2017年(平成29年7月) 25号

発行所:株式会社 山田養蜂場  http://www.3838.com/    編集:ⓒリトルヘブン編集室

〒880-0804 宮崎県宮崎市宮田町10-22-203

馬鹿にしてた C 組が頑張った

 雨に濡れた草むらに、アカンチャラ(エゴノキ)の白い花びらが無数に散っていた。「何も無いっす、蜜は」と、高橋芳行(たかはし よしゆき)さん(51)は、その白い花びらに関心を示さない。養蜂家は花蜜の出ない花には用がないのだ。

 八乙女山蜂場は雑木林に囲まれていた。その一角に、2トントラックの荷台と軽トラックの荷台を付き合わせて、蜜蓋を切る作業場と遠心分離機を据え付ける場所を作っている。妻の直美(なおみ)さん(51)と鈴木三郎(さぶろう)さん(80)が蜜蓋を切り、遠心分離機に巣板をセットするのは鈴木恭子(きょうこ)さん(78)だ。三郎さんから蜜蓋を切った巣板を受け取った恭子さんが、「重みてぇ」とひと言呟き、「今年は、こういうのなかったもん。よく入ってんな」と嬉しそうに言う。三郎さんも「今年、一番入ってる」と、心なしか声が明るい。

 「馬鹿にしてたな。一番だめだと思ってたら、一番入ってたな。C組頑張った」

 三郎さんと並んで蜜蓋を切っている直美さんも、嬉しそうだ。トラックの荷台で作業している3人は和やかな雰囲気に包まれている。

 芳行さんが管理している蜜蜂群は、例年の採蜜量の多い順からA組B組C組と呼ばれていて、八乙女山蜂場の蜜蜂群はC組だったのに、今年はA組B組を抜いてたっぷりの蜂蜜を溜めていたのだ。

 三郎さんから蜂蜜の溜まった巣板を受け取るたびに、恭子さんが「重(おむ)てこと」と、嬉しそうに声に出す。

 三郎さんが「そっちはいっぺ(一杯に)なったべや」と、遠心分離機に巣板をセットしている恭子さんに訊く。「んだ」と、恭子さんが短く答える。長年連れ添った夫婦の会話だ。

 巣箱から巣板を取り出していた芳行さんが、回転音を聞きながら、そっとやって来ては遠心分離機の回転速度を調整している。

午前4時、小雨降る自宅前で採蜜に出発するかどうかと迷う
芳行さん

しぼろうとすっと雨 今年は大不作ですよ

 この日、約束の時間は午前4時。武家屋敷で知られる角館市街地の外れにある団地のご自宅を訪ねると、薄らと姿が見えるほどの闇の中で芳行さんが両掌を上に向け、「どうすっかな」と空を見上げている。小雨が降っているのだ。

 「今年、特別ですよ。寒いですよ。雨、止まんねえと、出来ねえんだよね」

 アカシア蜂蜜を採集する予定なのだが、僅かでも雨が降れば強行することは出来ない。芳行さんは迷っていた。

 少しの間、小雨の中を歩いていた芳行さんだったが、やがて意を決したように「道具積みに行きましょう」と、私に声を掛けた。「道具は別に置いてあるんです」と、連れて行かれた所は、隣の大仙市にある一軒の民家。

 「ここは実家」と、芳行さん。芳行さんは高橋家に養子に出たが、生家はここ鈴木家なのだ。採蜜の作業は実家の両親(三郎さんと恭子さん)の協力を得て、採蜜の道具類も実家の納屋に置かせてもらっている。まだ薄暗い中でトラックの荷台に採蜜の道具を1人で積み込む。一輪車、継ぎ箱、水を入れたポリタンク、蜜蓋を切る包丁などだ。

 「おっ、ちったぁ止んできたかな。変わんねえよねぇ」。芳行さんが独り言を言うように話し掛けてくる。まだ、迷いが残っているようだが、荷物を積み込み終わると八乙女山蜂場へ向けて出発した。

 「山さ着いた」。直美さんに電話をしているようだ。「また降ってきた」「……」。

 兎も角、蜂場に集合することになったようだ。

 「今年はずっと、こんな感じですよ。しぼろうとすっと雨。ひどいわ。気候がおかしいですもん。雪の量が半分ですもん。アカシアは寒い所の木でしょ。花はよく付きます。ただ、流蜜が細い、ほんと細い。今年は大不作ですよ」

 天候に左右される養蜂業の厳しさを芳行さんから聞いていると、直美さんが遠心分離機を載せた軽トラックで到着し、同時に三郎さんと恭子さんも軽ワゴン車でやって来た。

トラックの荷台に積み込んだ(蜜蓋を切る)包丁にも
小雨が降る

採蜜の準備が整い仕事を始める前に、芳行さんがおにぎりを頬張る

巣板の蜂を払う芳行さんの仕事ぶりを、父親の鈴木三郎さんが興味深そうに後ろから見つめている

蜜蓋切りの仕事が早く進行していると、妻の直美さんが燻煙器の煙を掛けて芳行さんの仕事をサポートする

トラックの荷台を作業場にして蜜蓋を切る直美さん(中央)と三郎さん。巣板を運んできた芳行さんが後ろで誰かと電話をしている

軽トラックの荷台の上で、遠心分離機に巣板をセットする恭子さん

蜜蓋を切った巣板を恭子さんが受け取る

60 群になって、

独立したのが34歳でした

「若い時には木材会社の運転手をしていて、原木丸太の運搬をやってたんですよ。トチ、ブナ、ナラの巨木でした。30年前に広葉樹を伐ってしまって、全部、自然林なんです。集材機が出来てからは奥の山からも伐り出してしもた。こんなでかい樹があったんだなと驚きました」

 両手を大きく広げて樹の太さを説明する芳行さんは、その後、角館市の建設会社で重機の運転手をするようになる。

 「その時に、冬の間だけ働きに来る人が居て、その人が地元の蜂屋さんだったんですよ。現場へ移動する車の中で話を聞いたら『半年で1年分稼ぐよ』って言うから養蜂に関心を持ったですね。夏になって近くの蜂場に採蜜の手伝いに行ったり、越冬の準備で福島県の浪江町まで巣箱を運ぶのを手伝いに行ったんです。片道7時間ですよ。養蜂のこと、7時間聞きまくるんですよ。翌年の春に『2群譲ってけろ』って、譲ってもらった。3年ぐらいは建設会社に行きながら蜂の世話をしていたけど、蜂が60群ほどになった時に独立して、その年は流蜜も良くて、こりゃいけるんじゃねえかと思いましたね。お師匠さんには何年も手伝いに行きましたよ。学校の先生みたいに、きちんと教えてくれる人でした」

 「4月末に2群を2万円で譲ってもらって、すぐにその年のアカシアしぼって、秋口には8群になってました。福島で越冬させて4月25日までに帰ってきて、蜜しぼれば秋には30群です。30群だと、女王さん一人一人の顔まで覚えてっから。用はなくたって蜂箱の蓋を開けるんですよ。養蜂の結果は数多く蓋を開けただけですよ。翌年の春には60群になって、独立したのが34歳でした。それから17年間、今は120群ですが、増やそうとはしていません。1人で管理できるのは150群までが限界でしょう。花の量、餌の量で、蜂は増えるんですよ。自然相手で収入は不安定、蜜採れねえのは今年と去年、2年続けてですよ。安定収入を確保するために副業としてコイン精米所をやってるんです。独立しようとした時、採蜜を手伝ってくれてる父に『そんなのやって銭になるんかい』と言われましたからね」

漉し器の目が詰まったため三郎さんが交換する

遠心分離機でしぼった蜂蜜を恭子さんが漉し器に移す

蜜蓋を切る父親の鈴木三郎さん

蜜蓋を切る直美さん

見渡す限りリンゴの花 蜂のことより、それが綺麗で

芳行さんの一代話を横で聞いている直美さんと結婚したのは24歳。2群の蜜蜂を手に入れた31歳からは、生活が大きく変化したはずだが、直美さんはその変化をどの様に受け入れたのだろうか。

 「初めて採蜜に一緒に行ったのは、リンゴ蜜の採蜜の時で、リンゴの花が満開で、それが綺麗で見渡す限りリンゴの花。蜂のことより、それが綺麗で感激していましたね。越冬する時も一緒に行って、冬囲いして屋根掛けも手伝いますけど、そんなに苦じゃないです。刺されるのは嫌ですけどね」

 直美さんの大らかさは並外れているようだ。夫唱婦随でありながら、自らも完全予約制の美容室を経営していて自立精神の持ち主だ。

▶この記事に関するご意見ご感想をお聞かせ下さい

Supported by 山田養蜂場

 

Photography& Copyright:Akutagawa Jin

Design:Hagiwara Hironori

Proofreading:Hashiguchi Junichi

WebDesign:Pawanavi