2019年(令和元年9月) 36号

発行所:株式会社 山田養蜂場  http://www.3838.com/    編集:ⓒリトルヘブン編集室

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石になりなさい

 在来種である日本蜜蜂の伝統的な養蜂が受け継がれている長崎県対馬市は、福岡から海路で147㎞、韓国の釜山からは49.5㎞の位置に在る国境の島である。西洋蜜蜂の居ない対馬では、1年に1回だけ秋口に採蜜を行うと聞いて、9月下旬、対馬市豊玉町の扇米稔(おうぎ よねとし)さん(73)を訪ねた。

 蜜蜂が、春一番から花蜜を集め始め、花の盛りの初夏を過ぎ、さらに夏を越えて秋口まで集め続けた濃密な蜂蜜を、9月中に採蜜するのだ。もちろん越冬する蜜蜂の食料として必要な分を残しておかなければならない。対馬では、10月に入るとセイタカアワダチソウの花が咲き始める。その蜜が混じる前に採蜜をするのが美味しい蜂蜜には必須である。

 朝9時、跳ね上げ式サングラスを掛けた扇さんが、自宅玄関前のキウイフルーツの棚の下で、蜜切り(採蜜)をする仲間たちが集まってくるのを待っている。

 「私の本業は配線工なんですよ。昭和51(1976)年に東京農大の田村繁美先生が花粉交配用に蜜蜂の増殖を研究するため対馬に来られた時、配線を頼まれたのが縁で、蜜蜂24群を捕って先生に送ったんです。それで蜜蜂の面白さを知って、その翌年から自分で蜂を飼っております。でも、田村先生は何も教えん人で、『蜂を好きになりなさい。蜂を怖いと思ったら石になりなさい。扇さん、あなたは大群で飼いなさい』と3つだけ言われ、その時、私は31歳でした。細かいことは指導受けられんもんですから、色々自分でやりましたね。いっぱい蜂を潰しましたよ。当時の対馬は、山の木の洞とか岩の割れ目とか、そういう所に蜜蜂が営巣しとったです」

燻煙器の煙を掛けながら蓋を取った一段目の蜜房

2段目の重箱型蜂洞には黄金色に輝く蜂蜜がぎっしり
溜まっている

活動が活発ではなかった群の2段目の蜜房には

餌となる花粉の塊が混じる

6層になった蜜房が現れた

 扇さんから蜜蜂を飼い始めた頃の話を聞いているうちに、蜂飼い仲間の作元良光(さくもと よしみつ)さん(68)が顔を出した。

 「家内を貰ってから蜂を始めたので、もう40年になるかな。現在、蜂洞(はちどう)は16本。うち、9本は蜜切りして、7本を年越しの蜜として残しました。今年の蜜と年越しの蜜は別にしとります。私ゃ販売はせんから、親戚や友だちに分けてやったら、もう無くなってしまうとやけん」

 作元さんは扇さんの後輩と聞いていたが、すでに日本蜜蜂の世話をして40年、立派な蜂飼いなのだ。作元さんに続いて、斉藤長生(さいとう たけお)さん(72)と国分猛志(こくぶ たけし)さん(72)もやって来た。この2人は最近になって蜂飼いを始めた扇さんのお弟子さんである。

 「裏の蜜を切ろか」と、扇さんが3人に伝える。扇さん宅の裏庭に行くと、山裾に沿うように5本の重箱型蜂洞が並んでいた。

 大した打合せもないまま、面布を被った作元さんがコンコンコンコンと左端の蜂洞の蓋を棒で叩き始めた。「蜂が下がらんな」と、誰に言うともなく首を捻っている。作元さんと替わった斉藤さんも棒で蜂洞の蓋や横をコンコンコンコンと叩き続ける。作元さんは、電動ドライバーで蓋のネジを外しに掛かる。ネジを外すと、燻煙器の煙を蜂洞に吹き込む。扇さんはと見ると、面布も被らずに後ろの方で大きなポリタンクを準備している。

 「蜂が下がらんな」と、作元さんが再び口にする。斉藤さんが蜂洞を叩き続けていると、蜂洞の一番下の隙間から蜜蜂が少しずつ外に現れ出て来た。

 作元さんが蓋と本体の隙間に、刃渡り約40㎝幅5㎝ほどの薄い刀のような刃物を差し込み、自分に引き寄せるようにして蓋に付いた蜜蜂の巣を切り離す。蓋を切り取ると木枠にびっしり6層になった蜜房が現れた。1段目は少し黒ずんだ蜂蜜だったが、2段目を切り離すと、ねっとりとした濃い黄金色の蜂蜜がびっしりと詰まっていた。

上までびっしり蜜が詰まっとる

 扇さんは、蜜切りをしている3人の後方で、蜜房の詰まった重箱を大きなポリタンクの上に載せ、刃の無い両刃鋸のような道具で重箱から蜜房を切り離してポリタンクに落とし込んでいる。ポリタンクに蜜巣ごと貯めた蜂蜜は、この後、数日間掛けて晒し木綿で漉し、不純物を取り除くのだそうだ。

 扇さんが使っている重箱型蜂洞の内寸は、18㎝×24㎝、1段の高さは12㎝、板の厚みは3㎝と決っている。この重箱型巣箱を6段重ねにし、上2段は貯蜜圏、中2段は給餌圏、下2段が育児圏の役割を担っている。採蜜は上2段の巣を切り取れば蜂蜜だけを蓄えた巣房を採ることができる訳だ。もちろん蜂蜜は、花粉を貯めている中2段や女王蜂が卵を産み付けている下2段にも蓄えられているが、それらの蜂蜜は、これから冬を迎えて越冬する蜜蜂の食料なのである。

 蜂洞には、1群ずつ楕円形のプラスチックの白い札が下げられ、その群の女王蜂が誕生した日付と、裏には血統が記録されていた。

「12㎝の高さなんですけど、私はそれを6段使うとるんです。圏はエリアという意味ですね。冬が寒い時には、残した蜜だけでは餌が足りんことがあるから、餌として砂糖水は与えなさいと言いよるんですよ。砂糖水をやったら砂糖蜜になるじゃねえかと言う者がおる訳ですよ。馬鹿たれちゅうて……。7月に蜜を切って、9月の末に切るとでは1㎏から2㎏は減るよって。夏を越すと、それだけ花が減って、採る蜜の量も減るから、蓄えて置いた蜜が餌になりよるちゅうことですよ」

 「重箱型蜂洞が6段までになって下まで巣が出来とらんと、蜜は2段採れんぞと教えるけど、うちの後輩でも5段で2段採るちゅうて、そしたら、給餌圏に入っとるから花粉が出るよって……。5段の場合にも2段も蜜を採るちゅうては(とは)俺は教えておらんよって……。5段で蜜が一杯溜まっとる時は1段だけ蜜を採ればいいんです」

蜜切りが終わると扇さん宅の応接間で蜂飼い仲間の昼食。さっそく蜜切りの反省会が
始まり、蜂談義が弾む

自宅玄関前に日陰を作るキウイフルーツの棚の下で、蜂飼い仲間と蜂談義をする扇米稔さん

気温が下がっちょるけん、蜂が動かん

 この日、扇さんたちは4本の重箱型蜂洞の採蜜を行った。中には蜜蜂群の勢いが弱く採蜜を1段だけで終えた蜂洞もあったが、概ね蜜蜂の活動は順調だ。予定の採蜜を終えた後は、少し早いが皆で昼食だ。さっそく今日の採蜜の反省会が始まった。

 「蜂が下がらんで、あがん困ったことはなかったもんな。働き蜂を傷めてしまうし、一匹でも殺してしまうというのは蜂が可哀想で……。今日のように蜂が下がらんとは初めてやし、こげん蜂を傷めたとも初めてやもんな」

 作元さんが弁当を食べながらぼやいている。

 蜜切りをする前に、棒で蜂洞を軽く叩き、煙を噴き掛けて蜜蜂を蜂洞から下へ追い出すことができれば、作業の途中でうっかり潰したり、蜜に溺れさせたりして蜜蜂を死なせることはないのだがと、残念がっているのだ。

 そこで、「気温が下がっちょるけん、蜂が動かんとじゃけん」と扇さんが慰めるように言う。慰めているのか冷やかしているのか、「あんたは我が腕を認めんなあ」と続けた。扇さんが「後輩」と呼ぶ作元さんとは、蜜蜂の付き合いを始めてからでも40年になる間柄だからこその阿吽の呼吸とも言えるやりとりだ。

 どうやら日本蜜蜂の愛好者を対馬で増やした張本人が扇さんのようだが、対馬の日本蜜蜂の歴史は古いと扇さんが言う。

 「対馬には昔から蜜蜂は居っとです。対馬の藩主宗家10万石の古文書には江戸時代に将軍様へ献上品として蜂蜜を持って行ったという話もあるそうです。上の郷に峰町という所がありますが、そこの小牧宿禰(おひらすくね)神社の境内には、有志7名が蜂の神様ちゅうてね、大正6年に「ハチドウガミ」を祀ったという祠もありますしね。対馬の蜜蜂は亜種で対馬在来種。在来種とは何かというと、DNA鑑定ができるようになって判ったんですが、本土の日本蜜蜂と対馬の蜜蜂とはDNAが少し違う。𠮷田先生がそう言うんです。『微妙に対馬在来種やね』ということなんだそうです」

 「私は西洋蜜蜂を飼うたことはないですが、あんなに荒くないです。日本蜜蜂は温和しいですから、どなたでも素人でも飼える。蜜蜂には、大きく分けて西洋蜜蜂と東洋蜜蜂がおって、東洋蜜蜂の亜種として在来種の日本蜜蜂ちゅうのがあるんです。日本蜜蜂が一番温和しいですからね、可愛いですがね」

 扇さんの話は、蜜切りの反省会から養蜂勉強会の様相となり、ますます熱を帯びてきた。

 「私は10群養蜂。趣味の養蜂ですから、養蜂家でも何でもないから、10群だけしか持たんぞという養蜂をやっとったんですよ。でも今は、サックブルード病が出ていて(防除のためにやむを得ず)蜂を潰す人たちがおるもんですから、種蜂を貸し出してやろうと思って増やしています。10群養蜂は私が勝手に言ってるだけで、庭先養蜂とか趣味の養蜂とかと同じですよ」

 こんな扇さんの言葉の端々に、対馬の蜂飼いの指導者としての自負が滲んでいる。

 「蜜蜂の働きは、蜜を集めるばっかりじゃなく、花粉交配ばっかりじゃなくて、人まで運んで来てくれますからね。お陰で私は色んな人との出会いがあった。アメリカ人もタイ人も来て話したことがあるが、玉川大学の𠮷田忠晴先生はもう30年ぐらい毎年来よったですからね。長い時は10日間ぐらい泊まり込んだことがあるけんね。吉田先生が、対馬に巣箱を持った蜂飼いが1000人おって、日本蜜蜂は4000群おるよちゅうのを調べて話したことがあるですよ。だから、その頃の蜜の量ちゅうのは大変なもので、そりゃ採れましたよ。

だから大きな3段の巣箱でやっていましたよ。対馬には町が6つありましてね、公民館講座で蜜蜂の話をしたんですよ。峰町、上対馬町、美津島町、それに豊玉町でしょ。大勢で来たのは厳原(いづはら)町と上県(かみあがた)町だったのですが、それから極端に蜂飼いが増えたと思いますね。昭和53(1978)年頃は、この郷で蜂飼いは3名でしたからね」

微妙に対馬在来種やね

蜜蜂は人まで運んで来てくれます

蜜蜂が巣箱の下から出始めると、
作元良光さんが蜜切り包丁で重箱型蜂洞の
2段目までを切り離す

巣箱に詰まった蜜房を、扇さんが
ポリタンクに切り落とす

蜂洞を傾けて、下から巣房の成長状態を
確認してから蜜切りを始める

スズメバチは女王蜂だけが越冬するんです

 秋口になると天敵として蜜蜂を襲うのがスズメバチである。中でも対馬の日本蜜蜂の養蜂家を悩ましているのが、環境省から特定外来生物として指定されたツマアカスズメバチだ。

 「対馬には5種類のスズメバチが居るんですよ。例年、8月からオオスズメバチも来ます。オオガタ、コガタ、ヒメ、キイロ、ツマアカ、この5種類のスズメバチが居るんですよ。猛威を振るうとんのがツマアカスズメバチですよね。それで私は3月20日からトラップ(罠)を掛けとりますよ。女王蜂を駆除するトラップです。中身はカルピス180ccに水を120ccが基本。300ccの量になるとスズメバチも溺れるやろ。それに私はドライイーストを1袋加えますけどね。対馬市と環境省は4月15日からトラップを掛けろと言うけど。スズメバチは女王蜂だけが越冬するんですよ。女王蜂は10月に孵り(生まれ)、雄蜂もその頃に活動して、女王蜂と交尾をします。その後、働き蜂や雄蜂は死にますけど、女王蜂は越冬するんです。身体に貯めておいた脂肪を栄養にして、朽ちた倒木や土の中で冬を越します。春になり、女王蜂が目覚めて幼虫が生まれるまでの期間、営巣前の期間じゃなければ、女王蜂はトラップに入らんです。

巣房の成長が良くなかった群の蜜切りをすると、あってはならないことだが女王蜂が上に出てきたため群に戻す

蜜切りが終わって蓋を閉じようとする
頃には、外に出た蜜蜂が溢れている

女王蜂が飛び回る期間にトラップを掛ける。早く目覚める奴もおるし遅いのもおる。だから環境省が4月15日から掛けろって言うけど、トラップを掛ける時期をもっと早くせないかんということで、私は3月20日からやったですが、そのお陰で4月に17羽捕りましたから。今年はトラップ50個ですよ。弟が35個」

蜂を好きにならんば、蜂飼いはできん

 春先にツマアカスズメバチの女王蜂は、卵を産み一つの群に成長する。その群の働き蜂は、蜜採りに出た蜜蜂が蜂洞に帰って来るのを巣門の前で待ち構え、隙あらば蜂洞の中に入り込もうとしているのだ。

 「6ミリの網を通るツマアカスズメバチは、10羽に1羽くらいしかおらんから、6ミリの網を巣門の前に取り付けたら効果があるよっちゅうたら、今度の休みは1週間後やけんと言う蜂飼いが居るとです。お前ね、1週間も待たしたら蜂は潰れるよっちゅうて、そんな蜂飼いなら、もう蜂は飼うなって言うんですよ。蜂を好きにならんば、蜂飼いはできんです。生き物ですから、真剣に向き合ってやらんば。蜂がこうして貰いたいんだろうと感じたら、パッとそうしてやらんと大打撃を食いますよ」

 さすがに蜂飼いの先生と言われる扇さん、蜜蜂の命に係わることには手厳しい。対馬の日本蜜蜂が危険に晒されているのは、天敵のスズメバチばかりではない。もっと深刻なのはウイルスの感染によるサックブルード病である。

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