2019年(令和元年8月) 35号

発行所:株式会社 山田養蜂場  http://www.3838.com/    編集:ⓒリトルヘブン編集室

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そんな高価なもんなら自分で飼う

 「65年ほど前でねぇかい。こっから4キロぐらい先の山ん中、山を3つ越えた所に新沼という6軒の集落があったんだ。夏、炭焼きしてて、奥山さ行かねばなんねえもんだから、山の小屋さ居ると、真っ黒な大きな塊がワーッワーッって飛んでんだ。炭焼き小屋から30メートルくらいの所だ。それが大きな蜂の塊だったんで、家まで2キロ走って、ふすま袋(家畜の餌を入れる紙袋)に入れてリンゴ箱で飼っておっただけど、どんどん少なくなってくんだ。その頃、飯豊町(いいでまち)に蜜蜂飼っている人が一人居ったんでな。共同電話でその養蜂家に相談したんだ。持って来いってんで、歩いて持って行ったんだ。『これは日本蜜蜂ではねえ、この蜜蜂を蜂蜜2升で買う』って言うんで、そんな高価なもんなら自分で飼うっていうんで、巣箱を借りて巣板を借りて、女王蜂は1000円だか2000円だかで買って、日当が350円か400円の時代だから、結構高かったんだ。それで蜜蜂を飼い始めたんだ。蜂蜜や牛乳、卵なんてものを食べる人は、当時ほとんどいなかったから」

 山形県西置賜郡(にしおきたまぐん)飯豊町の自宅で寛いでいた甚平姿の土屋清蔵(つちや せいぞう)さん(83)が、蜜蜂を飼い始めた経緯を聞かせてくれた。土屋養蜂の始まりである。清蔵さんは現在、現役を引退し、長男の光栄(みつえい)さん(57)が土屋養蜂の代表を務めている。

都会は駄目です。人込みもだめです

 夏の昼食は毎日でも、山形名物の冷やしラーメンというほど麺好きの光栄さんは、自宅でも奥さん手造りの冷やしラーメンだ。昼食が終わった光栄さん、父親の昔話に記憶を呼び起こされたように話を受け継ぐ。

 「私もそこ(新沼集落)で小学校5年生まで暮らしました。冬は雪に閉ざされて陸の孤島でしたけど、小学校の分校がありました。この奥に似たような集落が3つあったんですよ。6軒あったうち最後は2軒になって、私が小学6年の秋に飯豊町に3つあった小学校が一つに統合されることになり、田んぼの収穫が終わってから、雪に閉ざされる冬になる前に町へ出たんだと思います。田舎で子ども時代を過ごしたからでしょうね、今でも都会は駄目です。人込みもだめです」

 「物心付いた時には、もう身近に蜂はおったんで……。5群かな10群は居なかったと思います。当時、実益は無かったと思いますが、いつも蜂と一緒に居たいと思っていましたね」

農業と林業、それに養蜂の3本柱

「実は、親父は私が家の仕事を継ぐのは大反対だったんですよ。高校も短大も親に行けと言われたから取りあえず目標も目的もなく行ったけど、卒業してから転職も含めてサラリーマンをやって8年目に、親父が山で仕事をしていて、伐った木が跳ねて親父の腰に当たって骨を折って3日目だったかな、ずっと勤めようと思っていた会社だったし、良い先輩にも恵まれていたんですけど、家の仕事を何とかしなければと思って辞表を出したら、その時も反対されて、親父の怒った顔が今だに忘れられないですよ」

 「15年くらい前かな、母が脳内出血で倒れて左半身が不随になりましてね。親父がずっと介護してですね。母は一人では何もできなかったので、ずっと父が付きっきりでですね。それが切っ掛けで、親父は現役を引退して、私が主に家の仕事をやるようになったんです。当時は、農業と林業、それに養蜂の3本柱だったんですけど、冬は炭焼きをしていましたね。始めた時は養蜂にはあまり力が入ってなかったんです。親父は農業がメインで、1町2、3反から8町歩まで拡げたんですけど、養蜂は250群から280群を行ったり来たりしてたんで規模は変わってなかったです」

蜜蜂を飼い始めた頃の思い出を
聞かせてくれた土屋清蔵さん

冬の間使っていた炭焼き窯

農業はスパッと止めました

 蜜蜂と一緒に居たいと思う気持ちが潜在的にあった光栄さんだからこそ、会社勤めがこれからという時だったにもかかわらず、家業を継ぐ決断できたのだろう。光栄さんは、2年前にも大きな決断をしている。父親の清蔵さんが10年余り付きっきりで介護をしていた母親が亡くなった翌年である。

 「農業はスパッと止めました。親父が拡げた8町歩の田んぼ全て。温暖化なのか春が早くなってるんですよ。花が早くて……。農業を止める前年の田植えが終わる頃には、もうアカシアが咲いていたんですよ。それで一回目は採蜜できずにやり過ごしたんですけど、その時に決断したんです。去年の春が百姓を止めた最初の春で、その決断が良かったんです。5月20日ごろにはアカシアを採ったのかな。うちの採蜜のサイクルは、最初がサクランボ、その後、1回は百花蜜を採ってアカシア蜜、トチ蜜と続きます。他ではやっていない、アカシア蜜の前に百花蜜というひと手間を加えると、きれいな透明なアカシア蜜が採れるんですよ。自分で売りたいと思った蜜を売っているんで、今は全部、自分のところで蜜は売り切っているんです」

 「今年は4月20日ぐらいかな、霜が降りたんですね。そうなると、花が咲き切らないままのトチ蜜も混じって品質が落ちてしまうんですよ。例年だとアカシア、トチの後にキハダが来るんですけど、今年はゼロでした。去年は良いトチ蜜が採れたんですよ。蜂蜜の品質は色と味ですよね。通常だと一斗缶60本あると間に合うんですけど、去年は売れ行きが良くて間に合わなかったんですよ。お客さんはきちんと味みているなぁと思って……。アカシアと違って、トチは年によって品質に波があるんですよ」

内検に出発する前に継ぎ箱を倉庫から運ぶ

山形県養蜂協会が開発したハイブリッド巣箱に、
土屋さんのメモがピンで留めてある

生まれたばかりで未交尾の女王蜂

蜂もバテていますけど、人間もバテます

 土屋養蜂が管理している養蜂場は、稲作地帯として散居集落を構成する置賜盆地を囲むように連なる飯豊連峰の裾野に6か所点在している。今年の採蜜は終わり、すでに来年のサクランボの花にポリネーション用で貸し出す群や、採蜜のための元群(来年の採蜜の際に主力となる群)を作るために割り出した蜂群を合同した蜂群の管理の時期が始まっていた。

 面布を着け防護服を着て、真夏に炎天下で行う内検は、体力の消耗が激しい。光栄さんの鼻先からは、途切れることなく汗が滴り落ちている。

 「この暑さで蜂もバテていますけど、人間もバテます。6月下旬までには、だいたいの仕上げをして、お盆前には仕上げるのがうちのやり方。元群をお盆前に仕上げます。新王が生んだ卵がサナギの状態になっているんで、今のうちに空き巣を増やして、サナギから一斉に成虫になったとしても対応できるようにしておきます。予めこうやっておくと、手間も掛からないしお盆の間もゆっくり休めますからね。秋風が吹き始めると巣が冷えるので、そうはできませんけど、今の時期だと巣が冷える心配がないので対応できるんです」

蜂屋の仕事は毎年違う

 養蜂を始めて5年目に入った二男の裕太(ゆうた)さん(26)が、光栄さんと一緒に合同した群の女王蜂の状態を内検している。光栄さんが期待を寄せる土屋養蜂の3代目だ。8町歩もあった田んぼを全て止めてしまうという2年前の大きな決断の背景には、跡を継ぐ裕太さんの存在による後押しがあったことは容易に想像できる。

 「高校出てから、親父に『都会に出てきなさい』と言われて、そこで自分に合った仕事があるかも知れないと思って、派遣の仕事から始めたけど、2、3年で戻って来たんです。どの仕事もという訳じゃないけど、都会の仕事はある程度決まっているじゃないですか、でも蜂屋の仕事は毎年違うじゃないですか。どうしたら良いか、迷いながら考えるのが蜂屋の面白いところかな。まだ4、5年ですけど一番嬉しいのは、秋に千葉へ行って越冬した蜂が、蜜を持ってきてくれた時ですね。今の時期、移虫した女王蜂が交尾して立派な王になって、蜜蜂群がどんどん増えていくのを見るのも好きです。蜂屋になって一年目は、『家族と同様に蜂を可愛がっている』と親父が言っていたのがピンとこない面もあったのですが、今になって、その言葉を実感するようになりましたね」

 「親父が増やした群数を自分でも管理できるようになれば、自分なりのやり方もあるかも知れないけど、今は、親父と一緒にやる時期、親父は失敗するのを分かっていてもやらしてくれるんで、それは有り難いですね。親父も失敗から学んできているので」

 物わかりの良い息子の模範解答のようにも聞こえるが、父親も大きな掌の上で仕事をする息子を暖かく見守っているようだ。

炎天下での内検に一区切り付け面布を取ると、
心身が蘇り、ホッとした表情を見せる光栄さん

採蜜が終わると、蜜蜂群を割り出して合同し
群を増やす時期に入る

合同した蜜蜂群に餌として与える人工花粉

蜂と会話できるのは巣門の前

 「恐らく息子もこれから先、一回や二回、失敗すると思うんですよ。それを思うと心配なんですけど、それを乗り越えてくれると、ようやく安心して任せられるんですけどね。その為という訳じゃないですが、ちぃっちゃい頃からうちの手伝いはさせていたというか、高校の文化祭なんかの時も、うちの仕事を優先するのが当然と思ってましたからね。基礎さえきっちりできていれば、群は増やしてもやっていけるんですよ。『俺のやり方だけが全てではないから』と言ってるんですけどね。自分なりのやり方をやっていかないと、……。基礎といえば『蜂と会話できるのは巣門の前だからな』と、息子には言ってるんです。私も時間があれば巣門の前を歩いているんです。何か異変があればそこに現れますから、後は、息子がそれに気付けるかどうかなんですよ」

 「息子が一人前になってくれるまで、目標はあと3年、お盆前に割り出しを終えたら、後の現場は息子に任せて、60歳で引退しようかと思ってましてね」

 光栄さんの60歳で引退という希望が叶うかどうかは分からないが、裕太さんが一日も早く一人前の養蜂家になるのを待つ親の気持ちは率直だ。

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