2020年(令和2年3月) 39号

発行所:株式会社 山田養蜂場  http://www.3838.com/

編集:ⓒリトルヘブン編集室 〒880-0804 宮崎県宮崎市宮田町8-7赤レンガ館2F

バナナの木が立ち並ぶ松峯蜂場

 「ポンカン、タンカンなど柑橘系の蜜が終わると同時に、春の大流蜜期が始まりますね。シャリンバイ、トベラ、それからは色々な花が入り乱れます。百花蜜の中ではアカメガシワの割合が高いですね。それにアブラギリ、モチノキも入ってきますし、タラノメ、カラスサンショウで流蜜期が終りに向かうってことですかね。その流蜜期に重ならない花を自分たちで植えているんです。レンゲ、菜の花、ヒマワリなんですけど、中でも菜の花は蜂の食料として重要なんです。蜜蜂には12種類のアミノ酸が必要と言われていて、そのアミノ酸のほとんどが菜の花の花粉に含まれているんです。ただ、鹿が多くて、植えたヒマワリの芽はバクバク食べられてしまって……」

 傍らにバナナの木が立ち並ぶ松峯蜂場の巣箱を内検している久保養蜂園・屋久島ファームの久保 太(くぼ ふとし)さん(37)の話しぶりから、花が絶えない屋久島の奥深い自然に魅了されているのが伝わってくる。菜の花の種を蒔いたという蜂場前の畑を見ると、菜の花の若葉が10センチほどに伸びていた。

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    彼のときめきは忘れられません

     太さんは、鹿児島市内の焼酎メーカーの営業マンとして働き、転勤で屋久島に移り住んで丸8年が過ぎている。3年前の秋、妻の律(りつ)さん(39)がローフードに使える島の食材を探している頃、「これが本当の屋久島のローフードだ」と感激した蜂蜜の原点を知りたくて養蜂場へ見学に行った時、太さんも一緒に見学していて蜜蜂にはまったのだと言う。

     「妻は鹿児島の同じ焼酎メーカーで杜氏をしていたんです。妻の方が島の食材として蜂蜜に関心を持ち始めていて、蜂場へ見学に行く際、たまたま一緒に行っただけなんです」

     しかし、それが「人生が変わった瞬間です」と、太さん。

     「彼と一緒に師匠の蜜蜂を見に行った時の、彼のときめきの様子は忘れられません。目つきが変わるというか、そんな彼の反応を感じたんです。直感に近いんじゃないかな」

    養蜂を始めるのは大賛成

     太さんが屋久島で養蜂家として仕事をしていくことに、律さんの方が積極的だったのかも知れない。

     「これはいけるんじゃないかと、その時、思いました。私も、自分のやりたいことを突き詰めたくて大阪から鹿児島へ来て、杜氏をやっていて、大変なことには慣れていますし、楽しいことをした方が人生は絶対楽しいと思っているので……、彼が養蜂を始めるのは大賛成でした。それ以上に、彼の魅力が屋久島でもっと活かされると思いました。安定収入よりも『屋久島フィールドで遊ぶ』という生き方をしている以前からの移住者が居てくれたので『何とかできる』と思いました」

     「私は、杜氏の仕事自体は面白くしていたのですが、のめり込み過ぎて体調を崩し、その時は会社を辞めていたんです。一緒に養蜂をやる人を探していた師匠から声を掛けてもらって……。屋久島を気に入っていたし、自然の豊かさを実感すると、屋久島というフィールドに可能性を感じますね。私は、杜氏という微生物を扱う世界で仕事をしてきました。生き物なので死なせてしまうこともあるじゃないですか。そういう生き死にの事柄一つ一つに心が育てられますよね。微生物も蜜蜂も自然と調和しないと出来ない仕事ですからね」

    小さな1群でスタートした

     太さんが、鹿児島県熊毛郡屋久島町で養蜂家として仕事を始めて、丸2年が過ぎた。

     「サラリーマン時代に趣味で飼っていた期間が5か月ぐらいありますから、蜂を始めて2年半ぐらいになりますね。蜂に出会うまでは、蜂のハの字もまったく興味はなかったんですよ」

     仕事として蜜蜂を飼う決心はできなかったが、蜜蜂を飼ってみたい気持ちが冷めることはなかった。

     屋久島の自然の中で暮らす魅力を体で知った太さんと律さん夫妻にとって、一つの大きな転機が来ていたのかも知れない。

     「仕事の転勤で屋久島に来たんですけど、次の転勤の時には東京だか大阪だかへ行かなければならない時期に来ていたので……」と太さん。これからの人生を経済的に安定しているサラリーマンとしてやっていくのか、屋久島で自らの人生を切り拓いていく道を選択するのかの岐路に立っていたのだ。

     蜂場を見学してから2か月ほど後のことだ。

     「養蜂を始めてみたいと師匠に相談に行った時、ちょうど沖縄から種蜂を20群ほど注文されていて、その中から巣板3枚分を分けてもらったんです。小さな1群でスタートしたのが11月9日でした。時期的には難しかったですね。珍しく雪が降った冬だったので、心配で心配でしょうがなかったですね。夜中に巣箱を見に行って、巣箱に積もった雪をスコップで払ったりビニールシートで覆ったりしました。風が強いとビニールシートが飛ばされていないか見に行ったりですね。それぐらい可愛かったです」

    ポンカンやタンカンの蜜の魅力

     家の裏の緩やかな坂道を上った休耕地に、最初の一箱は置いた。

     「自分の背丈よりも伸びたススキに覆われた所を、師匠と2人、草刈り機で刈って……。人が入れるような所じゃなかったですもんね。師匠が体当たりでやってきた体験を惜しげもなく教えてもらったお陰で、これまでやってこられました。それは紛れもない事実ですね。こういう出会いがあったからこそ、サラリーマン生活に区切りを付けることができましたし……。年を越すタイミングで養蜂家としてやっていくことを決断しましたね。それで会社に伝えて、3月末で退社という流れでした。今でも、師匠はトライアンドエラーを繰り返して、それを私たちに伝えてくれます。研究熱心な方ですからね」と太さんが、2年前を振り返る。それに、屋久島で養蜂家として生計を立てていくと決断したのは、ただ蜜蜂に魅力を感じたからだけではなく、きちんと勝算も踏まえてのことだったと言う。

     「屋久島で養蜂家としてやっていく決断をする時にも、師匠の影響がありますね。世界自然遺産の島で業としてやっているライバルが居ないことと、師匠が採っていたポンカンやタンカンの蜜の魅力がありましたね。会社でもブランディングの仕事をしていたので、良い物は理解して貰えるという自信がありました」

    羽音が聞こえると

    蜜源があるんじゃないか

     「今年の冬は暖冬なんで、春に咲く花に影響が出るでしょうね。やはり一旦、気温が下がらないと、花が咲くスイッチが入らないみたいですね。屋久島はソメイヨシノの南限らしいんですけど、昨年も暖冬傾向だったんで、結局、花が咲かなかったですもんね。養蜂を始めたことによって、花が咲くのに一喜一憂しながら日の出から働いていますけど、自然の変化に敏感になったし、草木に関心を持つようになって、羽音が聞こえてくると近くに蜜源があるんじゃないかと思ったりですね。養蜂家として過ごす日々は豊かだなと、始めてまだ日の浅い自分でも思いますね」

     どうやら2人の人生の大きな選択は、間違ってなかったようだ。

    雄峰のところへ交尾をしに行った

     松峯蜂場で内検を続けていた太さんが、巣板の隅で団子になっていた蜜蜂群を見つけ息を吹き掛けると、蜂の団子が解け、一匹の女王蜂がふわっと飛んだ。

     「女王蜂が生まれたばかりで未交尾だったんですけど、働き蜂に囲まれて追い出そうとされていたみたいで、息を吹き掛けてやったら、女王蜂は巣板から飛び出して一旦はすぐ傍のバナナの木に止まったんですが、また、すぐに飛んでいきましたね。恐らく雄峰のところへ交尾をしに行ったんだと思いますけど、交尾できないで帰って来たら、次にはもう追い出されてしまうでしょうね。(未交尾の女王蜂は)一番過酷なポジションかも知れないですね」

     1月下旬、この時期の内検は、1)女王蜂が健康で卵を産み続けているかどうか 2)餌としての蜜が巣板に充分に溜まっているかどうか 3)スムシが入っていないかどうか などのチェックが主だ。

     基本的には、立春の頃から餌を与え始めて採蜜に備えるのだが、内検では越冬した群の勢いを見極めて、巣板を9枚や10枚まで増やせない群には、早めに餌を与え始めて採蜜時期の4月には蜜蜂群の勢いを調えておかなければならない。

     太さんの蜂場は、3か所。巣箱は合わせて43箱だ。

     「一箱から始めたと思えば、すごいなと思って……。何だか感激しますけどね」

     太さんの内検は巣箱の蓋の開け閉めの時もほとんど音がしない。ゆっくりと丁寧な作業で、蜜蜂を大切に思う気持ちが作業の様子に現れてくるのだ。

    掃除がきれいに出来ていると卵を産む

     バナナの木を背景にして、13箱ほど1列に並んだ巣箱を順に内検していた太さんの横から巣板を覗き込んでいると、動作に落ち着きのない女王蜂が目に止まり、理由を聞いた。

     「女王蜂が巣穴の掃除状態をチェックしているんです。群の勢いが強いと巣穴の掃除が行き届くんですけど、今、内検している群は勢いの弱い群なんで、掃除が行き届いていなかったんでしょうね。掃除がきれいに出来ていると卵を産むんですけどね。」

     女王蜂は1日に約2,000個の卵を産むので、清潔な巣房がなくて焦っていたのかも知れない。蜜蜂の群は、働き蜂の数と餌の量、気温の変化、花の時期の移り変わりなど、養蜂家による世話だけでは賄いきれない自然の影響を受けて変化している。養蜂家は、ただ観察をし、自然の花では餌が足りないと思えば人工の餌として砂糖水を与え、外の気温が下がり過ぎていると思えば、保温のために断熱材を挟み込み、巣箱の中の巣板の数を減らして群を集中させる。

     つまり、養蜂家の仕事はひたすら観察が基本なのだ。

     巣門を出入りする蜜蜂を見つめていた太さん。

     「黄色い花粉団子を付けている子がいるんで、これはツワブキですね」

    太さんのまぶたの裏には、目に見えてはいないツワブキの黄色い花が見えている。

    樹木の霊気を漂わせ

     翌朝は、霧雨模様だった。巣箱の蓋を開けることはできない。太さんが車ですぐ近くまで行ける紀元杉へ案内してくれた。標高1230メートルの地点に聳える樹齢約3,000年の紀元杉は、杉というより樹木の魂のような霊気を漂わせ、私を厳かな気持ちにさせ、思わず被っていた帽子を脱いだ。樹高は19.5メートル、胸高周囲は8.1メートル。道路を挟んだ反対側には、紀元命水と呼ばれる湧水があり、苔むした岩から滴り落ちている。この水に直に口を当てて飲むと、屋久島の自然の力をいただいた実感が湧いてきた。

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