2019年(平成30年3月) 31号

発行所:株式会社 山田養蜂場  http://www.3838.com/    編集:ⓒリトルヘブン編集室

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蜜蜂がおらんようになったら世界が滅亡する

 門柱に「重松」と書かれた家が建ち並ぶ集落の路地に入り、小さな四つ角を左へ曲がるとタイル張りの出窓がモダンな雰囲気を漂わす大きな家がある。福岡県小郡市の重松養蜂園だ。

 「移動養蜂というのは、鹿児島、福岡、広島、島根、鳥取まで行くんですよ。祖父の代には北海道まで行っていましたけどね。私で3代目なんですよ。代々農家ですからね。牛、ニワトリ、豚、蜜蜂を飼ってましたね。今残っとるのは蜜蜂だけです。ニワトリは盆、正月に古い奴から食べるというようなことでしたからね。私が生まれて70年でしょ、トータルで養蜂業90年。30年ほど前からCCDというんですか、蜂群崩壊症候群という現象がヨーロッパやアメリカ、日本でも起こっているじゃないですか。農薬や電磁波、PM2.5とかですね、環境汚染は世界規模ですよ。イチゴ、メロン、スイカなどは、蜜蜂が居ないとできないですから。蜜蜂が一番のバロメーターと分かっているんですからね。誰でしたかね、蜜蜂がおらんようになったら世界が滅亡すると言っているじゃないですか」

 冒頭から環境汚染による養蜂業の危機感を訴えるのは、3代目園主の重松孝伸(しげまつ たかのぶ)さん(69)だ。

 お訪ねしたのは2月下旬。蜂蜜の瓶詰めを納めたガラスケースが置かれ、販売所を兼ねる大きな玄関の続き座敷で炬燵に温まりながら孝伸さんの話に聞き入った。

巣枠へはみ出した蜜巣を削ると一斉に蜜蜂が寄ってきた

越冬した群れの巣箱をバーナーの炎で殺菌する

花の時期には早い春、餌の砂糖水をトラックから運ぶ

バーナーの炎で殺菌した巣箱を運ぶ

継ぎ箱と砂糖水を運ぶ孝伸さん

代々続いた制空権だけは持っておりますから

 「ポリネーション用に蜜蜂の貸し出しは現在もしていますよ。でも最近は、イチゴハウスへ蜜蜂の代わりにマルハナバチを入れたりしてですね。貸し出す蜜蜂は少なくなりました。自分のメインは採蜜なんですよ。昔は、この地域に菜の花が多かったから全国から養蜂家が来てましたけど、現在、ここは麦作地帯でね。麦が多いんですよ。麦は蜂の役には立たんですからね。私は一人息子なんです。2町の田んぼがありますから、それで植木もしていましたよ。今は養蜂専門。代々続いた制空権だけは持ってますからね。制空権ですか、巣箱を置く蜂場のことですよ。一番の問題は、花は待ってくれんじゃないですか。トチ蜜を採りに行くのは、岡山県と鳥取県との県境にある佐治谷という所なんですよ。650キロありますけどね。今は高速がありますから、夕方、蜂が巣箱に戻ってからトラックに積んで、夜8時くらいに出発すると朝の暗いうちに着きますからね。昔は国道9号線を走って10時間ぐらい掛かってましたからね。こっちのレンゲ蜜を採ってから行くでしょうが、それでいつもトチの花には遅れてしまうんです」

今になれば、蜜蜂がおって良かった

 「話は変わりますけど、うちは菅原道真の子孫なんです。ひけらかすことではないけど、心の奥底に眠る誇りになってますね。それで去年は、道真公が太宰府から逃れて没したと伝えられる鹿児島県薩摩川内市の藤川天神に参ってきましたよ。独りで行くんです。親父が亡くなって、同じ年に女房も49歳で亡くして、14年前ですけどね。悲しむのもどう悲しんでいいのか分からんかったですよ。それから、この大きな家に独りで生活しているんです。蜂屋の仕事が支えになっていますね。昔は、蜂屋は社会の底辺のように言われてましたけど、ポリネーションの役割が出てきて、社会的に見直されてきたというのがありますね。蝶が乱舞する。黄金虫が飛び交う。蜜蜂が飛び交配する。それが自然を支えている。生まれた時から周りに蜂が居たから、蜂屋が当然でしたけど、百姓が嫌でしたね。無い物ねだりというものですよ。今になれば、蜜蜂がおって良かったということですよ」

継ぎ箱にするまでの今が一番楽しい

 福岡県小郡市のご自宅をお訪ねしてから3週間後。越冬のために蜜蜂群の本隊を置いている鹿児島県南さつま市坊津町から、孝伸さんに電話をいただいた。3月中旬が過ぎて暖かくなり、働きが活発になった蜜蜂を採蜜群に育てるための作業をしていると言うのだ。

 「継ぎ箱にするまでの今の時期が一番楽しい作業じゃないですか。採蜜もせにゃいかんけど、ちょっと重労働ですからね。蜂の勢いを見て、適期に巣を差して(巣板を継ぎ足して)いくことが大事なんです。継ぎ箱を掛ける時期も大事ですね。分封熱を出さしちゃいかん。けれども、分封熱が出るくらい蜂の混み具合に勢いがないと採蜜期に間に合わない。継ぎ箱のタイミングが難しいんです。遅いと分封熱が出てしまうし、早いと冷えて群が衰えてしまいますからね。その調整がね、我々の仕事なんですよね。今が一番大切な時なんですよ」

 孝伸さんは、クレーンの付いた大型トラックで小郡市から南さつま市坊津町まで高速道路を使って来ていた。

 「昔ゃ、高速道路がない時代は、一旦こっちに来たら1か月くらいは居ったんですよ。その当時は、養蜂の仕事ができない日は海岸に貝を採りに行ってたんですけどね。今は、世知辛い仕事の仕方になりましたね。その当時は、この空がほんとの深い青色の空できれいだったんですけど。最近は、あんなきれいな空はないです」

 蜜蜂を通して本物の自然の魅力を知った孝伸さんならではの感じ方なのだ。

職人というのは蜂と話さんとね

 この日は、気温20℃に迫る陽気となり、蜜蜂は巣門から活発に出入りしている。両脚に黄色い花粉の球を付けた蜜蜂が、次々と巣箱に帰って来ている。坊津町坊の海岸近くにある蜂場で、孝伸さんは一群一群の勢いを確かめるように巣板の蜜蜂を観察しながら巣箱の入れ替えを行っていた。バーナーの炎で巣箱全体を炙って殺菌し、こびり付いた蜜蜂の排泄物やムダ巣の後を焼き、削り取っていく。殺菌した巣箱と冬の間蜜蜂が過ごした巣箱を交換し、採蜜群の環境を整えているのだ。

 「衛生管理のための巣箱の入れ替えですね。蜂の唾液がね、こいつらも結構な殺菌力を持っているんですよ。蜜蜂の特殊能力を利用した蜂セラピーというのもありますからね」

 蜜蜂が冬を越した巣箱の蓋を孝伸さんがそっと開ける。その瞬間に、彼は、蜂群の勢力を把握しているのだ。保温のために巣枠の上に被せてある麻布をめくり、越冬した蜜蜂の巣箱を抱えて円を描くように45度右へ移動させた。空いた所へバーナーの炎で消毒したばかりの新しい巣箱を置く。それからゆっくりと、越冬した群れの巣板一枚一枚に付いた蜜蜂を観察しながら新しい巣箱へ移していくのだ。

 この時、孝伸さんの頭の中では、女王蜂は元気にしているか、新しい卵は産み付けられているか、餌を食べているか、ダニは付いていないかなど、言葉にはできない直感力も総動員して越冬した蜜蜂群の現状を把握しているのだ。

 「職人というのは蓋をはぐって、餌の状況はどうか、動きはどうかという風に蜂と話さんとね。蜂は機械じゃないのだから、蜂と話をするというのが蜂屋の魂じゃないですか。蜂が元気だったら、蜂屋は元気が出るんです。今の世の中は合理的なことが優先されますけど、ITとかではなく職人が培ってきたような技術を尊重する社会であってほしいと思ってますよ」

勢いの良い群のために継ぎ箱を運ぶ

4箱ずつバーナーの炎で殺菌する

バーナーの炎で殺菌した巣箱を運ぶ

縁を歩く蜜蜂を指先で払って

 全ての巣枠を新しい巣箱に移動させた後、餌箱に砂糖水を入れて一連の作業を終える。その後で、勢力が不足している蜂群ならば、福岡から準備してきた蜂蜜の溜まった蜜巣枠を一枚追加し、採蜜群として充分な勢力に育っている蜂群ならば、空の巣枠4枚を入れた継ぎ箱を掛けて仕上げをする。継ぎ箱を巣箱の上に載せる時、孝伸さんは巣箱の縁を歩いている蜜蜂を軽く指先で払ってから載せている。蜜蜂への愛おしさが仕草に現れるのだ。

懐にドス飲んどる

 翌朝、孝伸さんは蜜蜂が動き出す前の早い時間に、坊津町坊で蜂場のために土地を借りている地主へ蜂蜜を持って御礼に行った。父親の代から40年間ほど巣箱を置かせてもらっている土地である。養蜂家が巣箱を置くためには蜂場に適した土地を使わせてくれる地元の協力者がどうしても必要だ。採蜜の季節になると、蜜源の豊かな地域での養蜂家同士のトラブルを避けるため各県の養蜂業組合の調整も必要になってくる。

 「あくまでも地元優先なんですよ。蜂屋をやめる人が(蜂場の権利を)売ると言っても簡単にはいかないんですよ。組合の支部長がそこを仕切らないかんのですよ。特にアカシアの場合なんかはドル箱ですから。昔は飛び込みと言って、大きな蜜源のある所に蜂を持ってきて、トラブルがしょっちゅうでしたよ。懐にドスを飲んどるくらいの度胸がないとやっていけんのです。降りかかる火の粉は払わないかんですから。蜂屋というのはそういう者の集まりでしたから。でも今はもう、ぼくは蜂を飼っている人はみんな仲間だと思っていますよ」

 言葉の端々に福岡県養蜂組合の副組合長を長年務めてきた孝伸さんの自負が覗く。

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