2014年(平成26年)12月・3号

発行所:株式会社 山田養蜂場  http://www.3838.com/

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鹿児島県曽於市末吉町 新屋養蜂場

うっすらと雪が積もった養蜂場から、奄美大島へ移動させる
巣箱をトラックへ運ぶ北川さん

こげん日は、一年にあっかねえかやもんね

奄美大島へ移動する日は、全国的に風が強い冬型気圧配置の日だった。天気予報は、荒れ模様になると何度も警告を出していた。この朝、新屋養蜂場の巣箱には、うっすらと雪が降り積もっていた。

数日前に準備を終えていた巣箱の積み込みは、午前7時から始まった。移動用の2トン車で養蜂場に到着すると、北川さんは直ちに、巣門に板を打ち付けて最後の準備に取りかかった。移動中に蜂が巣箱から飛び出さないためだ。成登さんが、次々と巣箱をトラックに運びながら、呟く。

「こげん日は、1年に1度あっかねえか(有るか無いか)やもんね。フェリーが出らんかったら、のさん(困る)ですね。いつもは、雪は、年明けに1回か2回か降るぐらいやもんね」

たまに陽が差したり、横殴りの雪が吹き付けたり、変化の激しい天候だ。寒さのためか、蜜蜂の動きは静かだ。

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    無王の状態から、女王蜂になったのが
    居たら、嬉しいですよね

    「春とかは、餌もあるから蜂は荒くないんですよ。素手で触ったりもできるけど、今だったら絶対できんですけどね。蜂に刺されても、全然痛くない日とすっげえ痛え日があっとですよ。何でですかね」

    北川さんは、ちょうど1年前に新屋養蜂場の求人に応じて養蜂の道に入ったのだ。養蜂家の四季を体験し、ようやく蜂に馴染んだところである。この1年間で思い出深いことは何だったのか。

    「無王の状態から、女王蜂になったのが居たら、嬉しいですよね」

    自然の神秘に接する喜びは体験済みのようだ。自然の神秘に魅せられて養蜂家として独立の道に進むのだろうか。しかし、「その気があるなら独立をさせてやりたいと思うけど、独立してやっていけるほどの蜜源がないもんね」と、成登さんは養蜂業が直面している厳しい現実を指摘する。

    巣箱をトラックに積み込む

    移動中に蜂が飛び出さないよう巣門を板で塞ぐ

    巣箱の積み込みが終わると、青空が広がっていた

    フェリーの出発時間に間に合わせるため、小雪が舞う中でもトラックへの積み込み作業が続く

    トラックに積んだままだと、
    蜂が死んかも知れん

    トラックの荷台に巣箱を積み上げ、ロープを掛け終った時には青空が見えていた。フェリー乗り場へ向かって鹿児島市内を走る新屋養蜂場のトラックの荷台には“旅するみつばち”と大きく書かれてある。このトラックに巣箱を積んで、新潟や北海道まで移動している養蜂家の自負を感じた。鹿児島新港に到着する頃は、ふたたび小雨模様だった。天候の変化が激しい日だ。

    午後6時過ぎにフェリーに乗船するとアナウンスが流れていた。「悪天候の影響により、錦江湾沖で待機し、天候回復後に出航予定です。大幅に遅延する可能性があります」。これでは、いよいよフェリーの揺れは覚悟しなければならないようだ。

    奄美大島での転地養蜂を始めて5年目となる成登さんは、さすがに慣れたものだ。ビールと焼酎、弁当を私の分まで準備してくれていた。フェリーが出航する前から、船室で早めの夕食となった。

    翌朝、目が覚めてフェリーの船窓から外を覗くと島が見えた。「まだ、屋久島沖か」と成登さんが、がっかりした声を出す。奄美大島到着の予定時刻は午前5時だったが、朝日はとっくに洋上に昇っている。今だに屋久島沖ということならば、航路の半分にも達していないことになる。

    間もなくして「奄美大島の名瀬港到着は13時50分の予定」と、船内アナウンスがあった。およそ9時間の遅れだ。

    成登さんは「あんまり長いことトラックに積んだままだと、蜂が死ん(ぬ)かも知れん。冬やっで、大丈夫やとは思うけど」と、心配顔だ。そのまましばらく考えていたが「しょんなか、どげんもならん」と、腹を括った。成登さんの頭の中は、蜂が置かれている状態をいつもイメージしているようだ。フェリーの船室で、成登さんから聞いた言葉を思い出した。

    「蜂屋さんの仕事は、もちろん生活、家族を食べさせるためなんだけど、蜂のためでもあると思ってる。蜂に合わせて仕事をしているって言うのかな」

    入り口をそっち向けて、
    この列に7つ並べよか

    新屋養蜂場のトラックが下船できた時は、すでに午後2時半を過ぎていた。昨年と同じ場所に巣箱を置かせてもらうため、島の南西にある農地へ急いだ。日暮れまでに、何としても巣箱をトラックから降ろさなければならないのだ。名瀬港から1時間以上も走ってようやく目的の農地に着いてみれば、そこは荒れ地となり、背の高さ以上に伸びた茅が立ちはだかっていた。その上、大きなガジュマルの切り株が無数に放置されている。トラックを横着けした北川さんは、荷台から草刈り機を取り出すと、ブンブンとエンジンを唸らせて、構わず茅の中へ刈り込んで行く。あれこれと躊躇している余裕がないのだ。成登さんと北川さんが、草刈りの終わった所からガジュマルの切り株を運びだそうとするが、草を刈っても刈っても切り株が姿を現し、いつまでも巣箱を置ける状態にならない。時間ばかり経過し、陽はどんどん西に傾いていく。「待っちょって」と、言い置いて成登さんが荒れ地を飛び出して行った。

    しばらくして成登さんが帰って来た。「ここはもう良か。別んとこ(所)借りてきた」と、すぐ近くの空き地へトラックを移動させた。そこは草刈りをする必要のない農地だった。もどかしいように荷台のロープを解き、2人は巣箱を並べ始めた。「入り口をそっち向けて、この列に7つ並べよか」と、成登さんの指示が飛ぶ。巣箱を並べると同時に、移動中に蜂が飛び出さないように打ち付けてあった板を巣門から外す。ここまでの作業が終われば、ようやくひと安心だ。

    今年初めて借りた巣箱を置く場所の草刈りを始めた時、すでに夕暮れ近くになっていた

    トラックから巣箱を背負って運ぶ成登さん

    巣箱を並べ終えると、すでに手元が見えないほど暗くなっていた

    引き続いて、別の場所に移動する。集落の中を通る農道沿いの空き地だ。膝ほどの高さまで伸びた草が茂って、なだらかな斜面になっている。この場所も急遽頼んで借りたらしい。草刈りが終わって巣箱を運び込もうとしていた時、通りかかった女性が成登さんへ声を掛けた。「新屋さんとこの蜂蜜を買ってるよ」。一刻を争って巣箱を運ぼうと急いでいた成登さんの顔が輝く。「『また来たの』と言ってくださったり、『今年は遅いね、と思ってた』と声を掛けてもらったり、ありがたいですよね」。奄美大島での人との繋がりが出来てなければ、土地をすぐに借りることなど出来るはずがないのだ。

    巣門の向きを決める基準は何かと成登さんに尋ねた。「本来は、東か南へ入り口を向けるのだけど、今回は、巣箱を置かせてくれる土地の人たちに迷惑を掛けない方へ向けたんです。最初の土地は、すぐ近くに小屋があって、夜は、あそこでギターの練習をするんだって。夜になって灯が見えて蜂が飛んで行くと困るから小屋の反対に向けたし、ここは、道路に近いからできるだけ巣箱を道路から離すのと、民家が近いから民家の反対側へ入り口を向けたんです」。蜂は怖いと思っている人が大勢居るのも事実なので、地元の人びとへは細心の配慮をしているのだ。

    2か所目で巣箱を並べ終えた時には、手元が見えないほど暗くなっていた。運んできた巣箱の半分は、まだトラックの荷台に残っているが、明日の仕事となった。

    翌日は、朝7時に移動開始。この日は島の北西側の2か所に巣箱を降ろした後、一つ一つ巣箱の蓋を開けて成登さんが蜂の状態を点検していく。北川さんは、巣箱と一緒に鹿児島から運んできた一斗缶に入った蜂の餌となる砂糖水を給餌箱に注いでいる。給餌する前にハイブアライブと書かれた液体を一斗缶に加えていた。成登さんが教えてくれた。

    「蜂が、サプリメントを飲む時代なんですよ。ビタミン剤なんです。餌は、蜂を活気付かせるためにやるの。暖かい所に来て、餌をもらって、蜂は動くし王は起きるし」

    昨夕、ともかくトラックから降ろすだけ降ろして並べた巣箱も、状態を点検しながらハイブアライブを加えた砂糖水を給餌していく。昨夕並べた巣箱の蜂たちは、落ち着きを取り戻しているようで、巣門を出入りする働き蜂を見ていると、すでに両脚に花粉の玉を付けて帰って来ている蜂が居る。近くを見渡しても花らしいものは見当たらないのだが、蜜蜂は、知らない土地に連れて来られても、すぐに花粉を運んできている。これも神秘としか言いようがない。

    奄美大島に運ばれてきた約140箱の蜜蜂は、来年3月初旬までここで過ごすことになる。温暖な気候の中で、たっぷりの餌を与えられて冬を過ごした蜜蜂たちには、交配という自然界に新たな生命を作り出す大切な仕事が待っている。

    本来は、東か南へ入り口を向けるのだけど

    蜂が、サプリメントを飲む時代なんですよ

    巣箱を並べ終えると、蜂を活気付けるために餌として砂糖水を与える

    巣箱を置いた翌朝、すでに蜂は落ち着き、花粉を運んでくる蜂もいる

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