2017年(平成29年4月) 22号
発行所:株式会社 山田養蜂場 http://www.3838.com/ 編集:ⓒリトルヘブン編集室
〒880-0804 宮崎県宮崎市宮田町10-22-203
段々柿畑の中にある「果樹園」蜂場で、移虫した人工王台を点検する光信さん。右手奥にうきは市街地が広がる
野いちごの花から花蜜を集める蜜蜂。脚に食料になる花粉団子を付けている
「お宮の上」蜂場を訪ねてきた叔父の琢磨さん(左)と話し込む光信さん
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物心付いた時からよく知る人たちと春祭り
この日は、朝から地元集落の一角に祀られている秋葉神社の春祭りが開催された。祭りといっても春祭りは、座頭の上村敏治(うえむら としはる)さん(67)を先頭に座元5人の男衆で幟を2本立て、境内の掃除をするという簡単な行事だ。光信さんは今年初めて座元として参加した。昨年までは父親の晋司さんが出ていたのだが、世代交代という訳だ。今年初めてとはいっても、物心付いた時から良く知った近所の人たちとの行事。手慣れた様子で幟を立て、境内の掃除をしている。
座頭の敏治さんが「夏祭りや秋祭りは、子ども相撲があって賑やかなんですけどね」と、私がお訪ねしたのが春祭りであることを残念そうにしている。5、6メートル四方の小さな秋葉神社の境内だが、高さ50センチほどの石垣に囲まれて一段高くなっている。その中央に子ども相撲の土俵と思しき俵が直径2メートルほどの円形に埋め込んであった。
皆で旅行積み立てをして海外へ
この春祭りは、東屋形集落の50軒ほどで祀り、守り続けてきた秋葉神社の行事なのだ。地区の住民にとっては、最も身近で親しみのある祭りである。
朝の行事は1時間余で終わった。午後2時から再び座元が集まって幟を降ろせば、春祭りは終了だ。
「東屋形集落は仲が良くて、40歳代から60歳代の12人が集まって『語ろう会』っていうのを作っててですね。2年に一回、旅行に行くんです。最近は2回続けて沖縄でした。それと、集落を5つに分けて9軒で作る『門内(かどうち)』って組があるんです。その門内には年齢に関係なく『25日会』という親睦会があって、やはり2年に一回、旅行に行きますよ。こっちはシンガポールや韓国など海外へも行くんです。皆で旅行積み立てをしてですね」
生まれ育った東屋形集落に抱く光信さんの親しみが伝わってくる。
柿もメロンも花はゴールデンウィーク
元柿畑の蜂場で交配用蜜蜂の巣箱を次々と内検する光信さん
4月中旬、柿の新緑がまぶしい
光信さんは、春祭り行事の合間にも2トントラックで走り回り、交配用蜜蜂の成長ぶりを確認している。
「もうだいぶ前に準備しておいた王台です。16日で王さんが誕生するでしょう。1〜3日の幼虫を移虫して、あと3〜4日で王さんが誕生する予定の王台を巣枠に貼り付けていきます」
イチゴ交配から返ってきたが数が少なくなってしまっている群に別の群から新たに蜜蜂を加えてやることで交配用蜜蜂の一群に回復させることと、春になって増えた蜂蜜群を割って(蜂が付いている巣枠ごと別の新しい巣箱に移動させること)作った新しい蜜蜂群に、王台を入れて女王蜂を誕生させることで交配用蜜蜂の一群にすることで、交配用蜜蜂を増やしていくのだ。
それにしても、北海道へ送り出すメロン交配用と地元農家へ貸し出す柿の交配用蜜蜂は、農家との事前の契約があるため期日までには群の数を揃えなければならない。
「柿もメロンも花の時期がゴールデンウィーク頃で、ちょうど一緒になるんですよ。柿の交配用蜜蜂は、地区ごとに貸し出して、それを柿の生産組合で割り振るんです。ここの山の方にも何軒か蜂屋はいるし、うきは市だけで6軒の蜂屋がいるので、ここら辺の山は交配用の蜂を置かなくても蜂だらけなんですけどね」
巣箱に帰ってきた蜜蜂。「門の下」蜂場で
近くに置いておくと元の巣箱に帰る
交配用蜜蜂の数を揃えなければならない期日は迫ってくる。光信さんは、東屋形集落の近くに、交配用蜜蜂を育てる蜂場として果樹園、お宮の上、門の下、元柿畑と呼ぶ4か所を設けている。それぞれが車で数分の距離だ。
「蜂を割ったら、別の蜂場に移動させなければならないんです。近くに置いておくと元の巣箱に帰ってしまいますからね」
女王蜂の誕生と交尾、未交尾の確認、それに卵の状態などを見ながら、割った交配用蜜蜂の巣箱を他の蜂場へ移動させる。次の仕事の流れをイメージして、トラックの荷台に巣箱、継ぎ箱、巣枠などを積み込んでいる。
一つの作業を終えると、光信さんは必ず交配用蜜蜂の巣箱を数え、メモ帳に書き込んでいる。「毎日、作業日誌をパソコンに打ち込んでます。去年はどうだったかなと調べたりするんで」。
年ごとに変化の激しい自然相手の養蜂業だからこそ、毎日積み重ねる基礎データが貴重になるのだ。
バーナーの炎で巣箱の掃除をする
寸時を惜しんで休憩も取らず巣箱の掃除をする
貨車に積んだ巣箱の上に布団を敷いて
秋葉神社の春祭りで、境内の掃除を終えた座元の人びと
光信さんが「門の下」と呼ぶ元は田んぼだった柿畑の蜂場で交配用蜜蜂の巣箱を内検していると、父親の晋司さんが乗用草刈り機で傍まで来た。しかし、そのままエンジン音を響かせて遠ざかって行った。
柿畑の中を巡回して再び、近くに来られた晋司さんに養蜂をしていた頃の思い出を聞いた。
「蜂は自然相手やからね。蜂の状態を見られるようにならんとね。蜂によっても年によっても毎年、毎年違うからね。交配用の蜂を出すようになって、少しは経済的には楽になったけど、始めの頃はこんなん無かったからな。ただ蜜採るだけ。貨車で北海道まで一週間ぐらいかかりよったな。貨車に積んだ巣箱の上に板を敷いて、その上に布団を敷いて寝て行きよったですよ、蜂と一緒に」
養蜂業の全てを光信さんに任せてしまったように思えた晋司さんだが、光信さんに聞くと、「北海道でアカシアの採蜜をする時は、両親が10日間ぐらい手伝いに来てくれますよ。その後も花が続いて、巣房が蜜で一杯になって女王蜂が卵を産めない状態になったら、自分1人で採蜜しますね。越冬のための餌は残さないといけないけど」。主体はあくまでも光信さんなのだが、先代である両親の力添えは欠かせないのだ。
自然と蜂が少なくなった
叔父の上村琢磨(うえむら たくま)さん(76)も光信さんを気に掛けてくれている1人だ。
「『どうか』ちゅうて、叔父さんが通りすがりに私が仕事をしている蜂場に寄っていきますからね」と光信さんが言っているところに、お宮の上蜂場に姿を見せた琢磨さん。
「(養蜂は)もう50年以上やってきたから、秋田のアカシア、北海道のアカシア、シナ、クローバー(の蜜を採って)。最近は蜂が少なくなってですね。もう歳だから少なくしようと思ったら自然と蜂が少なくなったです。一昨年までは北海道へ行ったけど、去年からはレンゲがあるから田川市に持って行ってます」
蜜蜂群の数は少なくなり、行動範囲も狭くはなったが、琢磨さんは現役の養蜂家だ。光信さんにとっては心強い身内でもある。
春祭りが終わった夕方、秋葉神社の祠
座元の人びとと一緒に幟を立てる光信さん
久留米市田主丸の蜂場で採蜜群の蜜蜂に餌の砂糖水を与える
順調に蜜蜂が増えた群の蜂を割って新しい巣箱へ巣枠を移す
蜂場で仕事を終える度に増やした交配用蜜蜂の数を記録する
養蜂園を大きくしたいというのはない
「ぼくは、上村養蜂園を大きくしたいというのはないんですよ。こぢんまりの方が良いのかな。蜂屋は『こうやってみよう』というのが出来ますよね。工場で働いていた時にはそういうのはないから、今、やり甲斐はあります。自分がやりたいようにやった方が、失敗しても納得できるちゅうのがありますよね」
交配用の蜜蜂を割り出しては別の蜂場へ移動させ、交配用蜜蜂の巣箱を置いた4か所の蜂場を巡回して一日中働く。そんな光信さんの堅実な仕事ぶりを裏付ける言葉だ。
北海道に花はまだない、餌をたっぷり
午前中の仕事を終えて一人娘の野風(のかぜ)ちゃんと寛ぐ
光信さん宅の柿畑では、もう花が咲き始めていることだろう。北海道へ送り出すメロン交配用の蜜蜂は準備できたのだろうか。
「北海道へ送り出す分は、向こうへ着いたら花はまだ何もないんですよね。餌をたっぷりやっておかないと」
蜜蜂の置かれる状況を、先へ先へとイメージして作業手順を考えていた光信さんらしい蜜蜂への愛情の示し方だ。花盛りの北海道で採蜜する時には、光信さんのその愛情に蜂たちがきっと応えてくれることだろう。
秋葉神社の春祭りで境内を掃除する座元の人びと。中央が座頭の上村敏治さん
田主丸蜂場を借りている花卉農家の地主さんから八重桜をいただいて帰る光信さん
東屋形集落にある上村養蜂園の倉庫から仕事を終えて帰宅しようとする光信さん
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