2020年(令和2年4月) 41号
発行所:株式会社 山田養蜂場 http://www.3838.com/ 編集:ⓒリトルヘブン編集室
〒880-0804 宮崎県宮崎市宮田町8-7赤レンガ館2F
松本文男さんが、養蜂仲間の高田土一さんから買い取った蜜蜂の内検を芝蜂場で終え、面布を脱いで安堵の表情を見せる
花園養蜂場の秘密の餌かも知れないが、松本さんは人工花粉や砂糖水の他に黒糖飴を与えている。「3、4日で食べきっているね。
おやつみたいなもんだよね」
高田さんから買い取った蜜蜂の巣箱は芝蜂場に運び込み、巣箱の被せるための防風カバーが準備された
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気持ちを添えて餌をやらなきゃ
市街地から少し外れた住宅が建ち並ぶ一角に、広い庭を構えた花園養蜂場の自宅兼店舗と作業場がある。大型冷蔵庫と車庫が建ち並び、その先には防風カバーにすっぽり覆われた巣箱が20箱ほど、道具類が入っているビニールハウスの先にも10箱ほどが並べて置いてある。自宅玄関脇に和風のシックな店舗があり、商品棚には花園養蜂場で採った17種類の蜂蜜が瓶やプラスチックのソフトボトルに詰めて並んでいる。店舗の奥が事務室だ。代表の松本文男(まつもと ふみお)さん(73)は、私を待ち構えていたように一気に話し始めた。
「今朝は冷たい風だから、若い衆は巣枠作りとラベル貼り。蜂場に行っても(巣箱の)蓋は開けられないな。若い衆に言うんだよ。燻煙器を巣箱で使う時でも、蜂がどういうことを要求しているか考えろって。煙を自分に掛けられるような気持ちでやらなきゃ駄目だって」
文男さんは、いきなり養蜂の本質論から入った。その根源には中学生の頃から牛を飼っていた体験に基づく、「生き物は愛情で育つ」という信念がある。
事務を執る洋子さんの頭を文男さんが「よしよし」と撫でる
「中学生の頃から牛を育てて、家に3、4頭いたからね、牛市の時は学校休んで牛を連れて行きよったけど、誰も学校さぼって来たのかと言わなかったね。私の育てた牛は良い値が付きよった。競り場で牛を曳いてぐるっと歩くと、回るたびに値が上がって気持ちが良かったな。ただ餌をやるんじゃなくて自分の気持ちを添えて餌をやらなきゃな。牛を田んぼで使うのもベベッコの頃から『わ、わ』と言うて可愛がって育てないと言うこと聞かないよね。米の研ぎ汁を牛にやる時、ちょっと味噌を加えてやると、『こりゃ旨い』と言って喜んで飲むよ。そうしないと牛は言うこと聞かないよ」
文男さんが自ら考えた竹製枠の隔王板を高田さんに
説明する
花園養蜂場に売った蜜蜂の内検作業を見つめる高田さん
従業員の松本恵菜さんが身支度を整えて内検の準備をする
農家が儲からな、機械は買ってくれないのよ
佐賀県鳥栖市生まれの文男さんは、50歳で養蜂を始めるまでに人生の大波を潜り抜けてきている。
「当時、総理大臣だった橋本龍太郎さんが公共事業を止める(橋本内閣が発表した公共投資の大幅な縮減を指す)と言ったから、それまで全国を飛び回って仕事をしていた地球変形技師を辞めて……、土木機械のオペレーターですよ、それで養蜂家になったんですよ。それまでは徳之島のダムや八ッ場ダムの工事に行って大型機械に乗ってええ収入になりよったのよ」
「昭和37(1962)年に中学を卒業したんですよ。学校(卒業式)から帰ったら納屋に耕運機と自動脱穀機が置いてあって、父親がゴザを被せて納屋で待っとったですもん。それで農業の他に道はなく家で農業をしよって、19歳からは農機具メーカーのクボタで機械売りの仕事に行きよったですからね。その時の経験が私にゃ一番役に立ったかな。機械を売る前に農家の倉庫を見て回って、どこの農家にどんな機械を持っとるかと覚えて、機械を売る前に自分を売らな、機械は売れんのよ。普通の農家は田んぼの水を止めたら刈り入れまで待つけど、田んぼの水を止めてから肥料を10キロ入れよった。ここで肥料を入れてやると3等米が2等米になるのよ。それを農家に教えて農家が儲からな、機械は買ってくれないのよ。つまり仕事は先を読んで、手を打っておくということなんですよ」
文男さん(右)と従業員の青木さん(中)の内検作業を見る高田さん
芝蜂場の内検が終わり皆で一服する。「働き蜂を殺しちゃ駄目だ」と文男さん
牛屋をやりたいと言ったんですよ
文男さん独自の工夫。蜂が出入りし易いように
麻布の角を切っておく
文男さんが腰に下げているハンドスプレー。
赤は木酢液、黄色は電解水、緑は糖液
体験に基づく文男さんの人生論は養蜂業にも活かされているが、大型機械のオペレーターを辞めてすんなり養蜂家になった訳ではない。事務机に向かって仕事をしながら文男さんの話を聞いていた妻の洋子(ようこ)さん(68)が、当時を思い出したように話す。
「土木機械のオペレーターを辞めるとなった時、最初は私に『牛屋をやりたい』と言ったんですよ。牛がすっごい好きで……」
そうだったというように、文男さんも23年前の出来事を思い出した。
「牛を飼える方法を調べていたら、島根県の隠岐の島で牛10頭をくれて牛舎も建ててくれるというんですよ。でも、その代わり船の免許を取ってこいと……」
再び、洋子さん、「『私は家を出ることはできないんだよ』と言ったんですよ」
文男さんと洋子さんは再婚同士で、現在も住んでいる洋子さんの実家で両親と一緒に暮らしていた。三姉妹の長女である洋子さんは自分の親を見放すことはできないのだ。
立ったまま眠ってて、巣枠を落として
『じゃあな』と唐突に言い出したんですよ。『蜂飼ってみるか』って。それで(養蜂関係の)本を買って読んでやったんですよ。家(うち)の人は本を読まない人なんですよ。毎朝の新聞でもゴロッと横になってて『読め』って言うんですよ。それが家(うち)では当たり前なんです。それで、その本に出ていた養蜂家さんに蜂を注文して、3月のお彼岸ごろに蜂ができるよって連絡があったんですけど、『巣箱も送ってこないで』と怒られて……。そんなことも知らなかったので、それから巣箱を買いに(養蜂の)道具屋さんに行ったら『松本さん、蜂飼ったことあるの』って聞かれて……。始まりは大変でした。巣箱を一輪車に積んで引っ張り上げなきゃならないような所に置いてましたからね。私ゃ腕が棒のようになっとるのですよ。『こらーっ、力一杯引張れ』と怒られながら運んでましたよ。疲れて立ったまま眠ってて、巣枠を落としてしまって『馬鹿』って怒られたこともあったけど、『私、馬鹿じゃないよ』って言い返したですよ。忘れられませんよ。そこで頑張ったから、今があるんですよね」
洋子さんが、23年前に養蜂を始めたばかりの辛さを思い出して話す。文男さんが神妙な顔をして聞いていたが、ひと言口を挟む。
「これ(洋子)はね、逃げて行く所はないのよ。ここが実家なんだから」
洋子さんが冗談気味に続ける。
「だから、ここまで付いてきたのかな。容易じゃない仕事に就いたなと思ってますけどね」と言った後、ちらりと本心を覗かせた。
「心の底にほんとの優しさがある人なんです」
蜂の働きを私たちが出来るかというんですよ
販売を担当する娘の鮎子さんが蜂針治療のために蜜蜂を捕る
文男さんが洋子さんの話を引き継ぐように、蜜蜂を飼い始めた頃のことを話し始めた。
「最初、2群を7万円で買ったんですよ。蜂を買いに巣箱を持って行ったら、色々聞かれたのよ。『3年も4年も修業しないと蜂は飼えないよ』と言われたけど、『そんなに長く修業していたら、私は死ぬから自分でやる』と言って断ったんだよ。始めてから3、4年は土木の仕事もしながら蜂を飼ってたね。始めの頃は蜂蜜が採れても、どこで売って良いか分からなくて、600gの瓶に詰めてみんなにくれちゃったね。ある時、お祖母ちゃん(洋子さんの母)が仕事をしていたら、道の駅の店長さんが『(蜂蜜の)サンプル持って来てくれねえか』って声掛けてくれて、(商品陳列)棚を50センチぐらい貰ったよ。あれが商売の始まりだったな。私が若い時に九州で舐めた本物の蜂蜜の味を、求めている人に提供することが私の仕事なんだよ」
土木機械のオペレーターを辞めようと決めた時、まず「牛屋をやりたい」と洋子さんに言うほど生き物好きの文男さんは、蜜蜂に対しても深い愛情を注いでいる。
「たった1匹の蜂でも、大切にしておかないと蜂屋にはなれないよ。蜂の働きを私たちが出来るかというんですよ。花の所までは梯子掛けてでも行けるけど、蜂蜜を作れるかということなんですよ。私たちに出来ない仕事をしてくれる蜂を殺していいのかっていうことですよ。私ゃ蜂にも味噌をくれる(与える)のよ。米麹で作った味噌をやった方が蜂が喜ぶのよ。ただ餌をくれるじゃなくて、蜂が美味しく食べているかが大事なのよ。そこに心を込めているかなんですよ。生き物には旨いというものを食わせないと太らんよ」
なるほどと頷ける話だ。文男さんは蜜蜂と気持ちが通じているのではと思えてしまうほどだ。
翌朝、西風は少し残っていたが良く晴れていた。
花園養蜂場の広い庭に、養蜂仲間の高田土一(たかだ つちかず)さん(72)が巣箱を運んで来ている。
「多すぎて自分では飼いきれないから松本に買ってもらったんだよ。21群。売るような良い蜂じゃないんだけど……。一昨年、すごい夏が暑かったでしょ。あの夏にしくじった。ダニにやられて全滅。200群ぐらいいたのに、秋になったら100群もいなかったね」
高田さんは農業と兼業で養蜂をやっているが、養蜂の経験は文男さんよりずっと長い。文男さんはさっそく、「芝」と呼ぶ蜂場に高田さんから買った21群を置くように従業員の青木元樹(あおき もとき)さん(38)と松本恵菜(まつもと えな)さん(21)に指示する。
芝蜂場は広々とした緩やかな斜面で西側に密集した木立があり、巣箱には風が当たらない絶好の条件だ。並べた巣箱の内検をする青木さんと松本さんの様子を心配そうに高田さんが見つめている。そこに面布を被って完全防備した文男さんも加わった。
「養蜂家は面布を被っちゃだめだよ。面布は刺されてから被るんだよ」
ベテラン養蜂家らしく、高田さんが冗談半分で精神論を言うのを聞きながら、文男さんはゆっくりと撫でるように刷毛を使って巣板の蜂を払っている。
「島倉千代子ですよ。人生色々、蜂も色々ですよ。それに応じてやってやらないと、良い蜂飼いにはなれません」と、誰に聞かせるともなく大きな声で言っている。
人生色々、蜂も色々ですよ
蜂針治療のためケースに入れられた蜜蜂
この蜂はそうであっても、他の蜂がそうじゃないだろ
高田さんから買った蜂の巣箱を内検していくと、巣箱の中に入れてある給餌箱に蜜蜂が巣を作っている群が幾つも出てきた。
「給餌箱にムダ巣を作らせてもなんにもならん」と、文男さんが不満そうだ。内検を進めていると、ほとんどの巣房に卵が産み付けられている群があった。間もなくやって来る流蜜期に備えて群を大きくしておかなければならない時だ。女王蜂に卵を産ませるため空巣を巣箱の真ん中に差し込む文男さんを見て、「空巣を真ん中へ入れるのは初めて見た」と不思議がっている。養蜂の常識では新しく空巣を入れる時は巣箱の端に入れるのが普通なのだ。「この蜂はそうであっても、他の蜂がそうじゃないだろ」と、文男さんは高田さんの言葉を意に介さない。2人のやり取りを聞いていると、文男さんの養蜂技術が独特なのだと伝わってくる。
荒川河川敷の蜂場近くでしだれ桜が満開の花を付けていた
大型冷蔵庫に保管されている全面に蜜蓋が掛かった巣蜜用の蜜巣板を文男さんが披露する
文男さんが白木蓮が咲く自宅前の蜂場で内検をする。ムダ巣を発見して「遅かった。無駄なことをさせてしまった」
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