2019年(平成30年3月) 31号

発行所:株式会社 山田養蜂場  http://www.3838.com/    編集:ⓒリトルヘブン編集室

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どこに立ちよっとか、蜂が入られん

 さて、2月下旬に福岡県小郡市の自宅をお訪ねした時に話を戻そう。

 店舗兼自宅の横には、まだ新しく大きな鉄骨構造の倉庫が建っていた。ゆっくりと孝伸さんの一代記を聞かせてもらった後、彼は、この倉庫で巣枠作りを始めた。倉庫の中はひんやりして石油ストーブが燃えている。倉庫ではすでに、隣で農家を営む重松秀美(しげまつ ひでみ)さん(62)が黙々と巣枠作りをしていた。秀美さんは、米、麦、大豆を生産する農家だ。同じ重松姓でも親戚関係ではない。

 「私が孝伸さんの仕事を手伝うようになったのは、奥さんが病気で倒れらっしゃってからなんで、15年ぐらいになると思います。共済保険の係が一緒になった時に頼まれて、蜂を移動する時に積み込みを手伝ってからですね。今では、採蜜の時にも手伝うようになりましたけど。巣門の前に立っていたら、『どこに立ちよっとか、蜂が入られんごつなっじゃろが』って怒られよったですもんね。最初の頃は、やっぱ大変やったですね」

 秀美さんが巣枠の駒を打つ作業をしている隣で、孝伸さんが巣枠を組み立てていく。取り寄せた木材の曲がりを、片目をつぶって確認している孝伸さんの風貌が哲学者を思わせる。

ポリネーション用蜜蜂の巣箱を運ぶ

観光客の少ない経路で巣箱を運ぶ

果樹園に巣箱を設置し疲れた孝伸さん。果樹園の社長と

巣枠材の曲がりを点検する孝伸さん

巣枠を組み立てる

昨秋持ち帰った巣箱を掃除する秀美さん

女王蜂がへたっとった

 自宅前の庭にも巣箱が幾つか置いてあった。

 「50年前から使っている巣箱もあっですもん」と言いながら、孝伸さんは巣箱の蓋を開けて内検を始めた。あまり元気がなさそうだ。

 「女王蜂は残っとるでしょうが、でも、群は弱っとるんですよ。他の群から持って来て勢力を付けさせてやらんといかんとです。分封してどっかから飛んできた奴なんですよ。巣板4、5枚分の蜂が、あそこ(庭先)で継ぎ箱3段までになったんですけど、分封するということは旧王でしょ。それなりに女王蜂がへたっとったんでしょうね」

 保温性を高めるために蜂群を9枚箱から6枚箱に移動させている。その上で、女王蜂が居なくなっていた別の群から巣板一枚分の蜂を合同する。

 「この蜂は王が居ない気持ちの蜂じゃないですか。それで養子に行くというか、他の群に行っても溶け込んでくれるかなと思ってるんですよ。うまく合同してくれるかどうかの結果は明日になってみないと分かりません」

 孝伸さんは、女王蜂の居ない群の蜂の気持ちを推察して合同を試みたのだ。通常は異なる群の蜂を一緒にすると、お互いに敵と見なして攻撃し合うのだが、女王蜂の居ない群の蜂の心理を読んだ孝伸さんの作戦は成功するのだろうか。

採蜜は余った分を貰っとる

 自宅庭に置いてある巣箱の内検が終わり、ポリネーション用蜜蜂の巣箱を設置に行く孝伸さんに同行させてもらった。日曜日ということもあって、イチゴ狩りの観光客でハウスの中は賑わっていた。できるだけ人の少ない経路を選び巣箱を運んで設置し、砂糖水を餌箱に注ぐ。観光客が蜜蜂に刺されるようなことがあっては大ごとだ。ポリネーション用巣箱の設置が終った後、乙隈蜂場へ案内してくれた。自宅からは車で10分ほどの所で、太古の昔には海辺だった地域らしい。そこには、鹿児島県へ移動せず福岡県で冬を越した群が置いてある。

 巣箱の蓋を開け、内検をしてから砂糖水を餌箱に入れていく。

 「養蜂家というのは、冬の花のない時期に餌を与えて養ってやって、花が咲き始めて蜜源が自然にあるようになると、蜂が子を産み始めて、蜜を溜め始めますよね。そうすると蜜の消費も多くなりますけど、それ以上に沢山の蜜を溜めます。採蜜は、その余った分を貰っとるのであって、蜂が必要としている分まで取ってしまえば、蜂が育ってくれんですもん」

 風は冷たくまだ気温が上がっていない時期なのに、継ぎ箱になっている群が一箱だけある。

 「この群は元々勢いがあって群が大きいんですよ。あんまり早くから勢いが良い必要はないんですけどね。蜜源がないうちから群が大きくなれば、分封熱ばっかりが出て、あまり良くないんですよ」

 早々と継ぎ箱にするほどの勢いがある群だから、喜んでいると思っていたが、必ずしもそうではないようだ。やっぱり時期が大切なのだ。

古い巣板を使う方が新巣より丈夫

 自宅庭の一番奥には、古くはなっているが天井の高い大きな倉庫が建っている。その倉庫の奥に巣板を酸化エチレンと炭酸ガスで消毒するために、福岡県養蜂組合で所有する消毒庫が設置してあった。養蜂組合の養蜂家たちが春の蜜蜂の活動期に向けて準備するため、巣板を消毒しに近日中にやってくるのだと言う。

 秀美さんは、昨秋に蜂場から引き揚げ、消毒庫の前に積み上げたままになっていた巣箱を片付けなければならないのだ。昨秋、突然に蜜蜂が居なくなり持ち帰った巣箱を掃除しながら秀美さんが説明してくれる。

 「消毒して古い巣板を使う方が、新巣より丈夫で、採蜜の時に外れたりすることがなかですもんね。蜂が居ればですね、蜂がきれいに掃除してくれますもん。この群はスズメバチにやられたっでしょうね。秋口になると子作りのためなんか、スズメバチが襲ってきて、一遍狙いを定めたら集団でその群ばっかり襲ってくっですもんね」

 越冬する蜜蜂の餌として採蜜しないで残しておいた巣蜜も巣枠からはみ出した部分を削り取り、蜜蓋も削り、すぐにでも春の活動期に入った蜜蜂の巣箱に入れられるよう秀美さんが掃除している。しばらくすると「おい、お茶、お茶」と、孝伸さんが蜂蜜の入ったコーヒーを持って来てくれた。

 「祖父も親父も超えなければならない存在でしたから。怖かったですよ。家族は仲が良かったですよ。仕事が一緒だったからじゃないですか。それでも私は反発ばかりしていて、本当に蜂をやり始めたのは、親父が亡くなってからですからね。米、植木、造園などあれこれと凌いできましたよ。いま、養蜂一つになって楽になりましたね。昔は女房と2人で、最高で400群ぐらい扱いよりましたからね。3代続いた養蜂業を、どう引き継いでいけるか。それが、私の一番の命題ですよ。うちの蜂蜜を買ってくださっているお客さんがおられるし、ポリネーションの需要もあって、養蜂家にとって今は一番良い時代だと思いますよ。生まれた時から蜂屋ですから、技術を伝えるのにキャリアは負けない。何より蜂が好きでないとね」

 3代目としての命題を抱えても愚痴を言わず「仁義を守らんと」と自らを戒める哲学者の風貌をした孝伸さんが、蜜蜂と言葉を交わす姿は美しい。

 前にも書いたが孝伸さんは独り暮らしだ。コーヒーを3人でいただいていると、孝伸さんが普段感じている気持ちがふっと溢れてきたのか。

 「女房が亡くなってから、自分で掃除や洗濯など家事をやってみると、こんな大変なことをずっと毎日やってくれてたんだと驚きましたね。男尊女卑が当たり前の世代だし、土地柄もそんな風潮でしたからね。女房がやってくれるのが当たり前と思っていましたけど、今になって感謝していますよ。49歳で女房は亡くなりました。彼女は亡くなった時の顔から老けないじゃないですか」

 14年経った現在も、妻の由紀子さんの面影を追う孝伸さんの愛情の深さに心を打たれる。

養蜂業を、どう引き継いでいけるか

面影を追う愛情

重松養蜂園のある集落の歴史を物語る大通宮

祖父の代に建てた家にはタイル張りのモダンな出窓がある

福岡で越冬した蜂群の内検をする

内検で気になることがあると草を千切って置く

餌にするために置いた蜜巣枠を秀美さんが掃除する

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