2019年(令和元年7月) 34号
発行所:株式会社 山田養蜂場 http://www.3838.com/ 編集:ⓒリトルヘブン編集室
〒880-0804 宮崎県宮崎市宮田町8-7赤レンガ館2F
朝6時過ぎ、アカシアの木に囲まれたアカ蜂場で蜂蜜の採蜜が始まった。遠心分離機を載せた軽トラの向こうには朝靄が残る北海道の大地が広がる
慣れない手付きで巣板の蜂を払う福留さんを気遣うように賢一さんが燻煙器の煙を掛けて補助する
遠心分離機に蜜蓋を切った巣板をセットする桐井さんは採蜜の手伝いを始めて5年になる。「蜜蜂の世界は奥が深いね。知らないことばかりだ」
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アカシアの蜜はバーッと一気に
アカシアの採蜜はすでに終わったと聞いていたが、札幌市から車で小一時間の距離にある石狩郡当別町の「さとう養蜂園」に着いてみると、明日から最後のアカシア蜜を搾るのだという。採蜜は養蜂業の華やかな場面だ。有り難い誤算であった。
「2、3日雨があって予定がずれました。アカシアの花は終わったところですね。蜜蓋はまだ完全に出来ている状態ではないけど、このまま置いておくと、今から始まるクローバーの蜜が混じってきて、クローバー蜂蜜になりますからね。アカシアの蜜はバーッと一気に入ってきますけど、クローバーはちびりちびり入ってくるんですよ」
さとう養蜂園代表の佐藤賢一(さとう けんいち)さん(60)が、ゆったりとした口調で作業が遅れている事情を説明する。透明感があり淡い香りが評判のアカシア蜂蜜を確保するためには、花が終わって間もない今のうちに採蜜しなければならないのだ。
48時間2500㎞を走り続ける
さとう養蜂園は、5月の連休に宮崎県都城市から北海道石狩郡へ蜜蜂群を4トントラックで陸路を運び込み、10月末まで北海道に滞在する。冬の期間、11月から4月末までは温かい宮崎県で蜜蜂群を越冬させている。
「いつもの年だったら、アカシアの花の時期は6月の末だったんですよ。それに間に合わせるように5月の連休に北海道に来て、一旦宮崎に帰る余裕があったんですが、それが今年は季節が前倒しで2週間早くて、宮崎に帰る機会がないままでした」と、賢一さん。
それに今年は特別な事情が重なった。昨年9月に賢一さんの父親が亡くなったということもあり、宮崎県で酪農ヘルパーの仕事をしていた福留良彦(ふくどめ よしひこ)さん(50)が、賢一さんと一緒に北海道に来て、さとう養蜂園の後継者となるための仕事を始めたばかりなのだ。
「朝5時に巣箱の積み込みを始めて、10時に宮崎を出発。翌々日の朝、当別町に到着しました。48時間くらいですかね。辛かったですね。太股の後ろが痛くなってきましたよ」
巣箱内の温度が上がり蒸殺といわれる蜜蜂群が全滅する事故を避けるため、長時間車を停めておくことができない。運転を交替しながら約2500㎞を走り続けたのだ。
「蒸殺と餌切れは養蜂家の責任ですから、一番悲しいし自分を責めますよね。良い蜂ほど蒸殺も餌切れも起こしやすいんですよ」と賢一さんが、ここは養蜂家の頑張りどころなのだと強調する。
巣箱から巣板を取り出そうとする福留さんに賢一さんが燻煙器で煙の掛け方を教える。
「蜜蜂の世話では、煙の掛け方が一番大事」
遠心分離機に運ぶため巣板を取り出す福留さんの周りで蜜蜂がまとわり付くように飛ぶ
蜂屋は農家の役に立てる
「私は3代目なので、生まれた時から養蜂は身近な仕事でしたけど、祖父や父親がやっていた蜂蜜を採って売るという仕事に魅力を感じなくてね。手伝いはしていましたけど熱が入らなくて、二十代後半は色々と別の仕事をしていましたよ。そんな時、カボチャを3町歩作っているという農家が親父を訪ねてきましてね。『蜜蜂を売ってくれ』と言うんですよ。当時はまだ交配用の蜜蜂は一般的ではなかったもんで、事情が理解できずにカボチャ畑を見せてもらいに行くと、見渡す限りのカボチャ畑がシーンとして虫の類いは一匹も飛んでなくて驚いたんです。周りは田んぼで、北海道では無人ヘリコプターで農薬散布をやっていましたからね。その時に、蜂屋は農家の役に立てると気付きましたね。自分が本気で養蜂をやり始めたのは、それからです。蜜蜂売りが仕事の半分を占めるようになりました。ちょうど今年も、今からが蜂の割り出し(群れを2つに分けること)の時期なんですよ。でもね、蜂蜜を採るのが優先ですよ。蜂よりも蜜の方が高いですからね」
こう言って、賢一さんは悪戯っぽく笑った。
採蜜は早朝から一気に終わらせる
採蜜は翌朝6時に集合と決まった。蜜蜂が活動を始めて時間が経つと、蜜蜂が採ってきたばかりの水っぽい花蜜が混じってしまう。そうすると香りが良くて糖度の高い蜂蜜を採ることができなくなってしまう。そのため採蜜は早朝から始めて一気に終わらせなければならないのだ。
採蜜は賢一さんと福留さんの他に、現地で採蜜の手伝いを頼んでいる桐井信征(きりい のぶゆき)さん(77)が加わり3人での作業となる。最初の採蜜は賢一さんが「アカ」と呼ぶアカシアの木に取り囲まれた14群の蜂場だ。ここならば良いアカシア蜂蜜が採れるだろうと期待させる。
蜂蜜の溜まっている巣板を、福留さんが巣箱から取り出しておくと、賢一さんが手押し車で遠心分離機を積んだ軽トラックの傍まで運ぶ。その巣板の蜜蓋を包丁で切り、遠心分離機にセットして搾るのは桐井さんの役だ。蜂蜜を搾った巣板は、賢一さんが巣枠に付着した蜜ロウを削り取り、雄蜂の幼虫がいる巣房を切った後、水に溶いた栄養剤と塩とを噴霧している。さとう養蜂園が特別に使っている母成(ぼなり)と呼ぶ栄養剤の溶液には、23種類のミネラルが入っているそうだ。
「巣枠の下に付いている蜜ロウを削るのが大切なんです。下の段と上の段の間に空間を作って、蜂の行き来をしやすくしてやるんですね。それに、この母成の栄養剤を噴霧した蜂はあまりにも元気なんで、刺されると痛いですよ」と、賢一さん。独自に与えている栄養剤の効果は実感があるようだ。
蜜蓋を切った巣板をセットした遠心分離機が回転し蜜を搾る
遠心分離機の口から流れ出るアカシア蜜は透明感がある
絞った蜂蜜の不純物を取り除くため桐井さんが漉し器へ移す
蜂を潰した時の感触を手が覚える
採蜜の終わった巣板を巣箱に戻しに行った賢一さんは、今年初めて採蜜作業をしている福留さんの様子にも気を配っている。福留さんが巣板を取り出す際に刷毛で蜂を払おうとするが、一匹だけ巣板にしがみ付いたように離れない蜂がいる。福留さんが「オイッ!」と声を掛けて刷毛で払う様子を見ていた賢一さんが声を掛ける。
「そうじゃない、刷毛は撫でたらだめよ」
賢一さんが手本を見せるように、巣箱の縁にいる蜂を刷毛の毛先を使ってパッパッっと払うと巣箱の縁に居た蜂はきれいに居なくなった。賢一さんは面布は被っているものの素手で作業をしている。
「素手で蜂を扱うということは、間違って蜂を潰してしまった時の感触を手が覚えるということでもありますから、手袋をしていると何時までも、その感触を覚えられないですよね。蜂を扱う時は舟を漕ぐように扱えって、昔の人が言ってますよ。いきなり手を出したら蜂が騒ぐけど、横からゆっくり手を出せば、蜂は何だろうと見上げていますよ。素手で蜂を扱えるようになると、蜂も人間が危害を加えないと分かってくれて、荒くならないんですよ」
蜂を扱う時には、ゆっくりと流れるような動作で仕事をしろということなのだ。面布を被っているとはいえ、目の前でブンブン襲ってくるように蜂が飛ぶ中で心静かに作業をするのは難しい。
「ブーンと顔の周りを飛んでいるような蜂は刺さないですよ。何かを語り掛けようとしているんです。何を言いたいんだよと聞いてやれば良いんですよ」
賢一さんはこう言うが、なかなかこの境地にはなれない。初めて北海道に来て、養蜂家の仕事を始めたばかりの福留さんには尚更のことなのだろう。
「蜂と一緒に北海道に居るのが、今は仕事ですけど、それが当たり前の生活になれば本物の養蜂家になれたと思う時なんでしょうね」
不安と希望がないまぜの願いを込めた福留さんの言葉だ。
蜜蓋を切るための包丁はお湯で温め、
切れ味を保つ
蜂蜜を搾った巣枠に付着した
蜜ロウを削り取る
女王蜂の葬式
1時間余りでアカ蜂場の採蜜は終わった。続いて、近くの山田蜂場へ移動する。陽当たりが良く開放的な蜂場で、巣箱はアカ蜂場と同じ14群。蜂場に到着して採蜜の準備が整ったら、賢一さんが準備していた菓子パンと飲み物で朝食を兼ねてお茶の時間だ。
賢一さんが、福留さんにそれとなく伝えるように話始めた。
「こんな面白い商売ね、跡継ぎが出てくれて嬉しいですね。そう言えば、女王蜂の葬式というのがあるんです。全部で30匹くらいかな、死んだ女王蜂の周りを取り囲んで、一匹一匹がお別れをするように近づいていって、何かを語り掛けているんですよ。全員がそれが終わると、2、3匹が死んだ女王蜂を巣箱から遠い所へ運んでいって葬るんですよ。女王蜂は長いと8年生きますよ(注1)。8年間産卵し続けるんですよ。ドイツの研究で立証されてますよ。一日500個(注2)の卵を産むんですから、すごいですよね。5、6匹(注3)のオスと交尾していて、次には、このオスの卵をと、選んで産んでるんですよ。だから、同じ巣の中で黄色い蜂が居たり、黒い蜂が居たりしますよね。色々な血統を混合してハイブリットになった蜂が優れていますよ」
(注1:一般的には2〜3年、長くても5年と言われている)
(注2:一般的には1000個〜2000個と言われている)
(注3:一般的には10~20匹と言われている)
採蜜が終わったら昼から宴会
山田蜂場の採蜜も順調に進んで、午前10時には当別町の倉庫に帰り着いた。この日採蜜したアカシア蜜の一斗缶を倉庫に運び込むと、遠心分離機の外側と搾った蜜の出口を丁寧に洗い、軽トラックの荷台も水を流しながら付着している蜂蜜を洗い流す。漉し器の漉し布を取替えて、明日の採蜜の準備を終えると、この日の仕事は全て終わった。時間はまだ午前10時半だ。
「昔は、採蜜が終わったら昼から宴会でしたから。宮崎でもレンゲが採れていた時期には昼から宴会でしたね。それが10日間ぐらい続くんですよ。菩提樹の採蜜を父と母としていた当時は、昼からは川で魚を捕ったりバーベキューしたり、3日間ぐらいテントで寝るんです。菩提樹の蜜が採れるのは隔年なんですよ。札幌市南区の定山渓(じょうざんけい)に花の状態を見に行って、その後は定山渓の温泉でゆっくりですよ。そんな楽しさが私の養蜂家の原点ですね」
こんな話の流れから、この日の昼食はジンギスカン鍋となって、賢一さんはもう宴会気分だ。
蜂から斜めに見られている感じ
翌日は、採蜜する蜂場が遠いため朝5時半に集合だ。賢一さんが運転する採蜜道具を積んだ4トントラックの後を追って西村蜂場へ向かう。西村蜂場では遠心分離機を積んだ軽トラックが先に到着していて、福留さんと桐井さんが蜜蓋を切る場所に巣箱を置くなどの準備をしていた。西村蜂場は元農場だった広場で近くに倉庫らしき建物が建っている。アカシアの木に周りを囲まれ、すぐ横を国道が走る蜂場としては恵まれた環境である。巣箱は24群。しかし、ここ西村蜂場の蜜蜂は気が荒いらしい。
「西村蜂場の蜂からは、『あんっ』て斜めに見られている感じがあります」と、のっけから福留さんは怖れている。
漉し布に止まった盗蜂に「蜂蜜にまみれて至福なのか」と問えば、
「蜜を盗んでいるのは人間だろ」と睨まれた
巣板の蜜蜂を観察する賢一さんは素手で作業する
「夜中にアライグマがガリガリやっていじめてるから、蜂が荒れますね」と、福留さん。蜂場の隅には、アライグマが蜂蜜を取って巣礎が壊れた巣板が置いてあった。夜な夜なアライグマが巣箱を襲って、蜜蜂の心の平安を奪っているのだ。
「蜂を荒くするのも温和しくするのも扱い方ですね。煙の掛け方が一番大事なんですよ。餌をやりに行ってる時は、蜂は向かってこないけど、蜜を採りに行った時には向かってきますよね。蜂が荒いというのは、どこかに問題があるんですよ」
採蜜を始めるために福留さんが巣箱から巣板を取りだし、巣箱の横に立て掛けると蜂は乱れ飛ぶように体の周りにまとわり付いてくる。すかさず巣板を運んでいた賢一さんが、福留さんに寄り添うように近づき燻煙器で煙を掛けて蜂を落ち着かせようとするが、一旦は落ち着いてもすぐに元の荒れた状態に戻ってしまう。
巣箱から少し離れた所で蜜蓋切りをしていた桐井さんが、「今日の蜂はしつっこいね。何だって寄ってくるんだ。蜂は匂いに敏感といっても俺には加齢臭しかないんだけどな」と笑っている。
採蜜のために巣箱から巣板を取り出すと周りに蜜蜂が乱れ飛ぶ
アカ蜂場の採蜜を終えて山田蜂場へ移動した後、軽い朝食を兼ねてお茶の時間を過ごす。まとわり付く蜜蜂が居ないと気持ちも安らぐ
この日採蜜したアカシア蜂蜜の一斗缶を倉庫に納める。缶の上には採蜜した日付と蜂場を記入しておく
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