少ないので、健康上の効果だけでなく蜂蜜ごとの味わいの違いや新しい食べ方を提案することで、消費の伸びしろはまだ残されていると言う。その具体的な試みが、私に準備してもらった「はちみつ農家のお手軽レシピ」と表題にある蜂蜜料理のレシピパンフだったのだ。
りんご畑に隣接する柳原蜂場は境に青いネットを張って、蜜蜂が低空を飛ばないように
工夫している
穏やかな日射しに誘われたのか、巣門を出入りする蜜蜂の姿があった
芸術作品に挑むように
自宅2階が作業室になっている。明後日に納品するビン詰の蜂蜜に、徹司さんがラベル貼りをしていた。
障子を通した冬の光が作業室を優しく包んでいる。徹司さんは、芸術作品に挑むように座卓に向かって正座し、蜂蜜のビンを手に取ると、「なごみつ」のラベルを少しも歪まないように慎重に貼り付ける。そのラベルの上を布でなぞるように押さえると仕上がりだ。蜂蜜のビン一つ一つを大切に思う気持ちが込められた丁寧な作業だ。600グラムの大ビンは、蓋を和紙で包んで紐で縛る。和紙を切るのも紐で縛るのも、ゆっくりと手作業で行っている。
「手間を掛けることによって、『大切に作っている』というメッセージが伝わればいいなと思って、心を込めてやってるんです」と、徹司さん。
低コスト大量生産大量販売が当たり前の流れになっている現代に、あえて丁寧な手作業を施すことで、高品質で稀少な国産蜂蜜であることを印象づけようとする戦略でもあるのだ。
蜜房の中に頭から胴体の半分まで
北信濃養蜂場の蜜蜂は、りんご畑に隣接した蜂場で越冬していた。善光寺平とも呼ばれる長野盆地を取り囲む山々の肌には、数日前に降った雪が白く輝いている。雪に冷やされた北寄りの風は頬に冷たいが緩やかだ。冬の日射しに誘われたのか、数匹の蜜蜂が巣門から飛び出し、採蜜をしないで巣箱に収めてあった蜜房を目がけて飛んできている。徹司さんが、越冬の餌として蜂蜜を与えるため巣箱の蓋を開けているのだ。
蜜房に群がる蜜蜂を見ていると、蜜蓋を噛み破り、蜜房の中に頭から胴体の半分まで突っ込んで一心不乱に蜜を吸っている。この冬を乗り切ろうとする健気な蜜蜂の姿に愛おしさが募る。
3列に並べられた50箱ほどの巣箱に麻袋を被せ、その上を波トタンで覆い、さらに風で飛ばないようにブロックが載せてある。巣箱と巣箱の間には保温のために藁を詰め、越冬対策は万全だ。標高約340mにある蜂場では、大雪の時は巣箱全体が雪に埋まってしまうこともあると、徹司さんが説明する。並べられた巣箱の巣門を見ていると、数匹の蜜蜂がウロウロと出入りしている中、一匹だけお尻を高く上げて翅を振るわせ巣箱に風を送り込む蜜蜂がいる。巣箱の中の温度が上がっているのだろうか。巣門の前には、数十匹の蜜蜂の死骸が落ちていた。寒さなのか寿命なのか。
地元の絆が養蜂技術の支え
蜂場と隣のりんご畑の境には青い網が張ってある。徹司さんの説明によると、巣箱に出入りする蜜蜂をりんご畑で作業する農家の人の頭の上を飛ばせるためなのだ。最短距離を飛ぼうとする蜜蜂が地上の巣門目がけて飛べば、農作業をする農家の人の頭上より低く飛ぶことになるが、網が張ってあれば、頭上を飛んで出入りすることになるのだそうだ。周りはりんご畑ばかりで、恵まれた環境の蜂場と思っていたが、隣接する農地で働く人への気遣いも欠かせない。
徹司さんが巣枠を軽トラックに積み込んでいると、盛司さんの養蜂仲間である椚原高春(くぬぎはら たかはる)さん(70)の軽トラックが突然蜂場に入ってきた。養蜂を始めて2年ほどの徹司さんの仕事ぶりが気掛かりで、様子を見に来たようだ。
鉄パイプとシートで作ったドーム型の蜂場の道具置き場が雪で傷んできているのを気にしている。椚原さんは、道具置き場を作り直す際の材料などを、先輩らしく細かく指示して慌ただしく立ち去った。
養蜂の先輩たちが気に掛けてアドバイスしてくれる地元の絆が徹司さんの養蜂技術の支えとなっているのだろう。
雪に覆われた千曲川河川敷の屋島蜂場では、
種から芽生えたアカシアの幼木が雪を突き抜けて伸びていた
びっしりと種を付けたアカシアの枝が雪の重みで垂れ
下がっている
種の周りだけは雪が溶け
冬の日暮れは早い。気温が下がってくるギリギリまで巣房の蜜を蜂に与えていた徹司さん、蜜を吸っている途中で払うのは申し訳ないという感じで、遠慮がちに蜜房に集っている蜜蜂を蜂ブラシで払い、巣箱の蓋を閉めた。
りんご畑に隣接する蜂場を後にして、初夏にアカシア蜜を採るという千曲川河川敷の蜂場を訪ねると未だ一面に雪が残り、真冬の景色だ。それでも、アカシアの幼木が種から発芽し、雪を突き抜けて伸びているし、雪の上に落ちた種の周りだけは雪が溶け、春が間近であることを教えてくれる。
春の活動期に向けて準備を始めているのは養蜂家だけでない。巣箱の中の蜜蜂も自然の木々も、静かに春の目覚めの中で、そっと準備を始めているのだ。
巣房に群がって蜜を吸っていた蜂を、気温が下がる日暮れ前に遠慮がちに払う徹司さん
越冬中の食料として採蜜せずに残しておいた蜂蜜を蜜蜂に与える。蜜房に頭を突っ込んで夢中で蜜を吸う蜜蜂
養蜂の先輩になる椚原さんが、道具置き場のシートを点検してアドバイスする
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