2020年(令和2年3月) 39号

発行所:株式会社 山田養蜂場  http://www.3838.com/    編集:ⓒリトルヘブン編集室

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夜中に群から追い出されて

 太さんは、紀元杉に居る時から何やらそわそわとしていた。

 昨日、松峯蜂場で巣板の隅で働き蜂に囲まれていた女王蜂のその後が気になっているのだ。

 昼前になると雨は上がった。太さんが何をおいても松峯蜂場へ急ぐ。到着すると、直ちに目指すバナナの木の傍の巣箱へ。交尾に飛んで行った女王蜂が帰って来ているかどうかを確かめるため、巣板の蜜蜂の動きを丹念に見つめる。

 「あっ、居た」と、太さんが明るい声を上げた。「これだから丁寧に見ないといけないんですよね。見落としたまま、女王蜂が居ないと思って、合同していたら大変なことになっていた」と、安堵の表情である。間違いなく交尾して帰って来た女王蜂だ。「2、3日したら、卵を産み始めるかもしれませんね」。

 見つける前までは、女王蜂が交尾できないで帰って来て、群から追い出されてしまっていると思い込んでいたようだ。通常なら、1月のこの時期に交尾は難しいので、そう思うのも当然といえば当然だった。しかし、無事に交尾を終えて、巣箱に帰っ来ていたのだ。

 「夜中に群から追い出されて、巣箱の外の寒い夜に凍え死んでいくのかと思うと可哀想で切ないですね。(蜜蜂の世界は)厳しい世界だと思いますね」

養蜂家は蜜蜂のマネージャー

 太さんは、女王蜂を見つけられたことで気持ちに張りが出たのか、午後は船行蜂場へ向かった。船行蜂場の周辺は、広大な耕作放棄地が広がっている。

 「いつかは、この耕作放棄地全部を花畑にして、蜜を採りたいと思っているんですよ」。見渡す限りの花畑に飛び交う蜜蜂の群を描く壮大な計画だ。いや、まだ今は夢なのかも知れない。

 1月の太陽は、早々と西に傾き始めていた。

 内検を進める太さん、卵の数を確かめ、餌となる蜜の溜まり具合を確かめた後、新しい巣板を加えて9枚群にした。9枚群といえば、採蜜時の最も勢いのある群と同じ巣板の数だ。

 「これから数日は暖かい日が続きそうなので、新巣を入れても巣箱が冷えることはないかなと思ってですね。これだけ蜂数が居れば、心配する必要はないかなと思いますけどね。養蜂家は、蜂が働きやすくなるようにマネージャーみたいな仕事をしなければいけないんですよね」

 気温が上がれば、蜜蜂の動きは活発になる。次に内検をするまでの日数を頭に描き、それまでの天気の変化と気温の変動をイメージし、増える蜂数を予想して巣板を増やしたのだ。

 養蜂を始めて2年半ほどなのに、蜜蜂群の動きを読む技術はすっかり太さんの身に付いたようだ。しかし、忘れられない失敗もあった。

 「去年、ダニにやられた群があって、ダニの駆除剤を入れて大事にしていたんですよ。内検の時に、おかしな音がしていたのに気付いていたんですけど、音の原因が分からず、そのまま巣箱の蓋をして帰ったんです。後で考えてみると、あの音は日本蜜蜂が餌(蜜)を取りに来たんでしょうね。日本蜜蜂にやられて全滅していたことがありました。蜂のコンディションが圧倒的に悪かったということなんですけど、西洋蜜蜂の巣が日本蜜蜂にやられるなんて考えてもなかったんで、衝撃だったですね」

追い出された女王蜂(中央)が、翌日は無事に交尾を終えて群に帰って来ていた

無農薬、無化学肥料の蜂蜜の魅力

 養蜂家の喜びは、養蜂家が思い描いたように蜜蜂が働いてくれることだ。

 「巣礎に蜂が巣を盛っていってくれているのを内検で確認していくのは楽しいですよね。戦略ゲームみたいで、こっちの狙い通りに盛っていってくれていると、シメシメって感じですよね」

 しかし、何と言っても養蜂のクライマックスは採蜜だ。太さんと律さんは、昨年、初めての採蜜を経験したばかりだが、その時の感激は忘れられないと言う。

 「初めての採蜜の時は、師匠と3人で涙を浮かべながら味見しました。それは去年の7月20日、忘れられません」と律さんが言えば、太さんが、その時の感激を一気に話し始めた。

 「それまでは蜂を増やしていくことで精一杯でしたからね。蜜を搾った時の感動は忘れられないですね。巣箱を置いている蜂場によっても蜜の味は違いますから面白いですよね。タンカンの蜂蜜は、さっぱりと優しい甘さです。タンカン畑に巣箱を置かせてもらったんです。レンゲの蜂蜜は、自分たちで種を蒔いたレンゲで、去年は11キロしか採れなかったです。百花蜜は、夏を越して秋に搾ったんですけど、センダングサも入っていると思いますけど、香りの濃い馴染みのある甘さですね。糖度は82度、口の中でねっとりしますけど、舌の上で溶けていきますよ。自分たちからすると、蜜蜂が一生を通じて集めた蜜の価値を考えると、売られている蜂蜜の価格は安すぎると思います。私も嫁も、お酒の業界に居たので、ウィスキーのブレンダーのような役割を果たすことはできないのかなと思っているんですけどね」

 昨年は、耕作放棄地を自分たちで耕し、レンゲの種を蒔いて花畑にしたのだそうだ。

 「自分たちで花畑にして、自分たちの花畑から蜜を採りたいと思っているんです。昨年のレンゲ蜜は11キロしか採れなかったですが、無農薬、無化学肥料の蜂蜜の魅力ですよね。去年は花の少ない年だったので、今年からは巣箱1箱につき1シーズンで30キロぐらいは採りたいと……」

 船行蜂場の周りの耕作放棄地を花畑にする構想は、すでに始まっているのだ。3年目のシーズンは今、越冬から動き始めたばかりだ。

自宅居間で久保太さんと妻の律さん、それに生後2か月の天音ちゃん。

「初めての子どもが女の子だったので、もうメロメロですね」

玄関まで見送りに出てくれた天音ちゃん

手付かずの自然の神秘さ

 屋久島町の人口は約12,000人。その内の3〜4,000人ほどが島外からの移住者だといわれている。

 「屋久島は人が面白いですね。県外から移住して来られた人も多くて、色々な個性的な仕事をされている。屋久島で暮らしている人びとは、好きなことをしている人だから、魅力的に見えますよね。屋久島の魅力は、自然が豊かとか深いとかいうレベルではなくて、手付かずの自然の神秘さなんでしょうね。冒険好きのガイドさんのSNSなんかを見ると、これが屋久島かというような風景が出てきますもんね」

 同じ移住者としての親近感もあるのだろう。太さんが養蜂家としてやっていくと決断した時の要因の一つが、屋久島の自然のフィールドを活かして魅力的に生きる移住者としての先人たちの存在だったことは、律さんが話してくれている。

 太さんの仕事を離れた時間の楽しみは、釣りだ。

 「趣味で釣りをするんですけど、屋久島は釣りをする人間にとっても魅力的なところなんです。スマガツオ、時期によってはマグロよりも美味しい魚です。歩いて行ける場所で、キハダマグロ、カンパチが釣れたりするんですよ。大きいのは体長1メートル以上、ルアーを使った釣りなんですけどね。私が『屋久島が好き』の理由の一つなのかも知れませんね。対馬海流と黒潮がちょうど屋久島の南で別れるんですよね。屋久島の山の魅力はよく言われますけど、北の魚と南の魚が入り交じってて屋久島の海も魅力的なんです」

日常が淡々と過ぎて行く幸せ

 我が国で最初に世界自然遺産に登録された屋久島の魅力が移住者を引き寄せているのは、太さんの話からも伝わってくる。太さんと律さん夫妻も、偶々仕事の転勤で屋久島に移住したのだが、住み続けるうちに「手付かずの自然の神秘さ」に惹かれて屋久島で暮らし続ける大きな選択をしたのだ。その手掛かりとなったのが養蜂家への道だった。2人は、なんと幸せな選択をしたのだろうと、短い間だったが太さんの仕事ぶりを見せてもらって腑に落ちた。

 それに輪を掛けて、太さんを喜ばせる出来事が、昨年暮れにあった。

 「初めての子どもが女の子だったので、もうメロメロですね」

 太さん律さん夫妻の第1子、天音(あまね)ちゃん(2か月)が誕生したのだ。

 「今日は、今から子どもを風呂に入れて、晩ご飯の準備をしなくっちゃ。こんなことができるのも、養蜂家の豊かさの一つかも知れないですね。サラリーマンの時代だったら絶対やってないですね。風が暖かいとか、雲が南から流れてきているとか、湿気を含んだ風なんで、南東側が天気が悪くなるなとか考えたりするようになったのも、養蜂家になってからですもんね」

 取材を終えた別れ際、太さんが嬉しそうに私に言った言葉だ。

 太さんは無意識だったかも知れないけど、屋久島の自然の魅力に包まれた幸せ、何気ない日常が淡々と過ぎて行く幸せ。こんな極上の暮らしが屋久島にある。

新しい試みのたんかん蜜と百花蜜のブレンド蜜。「お酒の世界に居たので、

ブレンダーの役割を果たすことができないのかなと思っているんですけどね」

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