2020年(令和2年4月) 40号
発行所:株式会社 山田養蜂場 http://www.3838.com/
編集:ⓒリトルヘブン編集室 〒880-0804 宮崎県宮崎市宮田町8-7赤レンガ館2F
「前田さんの畑」蜂場で採蜜できる蜜板があるかどうか点検する三浦さん。巣箱のすぐ前はセンダングサが咲く野原、
その先にはフカノキの大木がある
地面から高い位置にある巣箱へ歩いて帰る若い内勤蜂のために板を差し掛けてやると、巣門近くで門番役の蜂が尻を持ち上げ
フェロモンを出して「お前の巣はここだ」と誘う
差し掛けた棒を必死で登り、自分の巣箱に辿り着こうとする飛ぶことができない若い内勤蜂
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「お前の家はここだ」と誘っている
内検を続けていた三浦さんが私に声を掛けた。
「この巣箱はもう勝手に春が来ちゃってますよ。王台が出来掛かっています。巣門を塞いでいる場合じゃないです」
こう言って巣門の半分を塞いでいたガムテープを次々と剥がし、再び、巣房の底に小さい点のように産み付けられた卵を確認している。西側の巣板にも蜂児(卵)が全面に入っているようだ。
「西側に卵が入っているということは、暖かい東側から産み始めて、もう全面に卵を産み付けていることが分かりますよね」
内検が終わると、巣箱の外に払い落とされた蜜蜂が一段高くなっている巣箱に帰るため一枚の板を差し掛けている。内勤蜂は若くて飛べないので、この板を歩いて帰るのだ。巣門の前で門番の蜂が尻を高く上げて出すフェロモンで、「お前の家はここだぞ」と誘っている。三浦さんの巣箱はコンクリートブロックの上に載せてあって一般的な巣箱より高くなっている。その上、巣箱の脚がプラスチックのケースの中に入っていて雨水が溜まる仕掛けだ。
「夏になるとアリがすごいんですよ。台風の後なんか、巣箱の周りが真っ黒になるほどのアリが蜜を奪いに襲ってくるんです。蜜房を侵略して、巣板が5枚6枚の群は全滅させられてしまうんですよ」
プラスチックケースはアリの襲撃を防ぐための工夫なのだ。「自然が豊か」ということは、それなりのデメリットも潜んでいるということである。
全ての内検が終わったところで、三浦さんは1月に生まれ交尾を終えたばかりの女王蜂の翅を切る。群の勢いが強くなる春に分封を防ぐためだ。「沖縄では1月でも交尾できるんですよ」。内地では1月といえば越冬の時期で蜜蜂の活動はほとんどないが、沖縄では働き蜂が花蜜や花粉を集めに巣箱を飛び出し、女王蜂は産卵を続けている。ほとんどの沖縄の養蜂家が種蜂(内地の養蜂家が春の流蜜期に向けて採蜜群を増強するための蜜蜂)を生産し出荷することで生計を立てているのも頷けるというものだ。沖縄で養蜂家といえば種蜂を生産していると思われているが、三浦さんは採蜜に主力を置いている。「それで僕は自分のことを蜂蜜屋と言ってるんです」と、蜂蜜にこだわる自負を覗かせた。
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アリの来襲や水害を防ぐため高い位置にある巣箱に
若い内勤蜂が帰るため棒を差し掛けてやる
高い位置にある巣箱に差し掛けた板を歩いて帰る若い内勤蜂
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人気のフカノキ蜜は苦みの蜜
三浦さんは、宮城さんの畑の蜂場での仕事の内容をノートに記録すると、軽トラックで次の蜂場「真栄田さんの畑」へ向かった。
『苦みのある蜂蜜として人気のフカノキを探しているんです』と知り合いに声を掛けていたら、ここの地主が、『ここ使っていいよ』って言ってくれた蜂場なんですよ。近くにフカノキの大木があるし、センダングサは目の前なんです。でも、4年前の3月に大雨があって、跡形もなく巣箱が流されたことがあって油断できないんです」
真栄田さんの畑の蜂場は山原からの清流のすぐ傍らにあった。茂みに沿うように巣箱を置くためのコンクリートブロックが置かれていた。しかし、置かれている巣箱の数は3箱と少ない。
「糖度80度くらいの良い蜜ですね。センダングサとフカノキですけど、センダングサの割合が多いですね」
センダングサの花の流蜜期は10月だが花はほとんど一年中咲いている。それに比べ、フカノキの流蜜期は11月下旬だが、1月には花は終わっていた。そのため蜂蜜の割合としてはセンダングサの方が多くなっていたのだろう。
ここでも採蜜できる蜜巣板を選び出した後、巣箱の内検だ。
蜜巣板を取り出し、巣箱の内検を始める。女王蜂の産卵は順調か、餌は足りているか、巣箱に異変はないかなどを丁寧に見ていく。継ぎ箱が取り除かれて、急に明るい世界に引っ張り出された女王蜂が、光から逃れようとして日陰の方へ急ぐ。「女王蜂にも個性があって、動じない女王蜂もいますね」と、三浦さんは女王蜂の個性も分かっているのだろうか。
「今年は流蜜が多かったのか、本来は蜜を沢山溜めている群から足らなそうな群に蜜巣板を移動させる作業があるんですけど、今年はそんな作業をする必要がないほど、どの群も充分蜜を溜めていますね」と嬉しそうだ。
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この繫がりがなかったら、
今の僕はいません
帰り道、軽トラックの運転席で三浦さんは「やんばる畑人(ハルサー)プロジェクト」について話し始めた。
「ハルサーというのは農家のことなんですね。このプロジェクトは地域を盛り上げようとする任意団体で、生産者約20人と飲食店40店ほど、他にも流通業者や加工業者、行政も観光関係者、市民のみなさんも一緒に集まって、私も生産者の1人として参加させてもらっているんです」
「〈食でつながる。食で動き出す。〉をコンセプトに『やんばるは美味しい』を発信しています。地域の食材をメニュー化して地域を盛り上げるプロジェクトなんですけど、この繫がりがなかったら、今の僕はいません。沖縄に移住してきた当時、ネイチャーガイドとして海遊びをしていた友だちが、生産者や飲食店だったので、仲間に入れて貰えたのは大きな一歩でした。沖縄は交配用蜜蜂と種蜂を作る養蜂家がほとんどなので、僕も最初は種蜂を増やしていたんですが、やんばる畑人プロジェクトに入れて貰ったお蔭で蜂蜜の方へ移行することが出来ましたからね。といっても、蜂蜜は未だ全体の半分ですけどね」
幸福感を感じて自然と涙が
もう一つ、帰りの運転席で三浦さんが話し始めたのは「国頭村の安田のシヌグ」についてだ。
「去年の8月なんですよ。国頭村(くにがみそん)の安田(あだ)のシヌグという民俗行事に初めて参加させてもらったんですけど、裸になってガンシナーという藁でできた輪を頭に巻いて山の中へ入るんです。山でシダや蔓を体に巻き付けて小枝を持って『エーヘーホーイ』と言いながら山を降りるんですね。悪霊を連れて海へ出て海へ祈り、振り向いて山へ祈るんです。その時に何とも言えない幸福感を感じてカーッときて自然と涙が出てきましたね。自然に感謝するというのはこういうことなのかという実感がありました」
こうして三浦さんはウチナンチュの魂を自分のものとしていくのだろう。
三浦さんがヘッドライトを点けて巣房の状態を確認する
加工場を設置した土地の大家の大城毅さんが自分の畑で
島ラッキョを収穫する
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養蜂家としてやっていく覚悟
翌日は、継ぎ箱から抜き出した蜜巣板から採蜜する作業だ。
「加工場が建っているコンクリート土間が昨年夏に出来た時、ここで養蜂家としてやっていくんだと覚悟しましたね」と三浦さん。
引き戸を開けると、目の前に大きなステンレスの遠心分離器が据えられている。「この遠心分離器を使って(蜂蜜を)搾るのは、昨年10月に買ってまだ4回目。やっぱりでかくて自動は良いです。それにこの加工場も水周りが出来て、窓があって断熱材も入っていて最高ですよ」
入口左の壁には「普天間神宮」のお札が両面テープで貼り付けてある。「今日もお仕事よろしくお願いします」という気持ちで加工場に入るのだと言う。
名護市内にある名桜大学の学生が蜜蓋切りなど採密を手伝う
この日の仕事を終えて帰宅する池上さん
ウチナンチュの人情に支えられ
加工場での採蜜には名護市にある名桜大学国際学群国際学類の学生が3人手伝いに来ていた。国際ボランティアをするのに「費用を得るため蜜蜂を飼いたい」と三浦さんに相談に来たのがきっかけなのだ。まだ、自分たちで蜜蜂を飼うまではいかないが、蜜蓋を切ったり遠心分離器に蜜巣板をセットしたりすることで、次第に養蜂に馴染んでいくことだろう。
三浦さんに屋我地島と山原の森で採れる蜂蜜の種類を聞くと、ツバキ、サクラ、ピンクボール、菜の花、ツワブキ、センダングサ、フカノキなどの蜜が採れるのだと言う。
「一番の理想は、地元で採れた蜜は地元で消費して欲しいですね。安い、美味しいは、そのための必要条件だと思っています。養蜂で食っていくと決心して、どうやって食っていくか。僕が選んだのは蜂蜜だったんですね。薬(ダニ剤)を使わず、肥料(砂糖水)も使わず。ほとんどの場合私が『こうなったらいいな』と考えていることを自然の方が超えてきますね。今年の蜜は特に良かったんですよ。気象会社で働いていた時よりも、今の方が自然の変化に関心を持っていますね。知れば知るほど蜜蜂を通して自然の不思議と魅力とを感じるようになって抜けられなくなりました」
学生たちが採蜜をしていると、加工場の土地を貸してくれている地主の大城 毅さん(64)が、掘りたての島ラッキョを持ってやってきた。
「土地を貸しているのは三浦さんのところだけじゃないよ。貸している土地は2000坪あるけどさ、一坪30円、年にだよ。車の税金払うのに精一杯。持ってきた島ラッキョは紫ラッキョって言うさ。茎を食べるために土盛りをして、茎を長くするさ」
三浦さんが沖縄へ移住して10年、養蜂を始めて7年。取材を通じて屋我地島の自然に活かされ、ウチナンチュの人情に支えられていることが伝わってくる。三浦さんの人柄がウチナンチュの心を動かしているのだ。 三浦さんに屋我地島と山原の森で採れる蜂蜜の種類を聞くと、ツバキ、サクラ、ピンクボール、菜の花、ツワブキ、センダングサ、フカノキなどの蜜が採れるのだと言う。
「一番の理想は、地元で採れた蜜は地元で消費して欲しいですね。安い、美味しいは、そのための必要条件だと思っています。養蜂で食っていくと決心して、どうやって食っていくか。僕が選んだのは蜂蜜だったんですね。薬(ダニ剤)を使わず、肥料(砂糖水)も使わず。ほとんどの場合私が『こうなったらいいな』と考えていることを自然の方が超えてきますね。今年の蜜は特に良かったんですよ。気象会社で働いていた時よりも、今の方が自然の変化に関心を持っていますね。知れば知るほど蜜蜂を通して自然の不思議と魅力とを感じるようになって抜けられなくなりました」
学生たちが採蜜をしていると、加工場の土地を貸してくれている地主の大城 毅さん(64)が、掘りたての島ラッキョを持ってやってきた。
「土地を貸しているのは三浦さんのところだけじゃないよ。貸している土地は2000坪あるけどさ、一坪30円、年にだよ。車の税金払うのに精一杯。持ってきた島ラッキョは紫ラッキョって言うさ。茎を食べるために土盛りをして、茎を長くするさ」
三浦さんが沖縄へ移住して10年、養蜂を始めて7年。取材を通じて屋我地島の自然に活かされ、ウチナンチュの人情に支えられていることが伝わってくる。三浦さんの人柄がウチナンチュの心を動かしているのだ。
「前田さんの畑」蜂場で内検をする三浦さん。卵は産まれているか、幼虫は無事に育っているか、餌はあるかなどを点検する
加工場の土地を借りている大家の大塚毅さんと初江さん夫妻。「貸している土地は他にも2000坪あるけど、一坪30円、年にだよ」
大塚さん宅の前庭に咲くピンクボール(アルメリア)の花に三浦さんの巣箱から蜜蜂がやって来ている
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