2020年(令和2年4月) 40号

発行所:株式会社 山田養蜂場  http://www.3838.com/    編集:ⓒリトルヘブン編集室

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誕生日には「虫かごを買って」

 沖縄本島北部の西側に握りこぶしのように大きく飛び出している本部(もとぶ)半島。その懐に抱かれるように羽地内海(はねじないかい)に面して浮かぶのが屋我地島(やがじしま)。沖縄本島とは屋我地大橋で結ばれていて離島の印象はないが、「沖縄の瀬戸内海」と呼ばれる穏やかな内海に面した島は、サトウキビ畑が緩やかにうねる丘に広がり刈取りが始まっていた。

 沖縄県名護市屋我地島を拠点に養蜂を行う「おきなわBee Happy」の三浦 大樹(みうら だいき)さん(45)は、アウトドアライフを仕事にしたいと大阪から沖縄へ移住したが、その仕事で生計を立てていくのは難しいと判断。その時、妻の藍子さん(39)がアルバイトをしていた地元養蜂家との繫がりが大きな転機となった。

 「生まれは東京の浅草なんですけど、6歳の時に埼玉県へ引っ越して、そこで自然児になりましたね。家の外に居るのが日常で、近くに古利根川(ふるとねがわ)という川があって、日頃の川遊びは当たり前。親父が日曜菜園をしていたので、その畑に付いて行ってはバッタを捕って遊ぶというような子どもだったんです。家の裏の小屋には虫かごが40個ぐらいあって。色んな虫を飼ってました。自分の誕生日には『虫かごを買って』と頼んでましたね。死なせるのも多かったけど……」

自分の蜂蜜ぐらい自分で採りたい

 「そんな少年時代でしたので、大学ではワンダーフォーゲル部で野外活動に熱中して、新卒で就職したのは千葉県にある気象情報会社でした。でも30歳の時に自分の好きなことを仕事にしたいとアウトドアメーカーに転職して大阪へ行きました。転職と同時に、結婚と引っ越しも一緒になって、大きな転機になったんですよ。結婚した妻は、小学生の頃から沖縄に住むと決めていたような南方志向の女性で、大阪でネイチャーガイドを仕事にする会社に勤めていたんですね。私は転職した大阪のアウトドアメーカーに5年半勤めました」

加工場横の野原に置かれた巣箱の周りにはセンダングサの花が咲く。

この日は時折にわか雨が降った

 南方志向だった妻の藍子さん(39)と暮らす間に、沖縄への憧れが募っていったのは自然の成り行きだった。三浦さんは、妻の藍子さんが勤めていたネイチャーガイド会社の沖縄支部に転職し、最初は単身で沖縄へ移住。3年間という約束でシーカヤックのインストラクターとして働き始めた。35歳の時だ。

 「妻が大阪でネイチャーガイドをやっている時に、養蜂家と出会って蜜ロウを知ったんです。皮膚が敏感な妻は、保湿用に蜜ロウを使って自分の肌をケアしていたんですね。彼女が養蜂家と出会ってなかったら、今の私たちの暮らしはないです。私の半年後に彼女も沖縄へ来てくれて、彼女は大阪で養蜂の仕事を手伝っていたこともあって、沖縄に来た当初は養蜂のアルバイトをやっていたんです。その時、私は採蜜のお手伝いで行く程度だったんですけど、そのうち自分の蜂蜜ぐらい自分で採りたいなと思って、その養蜂家から蜜蜂群1箱を購入して、今、加工場がある場所に置かせてもらったのが始まりでした。地主の大城さんからは『うちの裏のススキ畑を自由に使っていいよ』って言ってもらったんですけど、そこはほとんど森だったんですよ。それで森の草刈りから始まったんです。その時は(蜂蜜が)採れるかな採れないかなって不安な感じでしたね」

分封群を追い掛けて

 「独立してシーカヤックガイドをやろうとしたんですが、独立すれば同じ会社で自分の仲間だったり先輩だった人たちと張り合うことになるんですね。お世話になった先輩たちと同じ土俵で競争はできないと……。それでガイドと養蜂の兼業を考えた訳です。ガイドは夏と年末年始が忙しいけど、蜜蜂の忙しい時期は逆なんですよ。それで、妻がアルバイトをしていた養蜂の師匠のところに勉強に行ったのですが、その時に蜜蜂が兼業でやっていけるものではないと分かりました。それで1年間はしっかりやってみようと思って、先ず蜜蜂の群を増やすことを目指しましたね。師匠が『分封している群を見つけたら持って行っていいよ』って、言ってくれましてね。師匠の蜂場では分封が当たり前だったんで、分封群を追い掛けてましたね。それであっという間に10群ぐらいに増えて……。丸2年過ぎた時には40群ぐらいになっていて、沖縄県養蜂組合に入りました。それから間もなく80群まで増やしました。でも、最初の3年間はほとんど収入が無かったんで、妻が地元の会社に就職してくれて、何とかやってこれました」

9月に花が咲いて12月までずっと咲いていた

 1月下旬、屋我地島にある加工場を訪ねると、三浦さんが一人で貯蔵タンクから蜂蜜を瓶詰めをしているところだった。

 「今、瓶詰めしているのは、一昨日採蜜したセンダングサとカユプテの蜜で、屋我地島で採るのは今季最後の蜜です。去年は、沖縄に台風が上陸しなかった珍しい年だったんですね。それで9月に花が咲き始め12月まで傷まないでずっと咲いていたんですよ。こういう当たり年もあるんですわ。いつもなら1月は、そろそろ春の準備をするかという時期なんですけど、今年は1月に採蜜の最盛期が終わろうとしています。沖縄の今年の冬は豊作です」

 「沖縄に来てちょうど10年。こんな年はないよって先輩も言ってました。これまでは本部半島のカフェなど飲食店にしか置いてもらったことなかったけど、今年は豊作で那覇の百貨店に出荷することになったんです。こんなこと初めてなんですね」

 三浦さんがセンダングサとカユプテの蜂蜜を瓶詰めしている途中で糖度を測ると80.6度。瓶は細長く口が小さいドレッシング瓶だ。一般的に蜂蜜を入れる瓶は口が大きくてずんぐりした瓶が多いのに、何故なのか。

 「沖縄は1年を通して気温が高く、蜂蜜が結晶することはないんです。それで口の狭いドレッシング瓶に詰める方が使いやすいんですよね。ただ、明日行く山原(やんばる)の森の蜜は結晶しやすいフカノキが混じっているので、広口の瓶を使いますよ」

 「採った蜜は、できるだけ早く瓶詰めにしたいんですよ。そうすれば、蜂蜜を使っていただいた方のコメントが早く入ってくるんです。使ってくれている方が料理人なんで、その人たちのコメントが、蜂蜜をいつ採るかという判断の核心ですね。いやーっ、これで今年の冬は終わりだ。この冬は長かったです。例年ならば12月末で終わる採蜜が1月末まで延びましたから。今年はほんと良い年でした。蜜蜂、頑張りましたね」

 昨年の秋口から切れ目なく続いた仕事の重圧から解放された三浦さんが安堵の声を上げた。

屋我地島で採ったセンダングサとカユプテの蜂蜜を瓶詰めする

蜂蜜を瓶詰めする三浦さんの目が真剣だ

「宮城さんの畑」蜂場で、内検の終わった
単箱(下の巣箱)に継ぎ箱を載せる

分封を防ぐため交尾が確認できた女王蜂の翅を切る

香りで美味しいを感じてもらって

 翌日は、山原の森にある「宮城さんの畑」と呼ぶ蜂場へ同行させてもらった。本来、採蜜用の蜜蜂群は屋我地島に置いているのだが、年を越してから山原に移動させた採蜜用の蜜蜂群なのだ。

 「求めていた味に辿り着かなかったんで、今日まで待ちました。蜂場で糖度を測りながら蜜を採るんですけど、山原の蜂場はセンダングサとフカノキが混じってくるので、その時にどうなるか。糖度は参考にしますけど、78度を超えていれば僕の舌で味と香りを確かめたタイミングでお客さんに提供します。2つの花蜜が混じることで変わるのは香りですね。お客さんは、香りで美味しいを感じているのを教えてもらいましたね。蜜蓋が蜜巣板(みつすばん)の全面なのか3分の2なのか、どこまで掛かっているかによって糖度は当然変わりますけど、香りも変わってくるんですよね。糖度の高い蜜をお客さんが美味しいと感じるかどうかは分からないです」

 「浜で一緒に遊んでいた友だちが飲食店の人たちが多かったんで、養蜂を始めた時に『蜂蜜を店に置いてやるから』と言ってもらえたんですね。

 宮城さんの畑と呼ぶ蜂場は、畑の中をくねくねと走る細い農道を抜けて小さな小川を越えた道路脇の小さな空き地にあった。継ぎ箱が10箱足らず。三浦さんは蜂場脇の農道に軽トラックを停めると、躊躇無く継ぎ箱の蓋を開け、蜜巣板の状態を丁寧に点検し始めた。

 蜜蓋の掛かった蜜巣板を仔細に見ている三浦さん。蜜巣板の途中から蜜の色が変わっているのが分かる。センダングサからフカノキへ花蜜が変わったのだ。三浦さんが蜜巣板にスプーンを差し込んで蜂蜜を舐めてみる。味と香りを確かめているのだ。

年2回の採蜜。待ちの採蜜なんで

翅を切られた女王蜂を取り囲む働き蜂たち

三浦さんは巣枠と巣枠の間隔が8ミリのホフマン式を使い、

蜜蜂に優しくするため作業は素手で行う

それに飲食店でお客さんに蜂蜜を試食してもらって、買っていただければ良いんじゃないかと提案したらお店に受け入れて貰えて、色々な人に知って貰えるようになりました。どんな蜂蜜を好まれるのか、その時のお客さんの感想が参考になりましたね」

その蜂蜜は液体というよりはねっとりとした塊に近く、糖度計に蜂蜜を載せたが硬くて糖度計が反応しないほどだ。センダングサの蜜は干し草の香り、フカノキの蜜は色が濃く少し苦みがあると、三浦さんから教わった。

 「ここでの前回の採蜜は去年の6月なんで年2回の採蜜ですね。待ちの採蜜なんで……」。蜂蜜がほとんど塊状態になっているのも納得だ。

 三浦さんは、ダニ駆除剤などの薬品を使わないことにこだわっている。

 「沖縄は温暖で一年中内検ができますから、ダニの付いた幼虫が全体の1割を超えたなと判断したら、巣房の径が大きい雄蜂巣礎枠を一枚入れて雄蜂を生ませ、そこにダニを集中させ、雄蜂切り(雄蜂の幼虫を巣房から取り出す)をして一気にダニを退治するんです。僕は一年中雄蜂切りをしているのでダニ剤を使わなくても大丈夫なんです」

 巣箱の両端に保温のために入れてある発泡スチロールの板を巣箱に戻す時、三浦さんは何度も上下に揺らし蜂を潰さないように慎重に納めている。丁寧な仕事ぶりが伺える動作だ。良く見ると、巣枠と巣枠の隙間が狭いように感じるがと、三浦さんに聞いてみた。

 「多くの養蜂家さんは巣板と巣板との間隔が10ミリのラ式という巣枠を使われるのですが、私は間隔が8ミリのホフマン式という巣枠を使っているんです。この2ミリの差で蜜蜂は寒さを感じやすくなり蜂児が少なくなってしまうんです。養蜂を始めた頃は巣箱の外から暖房をして巣箱を温めていたんですが、巣箱の保温のためには巣枠の間隔が大事なんだと知ったんです。これが沖縄の越冬なんだなと自分なりに納得しています」

一年中雄蜂切りをしている

完熟度を自分の舌で確認するため蜜房からスプーンで

蜂蜜を直接採る

採蜜できる蜜巣板を軽トラに積み込んだ後、
作業の内容を日誌に記録する

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