2017年(平成29年3月) 21号

発行所:株式会社 山田養蜂場  http://www.3838.com/    編集:ⓒリトルヘブン編集室

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杉岡蜂場から冠雪の那岐山を望む

翅を切った女王蜂。「ええ体しとるでしょ」と哲さん

宝大寺蜂場で整然と並ぶ巣箱。波トタンが巣箱から飛び出す

寸法も同じ

急に温くなったら、興奮するですな

 「遠くの山に雪が被っとるやろ、あれが那岐山(なぎさん・1255m)。3回ぐらい登ったことがあるんやけど。あの峠を越えたら鳥取です。右の遠くの後山(うしろやま・1344m)いうたかな、天辺(てっぺん)に雪が残っとるでな。あの向こうはもう兵庫県ですからな。ここら辺は小字で山根(やまね)という集落、6軒あっです。人口は20人ほどしか居らんな。物あげたり貰ったりしてな、仲良し。今、下の道に男2人が来たろ、うちの分かれ家なんです。鹿の罠やっとんじゃ。2人とも遊んで回りよんじゃ。勤めは定年で退職したけんな。昨日捕ったんは100キロ以上ある言うたな。角が三段になっとって、二人が必死こいて担ぎ上げた言いよったな」

 岡山県勝田郡勝央町植月東で16年前から養蜂を始めた指物大工の神田 哲(かんだ さとし)さん(68)は、挨拶もそこそこに私を誘って、家の前の小高い丘に案内してくれた。丘に上る途中で羽音が聞こえてくる。この丘が蜂場になっていて、巣箱が4個か5個ずつ、合計26箱が整然と並べて段々に置いてある。

 「今日は(蜜蜂が)興奮しとるけんな。急に温(ぬ)くなったでしょ。風があるとか急に温くなったら、興奮するですな」

 哲さんはこう言いながらも、巣箱には目もくれず丘の頂上を目指してずんずん上っていった。

哲さんの祖父嘉之平さんが作った祠が畑で祀られている

窓から見える景色が映画見とるよう

 「この辺は何にもないな。新聞にも載らんしテレビにも出らん。ここらには、広戸風というのが吹くんです。那岐山の麓に広戸というとこがあるんです。台風が紀伊半島から大阪にどんと突き当たったら、跳ね返りで那岐山の麓から広戸風というんが北風が来るんです。平成16(2004)年10月25日に来たんかな。それはひどかったな。樹齢何十年というヒノキやスギが皆倒れたんです。窓から見える景色が映画見とるようにあった。女房と二人、カッパ着て長靴履いて懐中電灯持って、よう寝らんだけんな」

 平成16年に吹き荒れた広戸風の被害で大木が倒れ、様変わりしてしまった辺りの様子を説明してくれた哲さん。どうやら、蜜蜂の様子よりも先に、自らが生まれ育った故郷の植月(うえつき)地区を知って欲しいという意向のようだ。

 妻の美佐子(みさこ)さん(64)は、職場から半日休みを取って哲さんが無事に説明できるかと心配顔で一緒に丘に上ってきていた。「もっと雪があったら那岐山はもっときれいなのに」と、美佐子さん。すでに冠雪も少なくなり、最も美しい雪で覆われた郷土の山を見せられなかったことが残念そうだ。

哲さんの還暦記念樹

板は木表と木裏がありますからな

 丘の上で一通りの説明が終わると、丘の裾に建っている小屋に案内してくれた。中には自作の巣箱が積み上げてある。

 「売りよるんとは違うでな。板をしゃくってホゾを入れて組み合わせしとるんですけん。水を入れても漏らんような仕事なんじゃけんな。手間が要るけん。やり方が全然違うんです。巣門前の場の幅を1寸5分、4センチ5ミリぐらいにしとくと、腹一杯に蜜を採ってきた蜜蜂も出入りが自由にできる訳なんじゃ。これは自分で考えて、ちょっと広めにした。売っとる分は1センチ5ミリぐらい短かかったな。板は木表と木裏がありますからな。釘を木表から打つと割れないけど、木裏から打つと木が割れるんじゃ。年輪を見てもろたら皮の方が木表だから。それが判らなんだら職人さんはできんので、先ずは木を見分けるいうことかな」

代々職人の家なんです

 次に哲さんが取り出してきたのは、巣箱の前に取り付けてキイロスズメバチを捕獲する装置。これも手造りだ。

 「ここまでに5回、やっと5回目に出来て、防ぐだけはできる。捕獲器の下は泥の中に埋(い)けるんです。この隙間がポイントなんじゃ。4分じゃから1センチ2ミリ。この隙間の寸法じゃなかったら、スズメバチは入ってこんのじゃ。1センチ5ミリに開けると、こんだ入ってきてもすぐ出るんです。入口から入ってきたスズメバチがどうしようかなと思った時に、上に上がるようにしておきます。奥行きは11センチぐらいのもんじゃな。ちょっと狭いぐらいの方が蜂は上へ行く習性がありますからな。捕獲器には6ミリの金網を張っとるんです。6ミリだと蜜蜂は出入りするし、スズメバチは抜けられないんです。これがポイントじゃな。スズメバチが入ってきてモゴモゴしよったら、ここに入ってきて出られんようになりますからな。これを考えて作ったんです。他所で売ってるもんでもないんです。巣箱は器用な人じゃったら出来ると思うんじゃけど、捕獲器はね、大工さんじゃなかったら考えられんことじゃろ。ここまで考える人はないだろうな。瓦職人だった祖父の名は嘉之平(かのへい)いうけど、父の英夫(あいお)は下駄職人、ぼくは指物大工で、代々職人の家なんです」

 ちょっと得意顔の哲さん。木工の話になると、途端に冗舌になるようだ。近くの畑の中に祖父の嘉之平さんが焼いた瓦で作った小さな祠が祀ってあった。代々この地で暮らしてきた家族の歴史の証でもある。

内検する哲さん。巣箱に書かれている数字は巣箱の板の厚み

内検に出発する前に燻煙器を準備する

巣礎を張るため自作の巣枠を倉庫から運び出す哲さん

哲さんは巣箱のちょっとした変化も見逃さない

指物大工の哲さんが自作した巣箱。「水も漏らない」

巣礎張り作業をする哲さんの手は職人の手だ

蜂はのんびりして、やっぱりええな

 哲さんは、今回の取材に万全の準備をしてくれていた。山根集落6軒には、一軒一軒訪ねて、「養蜂の取材があるけん、カメラ持った知らん人が写真撮るかも知れんけど心配ないけん」と、説明してくれていたようだ。どうりで近所の方が哲さんの家の前を通りがかる時、私に親しげに頭を下げていく訳だ。

 「養蜂は近所に迷惑を掛けるけんな。近所は大事やけんな。近所の協力がないと、こりゃでけんけんな」と哲さん。物心付いた時から知っている幼馴染みの近所付き合いだからこその細やかな心づかいだ。

 次に案内してもらったのは菜の花畑の傍にある宝大寺蜂場だ。

 「そこの下は、以前は池があったんじゃけど。もう荒れてしもた。ここで蜂がようけおる時は41箱置いてあったんです。今は20箱。これくらいが丁度ええ加減じゃないか。この傾斜がええんです。東南に向けて蜂が飛んで、風が通らないかんので。やっぱり風が大事やな。梅が早いわな。それから菜の花、今年は遅れとるな。その次が桜じゃな。桜で蜂を増やしていくんです。それからレンゲが咲いてくれるわな。蜂は文句言わんけんな。建具の仕事はストレスが溜まるな。蜂はのんびりして、やっぱりええな」

 哲さんと美佐子さん夫妻は、菜の花の咲き具合がもう一つなので残念そうだ。納期に追われ、施主の要求に応えなければならない指物大工の仕事は、精神的な負担が大きいのか、「蜂はのんびりして、ええな」と、哲さんは何度も口にした。

 宝大寺蜂場の巣箱は、12センチブロックの上にきちんと載せて、整然と並べてある。巣箱の上に波トタンを被せ、その上にレンガが3つ置いてある。清潔感のある職人らしい仕事ぶりが漂う蜂場だ。一箱だけ、巣箱の上のレンガの一つが起こしてある。「蜂が増えてきたので、次には継箱を重ねる印」と哲さん。巣箱の前には一箱ずつ白い札が立っている。「白い方が巣箱に向いているのは女王蜂が居る巣箱。裏を向いているのは女王蜂がこれからの巣箱。巣箱の上に小石を載せたりするのは簡単だけど、何の印だったか忘れることがあるからな」

蜂の話は女房と毎日する

 「蜂は52歳の時から始めたんですがな。20年ぐらい前からハウスメーカーの家が増えたです。既製品のドアが多くなったんです。家が洋風になって職人さんの仕事が減ったわな。最初は蜂を飼う気はなかったけど、道の駅で、吉村さんいう人の瓶に詰めた蜂蜜が売りよったけん、話を聞いてみよかと、吉村さんを備前に尋ねて行ったんです。話を2時間半聞いたんかな。『お前ほんとうにやる気あるか』と言われて、『あります。春になったら分けて貰いに来ますけん』言うて、翌年の春、一箱だけ分けて貰って、やり方を聞いたんです。その次の年に、又、分けてください言うて、3箱分けてもろたんです。その時に、簡単に教えてもろて、『後は他所で聞いてくれ。わしはもうよう教えられんけん』言われて、3回で断られた。本を買うて勉強もしたけど、後は自分のやり方じゃわな」

 「まだ養蜂に不安があった時、蜂のことで信頼できる人から『自分のやり方を信じなさいよ。ひとのやり方じゃいけんぜ。ひとのやり方じゃ失敗するぜ』と言われ、それで自分で勉強して自分のやり方でやってきた。書いたものは何にもないです。その代わり、蜂の話は女房と毎日する。何の花が咲いとるな、それに蜂がたかっとるとか、女房も時々見に行くけんな。あの箱が調子いいとか、スズメバチがようけ来よったというような話は毎日する。女房と二人家族でな、それがなかったらいけん思う。それは女房も関心あるんな。二人で蜂の話をせん日はないな」

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