2017年(平成29年8月)26号

発行所:株式会社 山田養蜂場  http://www.3838.com/

 編集:ⓒリトルヘブン編集室〒880-0804 宮崎県宮崎市宮田町10-22-203

「今、材料の鰯をスーパーに買いに行ってもらってますんで、ちょと待ってください」と、吉岡シェフがいきなり言う。「今日は店が休みなもんで、仕入れができてなくて。下ごしらえをきちんとすれば、スーパーの鰯も美味しく食べられますし、鰯は今が旬ですから良い鰯があると思いますよ」。

 仕入れがスーパーと聞いて気落ちする私を尻目に、吉岡シェフの表情は自信に満ちている。

 確かに、丸々として形の良い鰯が程なく届いた。すぐさま吉岡シェフが軽くウロコを落とし、3センチほどの輪切りにしていく。

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     「一旦、鰯を霜降りして、圧力鍋で40分くらい戻しますね」

     私には、吉岡シェフの言葉が理解できない。「鰯を霜降りする」「圧力鍋で戻す」とは、と考える間もなく、吉岡シェフは輪切りにした鰯を3個ずつ熱湯に潜らせ穴のあいたお玉で掬い上げると、直ちに氷水に浸す。

     「余計な熱を加えたくないんです。霜降りして臭みとヌメリを取ると、美味しくなりますからね」

     下ごしらえの段階だが、ここで手を抜かないことが肝心なのだ。吉岡シェフは、氷水の中から鰯の輪切りを一つずつ取りだし、形を崩さないように丁寧に血糊を取り除くと、圧力釜の底に整然と並べている。輪切りの鰯を全て並べ終わると、ひたひたの水を加えて強火に掛けた。調味料は、まだ何も使っていない。

     「圧力鍋を強火に掛けてシューッと蒸気が噴き出して圧力が掛かり始めたら、弱火にします。骨まで柔らかくしたいので、弱火にしてから40分ですかね。圧力が掛かり始めたら強火でも弱火でも鍋の中の圧力は同じですから、蒸気が噴き出す程度の弱火にしておきますね」

     40分間は何もすることがない。吉岡シェフは、店内を改装中で何やら大工さんと打合せをしている。忙中閑とはこの事かと思うが、特にやるべきことも思い付かないまま時間が過ぎてしまった。

     「そしたら鍋の圧力を抜いていきますね」と言う吉岡シェフの言葉と同時に弁からシューッと激しく蒸気が噴き出す。蒸気が抜けるのを待って圧力鍋の蓋を開けると、鰯の輪切りは整然と並んだままだ。

     「圧力鍋だと煮崩れしないんですよね。綺麗でしょ。今日はですね、調味料の量をきちんと測りたいんで、別の新しい鍋で鰯を煮ますね。普段の仕事の時は、圧力鍋に残った戻し汁に味を付けていくんですよ。そしたら汁の残り具合で、調味料の量が変わってくるじゃないですか。今日は家庭用ということで、簡単に量が分かるように新しい鍋で作りますね」

     なるほど納得だ。「圧力鍋で戻す」という言葉も、何となく理解できたように思う。調味料をまったく使わない段階までは、下ごしらえなのだ。干し椎茸を冷水に浸けて「戻す」は普通に理解できていたが、生の魚を煮るまでの準備も下ごしらえと捉えれば「戻す」という言葉で納得できる。和食の世界は奥が深い。

     「圧力鍋に残っている汁を戻し汁というんですね。戻し汁をすっきりさせたいんでキッチンペーパーで漉しますね。戻し汁が100ccです。あれっ、おい、計量カップあるかな」

     調理を手伝っていたアシスタントに声を掛ける。

     「和食で計量カップを使うことはないですから。どこへいったのか分からなくなっていました。改めて、戻し汁が100ccです。料理酒が100cc、赤酒(熊本県で生産されている灰持酒)と濃口醤油がそれぞれ20cc、たまり醤油5cc、それに蜂蜜20ccですね。蜂蜜を入れるとコクが出るだけじゃなく艶が出ますね、照りです。これを全部加えて火に掛けます。強火で良いです。最後まで強火で良いです。全体に炊き汁を染み込ませるように回し掛けながらですね。その間に有馬山椒5グラムを刻んでおきます。香りを良く出すためですね。実山椒なんで、丸より叩いた方が香りが出やすいですからね。はんぺんも4人分を準備しておきます。これはもう味も何も付けない。焼くだけです。炊き汁が煮たぎったら山椒を入れます。もうだいぶ煮詰まってきました。煮詰めていった最後に蜂蜜が良い仕事をしてくれます。炊き汁にとろみが出てくると、蜂蜜が後から効いてくるんですね。照りがすごく良く出てきますね。クツクツ鍋の底に泡が出るようになったら火を止めます」

     戻した鰯の輪切りを整然と並べた鍋に調味料を加えてからは、完成まで一気に進んだ。火を止めてからも吉岡シェフは、炊き汁を絡めるように鰯に掛けている。炊き汁は冷めるにしたがってとろみが出てきたようだ。フライパンを前後に揺らしながらはんぺんを焦げ目が付く程度軽く焼いて鰯の下に敷き、青柚子の皮を細く切ってトッピングすると、鰯の有馬山椒煮の完成だ。

     炊き汁がとろりと絡んだ鰯は、箸を付けるとハラリと身がほぐれる。骨まで柔らかく醤油の香りが食欲を喚起する。炊きたての白いご飯があれば言うことない。いや、この鰯が焼酎の肴に出れば質素ではあるが贅沢な宴となるだろう。一箸口に運ぶ。山椒の粒が口の中で弾ける。ピリッとした刺激と香気が心地良い。青柚子の清々しい香りも新鮮だ。炊き汁が浸みたはんぺんが口直しとして存在感を示す。食感の違いが鰯を誘う。もう一箸、鰯を口に運ぶ。うーん、やはり、これは焼酎が要るな。

    吉岡良祐(よしおか りょうすけ)

    大阪、福岡の「なだ万」にて修行し、3年前に宮崎にて独立。「Japanese Restaurantりょう」をオープン。カジュアル割烹という親しみやすい中にも、こだわり抜いた料理を提供。県外から通う常連ができるほどの店となった。素材の知識や調理法には常に進化を求め、今なお新しいアイデアでお客の「美味しい」を引き出している。

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