2014年(平成26年)12月・3号

発行所:株式会社 山田養蜂場  http://www.3838.com/    編集:ⓒリトルヘブン編集室

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鹿児島県曽於市末吉町 新屋養蜂場

「お母ちゃん、この蜂蜜は家に

あるのと違うよ」と、言ったもんね

父、繁興(しげおき)さん(74)の跡を継ぐ気持ちになって、一緒に仕事を始めたばかりの頃、20年ほど前のことだ。転地養蜂のため新潟県に両親と一緒にいた新屋成登(しんや なりと)さん(48)は、「えんま市に店を出してこい」と、繁興さんから言い付けられる。“えんま市”は柏崎市で例年6月に開催され、500軒を超える露天商が出店を並べ、20万人もの人出がある大縁日。それまでも毎年、新潟県に行ってはいたが、縁日で店を出すのは初めて。テキ屋(香具師)が取り仕切る当時のことで、新参者の成登さんには「こんな所に誰が来るんだろう」と思うような一番端っこの場が与えられた。

蜂蜜の瓶を屋台に並べ、試食用の蜂蜜も出して客を待ったが、人通りのない端っこの店では客は寄りつかない。人待ち顔で店番をする成登さんの前に、小学校に上がる前くらいの小さな男の子と母親がやってきた。

「小っちゃい子どもが試食の蜂蜜を舐めて『お母ちゃん、この蜂蜜は家にあるのと違うよ』と、言ったもんね。あれは嬉しかったね。本物って判るんだ。(違いが)判ってもらえたんだってね」

蜂蜜を買ってはもらえなかったが、小さな子どものひと言が、その後、養蜂家として誠実に仕事をしていく成登さんを支え続けることになる。

この蜂蜜には、

砂糖が入っとっとじゃないですか

新屋養蜂場は、鹿児島県曽於市末吉町に拠点を構えて成登さんが2代目。京都の大学を卒業してから6年間は会社勤めをしていたが、「取りあえず、1年間は親父の手伝いをします」と、腰掛け的な跡継ぎを宣言。それがちょうど20年前、28歳の時だ。「叔父さんたちから、こんなに儲からない仕事を何でするんだ。どうやって喰っていくんだ」と、言われるほど養蜂業は先の見通しの立たない苦難の時代であったが、「それが今でもしちょっじゃん」と、成登さんは笑う。

幼い頃から馴染んだ蜂との生活であったことと、自由の気風が漂う仕事に魅せられたのだった。

現在でもそうだが、当時も、養蜂家の仕事を多くの人は理解していなかった。

「お客さんから『この蜂蜜には、砂糖が入っとっとじゃないですか』と言われた途端、『そげなこつ言うなら買わんで良か』言うて品物を引っ込める時代でしたから。俺の蜂を信用でけんとかという気持ちだったんでしょうね」

養蜂家と蜂が織りなす自然の営みの中で採集された蜂蜜に対する養蜂家のプライドを傷つける発言に反発しながらも、ただ本物の蜂蜜を提供するという信念で今まで続けてきたのだ。

冬を越す準備と蜂を活気付けるため、花粉を餌として与える

女王蜂に卵を産ませる巣房を確保するため蜜の多い巣板は使わない

巣箱を点検する傍らで、北川優作さんが点検の終わった巣箱を運ぶ

奄美大島へ移動するために巣箱をトラックに乗せる成登さん

弱いやつが向こうへ行って伸びてくれれば、それが理想やけど

新屋養蜂場では、採蜜のために5月中旬から6月中旬までは新潟県刈羽郡刈羽村で、6月中旬から9月下旬までは北海道紋別郡瀧上町で転地養蜂を行っている。私が、曽於市末吉町の養蜂場を訪ねたのは12月中旬。本来ならば、蜜蜂は越冬のために巣ごもりし、養蜂家の仕事は一段落しているはずなのだが、成登さんと助手の北川優作(きたがわ ゆうさく)さん(33)は、忙しそうに次々と巣箱の蓋を開けて何やら点検している最中だ。

「あらら、こりゃちいっと(これは少し)、がんたれ(おんぼろ)やな。こんだ(今度は)、奄美に、こん(この)がんたれを持って行ってみよか。10個ぐらいは、がんたれがおってんよかが。2枚、実巣(みす)でよか」 成登さんは、蜂蜜が入っている巣板を2枚、巣箱へ差し込んだ。12月中旬から3月上旬までの間、奄美大島へ蜜蜂を移動させるための準備をしていた。暖かい奄美大島で冬を過ごさせることで、女王蜂の産卵を促進させて群れを大きくしようとしているのだ。

「交配のための蜂を作りに行くわけやから、弱いやつが向こうへ行って伸びてくれれば、それが理想やけど、天候や蜂の状態は、毎年違うから。うちの親父が、『蜂屋さんって毎年勉強だ。60年してるんだけど、毎年違う』と良いこと言ってます。自然があって、蜂がいて、それに人間の頑張りがあっての今年の成果だと思うんだけど、どれ一つ欠けても上手くいかない。蜂蜜って自然そのものなんですよ」

成登さんは巣箱を開けると直ちに、補充する巣板を

北川さんへ伝える

奄美大島へ移動させる準備を終えた巣箱の数を記録しておく

巣箱を点検していると、蜜が詰まった巣板があった

冬越しの準備に入るこの時期、本来ならば、巣箱の中の巣板を少なくして蜂の密度を高めることで、巣箱の中の温度を適温に維持しようと管理するのだが、成登さんは「今やっていることは、暖かい奄美大島へ行くからやっている作業やから。逆のことをやってる訳よ」と、巣箱一杯まで巣板増やして並べ、女王蜂が卵を産み付ける巣房を確保しようとしているのだ。

蓋を開けて蜂の状態を確認し、動きが活発で数が多い群れは大箱(巣板を9枚入れる)に、動きが静かな群れは小箱(巣板を7枚入れる)にと、箱を入れ替えながら仕分けしていく。次は、越冬の準備だ。比較的暖かい奄美大島と言えども、今の時期、蜂が自ら餌となる花粉や花蜜を採れるほど十分な花はないので、冬を越すための餌として、人工の餌を与えておく必要がある。花粉と砂糖水を混ぜた餌を巣板の上に載せ、ダニの予防薬を巣板の間に差し込めば、奄美大島行きの準備は完了だ。巣板の間隔を調整するための駒を挟み、移動中に巣板が動かないように一番端の巣板に釘を打ち付けてから蓋をし、一箱ずつロープを掛けておく。

「冬を越すために蜜は必要だけど、蜜が多過ぎると奄美で蜂が蜜を集めた場合は、女王蜂が卵を産む場所が無くなるからね」

どれくらいの花粉や蜜が入っているのが良いかは、経験と勘のようだ。蓋を開けた時、成登さんは瞬時に判断して「蜜が入っちょるのと入っちょらんとを一枚ずつ持ってきて」とか「(花粉は)半分とで良かが、半分とを持ってきて」と、北川さんに指示を出す。てきぱきとしていた成登さんの動きがふっと止まった。蜜蜂が群がっている巣板を表から裏へひっくり返し、じっと見つめている。「冬は、王が卵を産まないもんで、小っちゃくなっていて、どこに居るのか分かりづらいもんで」。女王蜂が巣箱に居るかどうかを確認していたのだ。

奄美で蜂が蜜を集めた場合は、

女王蜂が卵を産む場所が無くなるからね

蜂が可愛かった、蜂が好きだったから始まってるんだよね

「ハウス園芸というのは、人間が作りだしたことやけど、ハウス内の作物の交配に対する蜜蜂の貢献度は計り知れない訳で。蜜蜂が、もし、この世から居なくなったらって想像することさえできないですもんね。たぶん、今、自然界から蜂が少なくなっているってことに、授粉作業をしている農家さんは気付いてるんだよね。こうやって蜜蜂を飼ってる商売っていうのがあるんですよって、もっと世の中に知ってもらっても良いんじゃないかって気持ちはありますね」

「養蜂家の元々は、蜂を可愛がって、蜂を育てて、蜂蜜を採って、それを提供して生計を立てるのが普通だった。それが根本だった。共通することは、蜂が可愛かった、蜂が好きだったから始まってるんだよね。養蜂家はみんなだよ」

成登さんは、蜂蜜を採ることだけが養蜂家の仕事ではなく、蜜蜂を飼うことが養蜂家の仕事であって、その成果として、蜂蜜の採集があり、ハウス園芸農家に蜂を貸し出して作物の交配に役立てていると強調する。

「交配に出す蜂が元気だと、そこのイチゴは美味しいのができるって誰でも言うね。逆に、イチゴを大事にしている農家は、蜂も大事にしてくれるね」

物言わぬ蜜蜂とイチゴだが、人間と交流する生命という関係では共通するものがあるのかも知れない。

奄美大島へ行く準備は、鹿児島県曽於市内にある3か所の養蜂場で数日間続いた。最終的に大箱約60箱と小箱70箱、それに継ぎ箱(2段になった巣箱)8箱の蜜蜂の群れを奄美大島へ連れて行くことになった。

ロープを掛けて移動の準備を終えた巣箱がならぶ

巣箱を満載した新屋養蜂場のトラックが、鹿児島新港から奄美大島へ運行するフェリー波之上に乗り込む

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