2020年(令和2年5月) 42号

発行所:株式会社 山田養蜂場  http://www.3838.com/    編集:ⓒリトルヘブン編集室

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 前日は春の激しい雨だった。この雨で咲き残っていた蜜源の山桜が散り終わった。そのため、採蜜作業が遅れると蜜房に溜まっている山桜の蜜を餌として蜜蜂に食べられてしまうことになる。しかし、静岡県伊豆半島の中央部で約400群の蜜蜂を越冬させ、建勢(越冬した蜜蜂群に人工花粉と砂糖水を与え採蜜するための群を育てる)という一つの目的を達成し終えたばかりの株式会社菅野養蜂場・代表の菅野富二(かんの とみじ)さん(71)は、伊豆での採蜜は桜蜜の一回限りなので「悠々として急げ」の気分だったのかも知れない。

 「年川の上」と呼ぶ蜂場へ辿る細道の両側にはクヌギの新緑が輝き、竹林では竹の子が幾つも顔を出している。新緑の下には駒打ちが終わったばかりの椎茸のホタ木が整然と並んでいる。

 蜂場に到着すると、今年初めての採蜜だというのに、昨日から続く作業を始める朝のように皆が自分の持ち場に散っていく。

桜餅みたいな香りがしますよ

不純物を取り除く漉し器に蜂蜜を採りに来て、自らが蜂蜜まみれになった蜜蜂

富二さんと長男の裕隆(ひろたか)さん(31)は燻煙器に火を入れ、蜜巣板を運び出す準備だ。富二さんの妻の菊枝(きくえ)さん(63)と裕隆さんの妻の実里(みさと)さん(24)は、2トントラックの荷台に据え付けた遠心分離機と蜜蓋を切る箱を準備している。

 実里さんは昨年秋に裕隆さんと結婚したばかりで、この日が採蜜デビューなのだ。菊枝さんが手本を見せるように蜜蓋を切り、その蜜巣板を受け取って遠心分離機にセットし、モーターのスイッチを押すのが実里さんだ。

 「分離機の傍に居ると桜餅みたいな香りがしますよ」と、蜜巣板を運んで来た裕隆さんが教えてくれる。「何年前だったか、ポリネーションの蜂をここから北海道へ持って帰ったら桜の蜜が入っていたんで、帰る前に桜蜜を搾るようになったんですけど、それまで桜(蜜)を採る人なんていなかったですもんね」。

 伊豆半島で、山桜の蜜を搾るのは偶然から発見した新商品なのだ。「桜」というイメージの良さもあり人気上昇中だという。

蜂場ではいつも作業を始める前に燻煙器を準備する

蜜蓋の切り方を菊枝さん(右)から教わる実里さん

蜜蓋を切ると黄金色になった山桜の蜂蜜が現れる

 

年川の下蜂場で、遠心分離機で搾った蜂蜜を漉し器に注ぐ

裕隆さんが蜜巣板を継ぎ箱から取り出す

早霧湖蜂場で、蜜巣板を継ぎ箱から取り出す
富二さん(右)と裕隆さん

今は蜂を増やしたい時期

 「おおっ、きれいになってる」。遠心分離機から蜜巣板を取り出した実里さんが、蜜房に溜まっていた桜蜜がすっかり空になったのを見て感動の声を上げる。蜜蓋切りと遠心分離機の作業が少しずつ遅れがちになり、富二さんが蜜蓋切りの援軍に入る。富二さんから黄金色に輝く蜜巣板を受け取った実里さんが「おっ、これすごくきれい」と声に出す。実里さんにとって一つ一つの作業が新鮮なのだ。

 「北海道に向けて今は蜂を増やしたい時期なんで、隔王板は使ってないですね。アカシア(蜜)の頃に、この蜂は出来上がるのかな。新しい女王蜂ができて、産卵して2回転ぐらいできるでしょ。ここ(伊豆)を出る時に2つに群を分けて行くので、雄蜂はたくさん居てくれた方が良いので、雄蜂は切らない方向で……」

 継ぎ箱と単箱の間に隔王板を挟み込まないと、本来は蜂蜜だけが溜められる蜜巣板にも、女王蜂が自由に行き来するため卵を産み付けることができる。その分、蜜の量は減るが蜂数は増えるのだ。

 本来ならば、働かないで餌を食べるばかりの雄蜂の幼虫は、蜂蜜を搾った後で切り捨ててしまうのだが、今は蜂を増やしたい時期なので新しい女王蜂と交尾することになる雄蜂の幼虫は温存しておかなければならないのだ。

 富二さんが話しているのを受けて、裕隆さんが巣箱の前に切り落としておいたムダ巣の中の雄蜂の幼虫にダニが寄生しているかどうかを調べている。ダニは雄峰の幼虫に寄生して広がり、群れ全体を衰弱させてしまう。養蜂家にとって大敵だ。裕隆さんが「いた」と、残念そうな声を上げる。「今は女王蜂を作らなきゃならない時期だから、雄峰を切ってしまうことはできないですね」。

 採蜜の時期に入っているためダニ駆除剤を使うことはできない。建勢が上手く仕上がって蜜蜂群の勢力が強くなれば、ダニの影響を抑えて夏を乗り切れるのかも知れないが、不安は残る。

効率の良さと蜜の品質は反比例

 富二さんが継ぎ箱から蜜巣板を取り出し、巣箱に立て掛けるように置くと、それを裕隆さんが運搬用の箱に入れて、蜜蓋を切る菊枝さんの傍に運ぶ。菊枝さんは箱に入ったまま巣板の隙間に刃の長い包丁を差し込んで蜜蓋を切り、実里さんがそれを受取り遠心分離機にセットするという連携作業だ。

 富二さんは蜜巣板を放射状にセットするタイプの遠心分離機を使っていた。隔王板を使わないため蜜巣板の中に産み付けられた卵や幼虫が、搾った蜂蜜の中に飛び出さないようにしているのだ。

 「うちの遠心分離機は、蜜巣板を入れる枠が反転しない方式なんです。蜜房に蜜は少し残りますが、それが蜂には優しいやり方なんで……」

 実里さんが遠心分離機のスイッチを押すと、ゴトッゴトゴトゴト、ブォーンと蜜巣板をセットした分離機内の枠が回転を始める。少しでもバランスが悪いと、遠心分離機を据え付けてある2トントラックごと左右に揺れ始めてしまうので要注意だ。遠心分離機で搾った蜂蜜は、貯蔵用の一斗缶に移す際に漉し器を通して不純物を取り除く。漉し器の網から落ちる搾ったばかりの蜂蜜を見ていた裕隆さんが声に出す。

 「濃いな。蜜の品質と仕事の効率とは反比例しますね」

 採蜜の時期が遅れたため蜂蜜の糖度は高くなったが、その分漉し器を通る速度が遅くなったということだ。

 蜜蓋を切っていた菊枝さんが、切り取った蜜蓋が溜まって木箱一杯になってきたため、手袋をした両手で捏ねて小さくしている。蜂蜜でベトベトになった蜜蓋を入れる木箱の様子を見ていた実里さんがひと言。

 「食パンだけ持ってくれば、お弁当は要らないですね」

本拠地は北海道常呂郡訓子府

 この日、富二さんたちは午前中2箇所、午後2箇所の蜂場で採蜜をする予定にしている。通常は、早朝から始めて蜜蜂が活動を始める頃には、採蜜を終えるのだが、それは流蜜期であって、もう花が落ちて新しい花蜜が入ってくることのないこの時期は、採蜜が午後になってもさほどの影響はないからだ。

 「採蜜は、120(群)130(群)を普通にやるんですよ。アカシアの時もそうなんですよ。置いておくと、もう蜜は減るばっかりですから。それと北海道へ帰る日程を決めたので、4月30日までには全部撤去しないといけないんですよ」

 「北海道でシナ蜜を採るのは7月8月なんですよ。花が少なくなっている時期で、蜂が(採蜜中の蜜を盗みに来て)うるさいので自分たちもピリピリしているんで、モタモタしていると檄を飛ばしたりするからね。シナ蜜は(1群で)4升5升入っているんで、盗蜂が増えるとキリキリしますね」

 菅野養蜂場の本拠地は北海道常呂郡訓子府(ほっかいどう ところぐん くんねっぷ)である。伊豆半島はあくまでも越冬するための仮住まい。裕隆さんの心は早くも北海道に向かっている。

多数の蜜蜂の死骸

 「年川の下」と呼ぶ2つ目の蜂場でも採蜜は順調に進んでいた。富二さんが継ぎ箱から蜜巣板を取り出し巣箱の脇に敷いた紙の上に立て掛けて置くと、裕隆さんが遠心分離機へ運ぶ。そんな時、蜜巣板を取り出していた富二さんが声を上げた。「あっ、これは何だ」。その声を聞き付けた裕隆さんが歩み寄ってくる。富二さんが指差す巣門の前を見ると、多数の蜜蜂の死骸。裕隆さんが一匹を手に取って見る。「ダニは居ないみたいだけど……、農薬かね」。「それしか考えられん。変な水でも飲みに行ったんかな」と富二さん。

 多数の死骸が落ちている原因を特定できないため、この巣箱は採蜜しないことにして、蜜巣板はそのまま継ぎ箱に戻した。

昼食のため自宅に帰ると、食事の前に午前中の作業着を洗って干しておく

若蜂がやられているもんな

 もうすぐ昼ご飯だという時、「キャーッ」と悲鳴が蜂場に響いた。皆が一斉に声の主の方を見る。「溢れている」と実里さん。遠心分離機を担当していた実里さんが、搾った蜂蜜を溜めておく容器の確認を怠っていて、蜂蜜がトラックの荷台に溢れ出していたのだ。裕隆さんがトラックに向かって小走りで行く。手や器具を洗うために準備していたポリタンクの水でトラックの荷台をジャブジャブと洗い流す。遠心分離機の操作に夢中になっているとあり得ることなのだ。

 年川の下蜂場での採蜜が終わってから、巣門の前に蜂の死骸が落ちていた巣箱を点検していた富二さんが、細竹を巣房に入れると死んだ幼虫が付着してきた。

 「(巣門の外で)若蜂がやられているもんな。働き蜂が外から蜜を持って来て口移しで若蜂に渡した時、何らかの害のあるものを持ち込んで、それを幼虫に与えたことで幼虫が死んでいるんじゃないかな」

 原因は特定できないままだったが、他の群には影響が出ていないところをみると悪い病気ではないと判断したようだ。

 午前中の採蜜は終わった。

 「2か所で12缶でしたね。まあまあの滑り出しかな」と、裕隆さんは満足そうだ。採蜜デビューの実里さんに感想を聞くと、「楽しかったですよ。難しいことはなかったです。気の利いたことが言えなくて、すみません」と、少しの失敗はあっても、午前中が何とか過ぎてホッとしたところなのだろう。

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