2015年(平成27年2月)4号

発行所:株式会社 山田養蜂場  http://www.3838.com/    編集:ⓒリトルヘブン編集室

〒880-0804 宮崎県宮崎市宮田町10-22-203

和歌山県日高郡みなべ町 中村養蜂園

接ぎ木で増やした南高梅は、自家受粉できない

そのため蜜蜂の交配に頼る

こんな所にまでと思わせる山間部の急斜面に植え付けられた梅の木に、ちらほらと白い花が咲き始めている。そんな急斜面の梅畑を縫うように続く農道を、マイナンバー3838(みつばち・みつばち)の軽トラックが駆け上っていく。中村養蜂園2代目、中村悌(やすし)さん(37)だ。大粒で肉厚な梅干しで知られる南高梅(なんこううめ)発祥の地、和歌山県日高郡みなべ町では梅の開花時期を迎えていた。

一本の母樹から接ぎ木で増やした南高梅は、自家受粉できない。そのため蜜蜂の交配に頼るか、古城梅や小梅などの品種の異なる梅を近くに植えて交配させるしかない。南高梅の豊作不作は、蜜蜂の働きに掛かっているとも言えるのだ。この春、交配用に貸し出しを予定していた悌さんの蜜蜂320箱は、ほとんどが農家に引き取られて行ったが、低温が続いたため開花の時期が遅れている。

「こんなに寒いんは、ほんとに知らんわ。梅が咲いてくれれば、毎週、蓋を開けるのが楽しみなぐらい蜂が増えてくるんですよ。いつもやったら、もうそうなってるんやけど」

どちらを向いても梅畑が広がるみなべ町は、梅の花が早くから咲くため、全国のどこよりも早く採蜜できる蜜蜂の群れは成長が著しい。みなべ町では、梅と蜜蜂は共存共栄の関係なのだ。

同じ生命あるものとして、極力やさしく触ってあげたい

 

山間部にある梅畑の中に置かれている10箱ほどの巣箱の蓋を開けて、蜜蜂の様子を点検していた悌さん。

「みなべ町の蜂屋さんは、この時期、持ってる蜂の半分は貸し出してるし、残った蜂の世話だけだから、ほわほわしている時期だわ。ここにおるのは、野球で言えば二軍の蜂。梅の交配用には貸し出せなかったのですが、何とか越冬させてイチゴやメロンの交配に出せないかなあと思って。梅が咲いてこないから、花粉がちょっと切れ気味や」

そう言いながら、巣箱の中にある給餌箱にグラニュー糖を溶かして作った餌を注ぐ。基本的には、1週間に1回行う内検という作業で、女王蜂の産卵を確認し、与えておいた餌の減り具合やダニや病気の有無を確認していく。内検している悌さんは、細かい網目の面布(めんぷ)を顔に被っているが、巣板を点検する作業は素手で行っている。

「同じ生命あるものとして、極力やさしく触ってあげたいと思って。蜂は刺したら死んでしまうので、命を懸けて刺したっていうことは、その蜂に対して手荒なことをしたから刺されたのですよね。手袋をしてしまえば躊躇なく触れるけど、蜂に対してのやさしさも無くなってしまいますよ。例えば、梅の交配用に貸し出した蜜蜂が寒くて飛ばないからといって、農家の人が、巣箱を蹴飛ばしたりしたら、花の時期が終わって帰って来た蜂は気が荒いですよ。蓋を開けただけで怒ってるんですよ。丁寧に扱ってくれた農家の蜂は、怒らないし刺してもこないです」

悌さんは、やさしく蜂を触るために素手で作業する

古くから使っている巣箱の蓋に中村養蜂園の焼き印がある

北海道名寄市(なよろし)の農協に勤めていた悌さんは、およそ8年前に先代中村哲夫さんの4女、匡余(まさよ)さん(42)と結婚して2代目を継ぐことになった。先代の哲夫さん(享年67)と至代(ゆきよ)さん(71)夫妻が、夏になって、みなべ町から名寄市へ転飼(てんし)養蜂に来るたびに、巣箱を降ろす作業や採蜜を手伝っているうちに、「ま、なぜかこういうことになって」と悌さん。

「和歌山に来て1年半ほどで先代が亡くなって。弟子の期間はなくて、北海道から来てヨーイドンだったんで、分からんことも多々あったし、極端に言うたら採蜜する時に使う蜜刀の研ぎ方ひとつも分からないんで、隣へ行って教えてもらいながら自分なりにやってきました。だけど、少しずつ勉強して全国には色んな蜂の飼い方をしてる人がいるのを知ると、これで完成ということはないんだなあってつくづく思いますね」

採蜜する時に使う蜜刀の研ぎ方ひとつも分からないんで

 

独立の時に蜂50群くれるんやな

それから蜂を増やしていって、

蜂屋さんとしてやっていくんや

中村養蜂園の皆さん。前列左から悌さん、初代哲夫さんの写真を持つ妻の至代さん、

4女で悌さんの妻の匡余さん、後列左から3女江位子さん、2女佳矢子さん、長女江伺子さん

交配用に梅農家へ貸し出す巣箱を軽トラックへ運ぶ悌さん。

これで予定していた貸し出しが終了する

悌さんが教えを請いに行く隣というのは、先代の哲夫さんが弟子入りしていた坂東養蜂場だ。みなべ町における養蜂業の草分け的存在の坂東養蜂場2代目の忠男さん(故人)に、16歳の時に弟子入りした哲夫さんも、悌さんと同じ北海道の生まれだ。養蜂家の弟子として、毎年、冬になるとやって来る哲夫さんと、隣の家で暮らしていた年頃の近い至代さんが親しくなり、一緒になるのは必然だったのかも知れない。5年間の修行を終え、哲夫さんが養蜂家として独立するのを機に2人は結婚した。

至代さんが、苦労は多かったけれど、楽しくやり甲斐もあった新婚当時を思い出し、照れながらテーブルの上を両手で撫でている。

「独立の時に蜂50群くれるんやな。それから蜂を増やしていって、蜂屋さんとしてやっていくんや。お金無い時は、こっち借りに来いよ。12月の来たら帳面しに来いよ。坂東さんが、そんなに言うてくれたからな。お金ちゅうたら一銭も無かったからね」

 

「やっぱり刺されるからな。始めは、こんなん続くかなと思ったよ。仕事の合間で一服する時に面布を外すやん。休憩が終わって蜂んとこへ行ったら、面布するの忘れとって、すごく刺されたことあったよ。1匹や2匹じゃないから、ワーッと刺しにきて大変だったわ。剣はすぐ抜いてくれたけどな。あくる日の方がえらいわ。もう目なんか埋まってしもとる。子どもが生まれてからは、ほんま大変やった。朝5時には(採蜜に)出て行くからな。保育園の先生とこに朝5時から預けに行って、夜になって迎えに行きよったこともあるわ。(蜂蜜を入れる)缶が足らんようになるくらい蜜が採れよったからな。採れだしたら、やっぱり面白くてな。子どもが2人になった頃、トラックの運転席に乗せたまま採蜜しよって、様子を見に行ったら、運転席が真っ白くなって、2人ともぐったり倒れとったこともあったな。車の座席を拭くスプレーを子どもがいたずらしていて噴き出して、2人も殺すとこやったわ。蜜蜂は、夕方にならんと巣箱に入らないから、移動するのは夜になるでしょ。小学校に入る頃になったら、子どもほっといて行くから、長女には、蜂屋の子どもに産まれるもんじゃないって、いつも言われよったわ。(哲夫さんが亡くなったのは)肺ガンでな、もうちょっと長く生きとって欲しかったな」

哲夫さんと至代さん夫妻には、4人の娘がいる。長女の船谷江伺子(ふなたに えみこ)さん(48)は、蜂蜜を小売りするために、実家の隣にあった倉庫を改装して、哲夫さんの名前を冠したカフェ「HONEY TETSU」を2月3日に開店したばかりだ。蜂アレルギーがある3女の小森江位子(こもり えいこ)さん(44)の他は、江伺子さんはもちろん、2女の浜中佳矢子(はまなか かやこ)さん(45)と悌さんの妻である4女の匡余さんたちが、子どもの頃からローヤルゼリーを採るための移虫作業を行ってきている。中村養蜂園は当代の若い悌さんを経験豊富な女性陣が支えている構成なのだ。

うちには移虫技術の神業的なお姉さんが3人もいるんで

3月に入って梅の花が終わると、交配用に貸し出している蜜蜂が返ってくる。

「貸した蜂が返ってきたら、即、こんど北海道へ行って採蜜をするための蜂を作るのに、新しく女王蜂を作って、割り出し作業というのをするんですよ。僕らは、6月にアカシアの蜜を北海道で採るんですけど、旧王(越冬した女王蜂)と新王(春に誕生した女王蜂)といえば、やっぱり新王の方が蜜の採りが良いんで、梅の交配から帰って来た群れを分けて、新王を作るんです。和歌山にいる時は、北海道で蜜を採るための準備、力を蓄えておく時期なんです」

悌さんの気持ちは、早くも故郷の北海道へ飛んでいるようだ。

「僕は北海道生まれなんで、生まれ育った地元に帰れる喜びがあるからね、楽しいよ。仕事も充実してるし。巣箱の受け入れ準備があるから、自分一人だけ2、3日早く北海道へ行くんだけど、小樽でフェリーを降りる時、よし、今年も故郷に帰ってきたし、頑張ろうかって、思うな」

しかし、実際には、北海道へ行く前のひと仕事、ローヤルゼリーの採集が待っている。

「僕の考えでは、4月からローヤルゼリーの採集をしといて、その間に蜂の様子を見といて、それで北海道へ行こうかとね。ローヤルゼリーの採集作業では、3日に1回、必ず巣箱の蓋を全群開けるんで、ということは、3日に一遍、全部の蜂を開けてチェック出来るんで、蜂の管理もしやすいし、うちには移虫技術の神業的なお姉さんが3人もいるんで、やっぱりゼリーに力を置いて、それから北海道へ行ったら行ったで、蜂蜜をたくさん採ろうと……」

 

翌朝早く、みなべ町近在の養蜂家が共同で購入した小売り用のビンが大型トラックで届いた。注文したビンを引き取りに来た同業者が、小型トラックや軽トラックへの積み込みを手伝う悌さんに声を掛ける。

「手伝うてくれるんか、ありがとう。コーヒー1本くらい出すわ」

「最近、うち缶コーヒー違うんや。喫茶店で飲むんや」

親密さを感じさせる同業者との軽妙なやりとりの中に、開店したばかりのカフェ「HONEY TETSU」を、悌さんがさりげなくアピールする。小雪が舞うこの日、悌さんは一人倉庫の中で、巣板に巣礎(すそ)を張るために枠の針金を引く作業や、蜂に与える砂糖水を作る作業を黙々と続けていた。

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