2020年(令和2年6月) 43号

発行所:株式会社 山田養蜂場  http://www.3838.com/    編集:ⓒリトルヘブン編集室

〒880-0804 宮崎県宮崎市宮田町8-7赤レンガ館2F

家って貰えるんだなって

 亮太さんの自宅は、天竜川支流の気田川(けたがわ)沿いの小さな集落の斜面に建っている。浜松市街地からは車で1時間弱の距離だ。

 「この家に住みたいなと思ったのは、山の中で人が来られないからというのが一つの要因ではありますね。会いたくて来て欲しいんです」

 未紗さんが続ける。

 「結構、来てくれるもんね。意外だけど……」

 再び、亮太さん。「こんな田舎にね、ああいうのは嬉しいね。この家は貰いました。でも、これは世の中の流れかなと思ってるんですよ。元の持ち主は、家族や親戚の反対を押し切って『貰ってください』と……。家って貰えるんだなって思って。家の登記に21600円掛かりましたけど、忘れもしない家の値段。渡りに舟みたいな話ばっかりなんですよね。昔から運が良いんです。うちの母と言うんですよ。『運は良いもんだよ』って。運の良さに関しては数限りなくですよ、ほんと。今年だって、採蜜前になって19歳の弟子が辞めちゃったんですけど、そんな時にちょうど鈴木さんが仕事を手伝ってくれることになって……。私が最初に弟子に入った浜松の師匠からは、半年後に首にされて、当初はへこんだなあ。でも、そのお蔭で実質的に私の師匠となった岐阜の移動養蜂家に出会えることが出来たので良かったのかなと……」。

建勢群の巣箱に追加する新しい巣礎枠を運ぶ

採蜜作業を始める前にエプロンを着ける

蜂数が増えた群の巣箱を入れ替えるため大きい巣箱を運ぶ

採蜜を全て終えた夕方、自宅で漉し器などの道具を洗う

蜂場へ向かう朝、採蜜作業で使う水を湧水の給水場で

一斗缶に溜める

遠心分離機で搾ったみかん蜜の不純物を取り除くため

漉し器に移す

ピアニストとシェアハウス

 この夜、夕飯をご馳走になりながら、塩見夫妻の話を聞かせていただくことになった。すると、夕飯の食卓にはもう1人見知らぬ男性が加わっている。未紗さんが紹介してくれる。

 「家はシェアハウスしていて、ピアニストの前田博史(まえだ ひろふみ)さん(35)です。作曲家でもあるんですよ」

 前田さんの自己紹介だ。

 「コロナの非常事態で演奏などが無くなって、今はユーチューブに曲を上げたりしているんです。ちょうど今、お茶摘みの時期なので農家の手伝いに行ったりして生活しています」

 実際は切羽詰まっているのかも知れないが、前田さんの話を聞いていると、呑気な共同生活に思えてくる。前田さんは、集落の下を流れる気田川(けたがわ)や周りの穏やかな自然の光景を作曲の題材にしているのだ。CDを聴かせてもらうと、穏やかな風の流れや柔らかな光の移ろいを感じさせる優しい調べだ。聴き入っているうちに、私には気田川の光景というよりも、前田さんの人柄がそのまま曲に反映されているように思えてくるのだった。

天浜蜂場に並ぶ巣箱。亮太さんが採蜜の終わった蜜巣板を元の巣箱へ運ぶ

天浜蜂場で採蜜作業を行う亮太さん(右)を中心とする養紡屋の新チーム

お酒を造ろうと蜂蜜に関心を

 前田さんが作ったという竹の子カレーとハイボールをご馳走になりながら、亮太さんの話を聞く。

 「大学はロシア語を卒業したんですが、20歳代は何をしても自分の仕事と思えなくて、墓石の設計や会計事務など色んなバイトをしていました。給料を貰っても何のためのお金なのか分からなくて……。お金がないからお酒を造ろうとしていたのですが、お酒は甘いものから造られるというのを知って蜂蜜に関心を持つようになって、養蜂家と聞けば会いに行っていたんです。それで浜松の養蜂家の弟子になるんですけど、そこは半年で首になって……。その後で、13群の蜜蜂を飼うんですよね。でも上手くいかずに困っている時、移動養蜂の方が弟子を探しているというので……。そこで2年半、修業させて貰いました。実は、僕の曾祖父ちゃんが養蜂家だったんですよ。それは僕が養蜂を始めてから偶々知ったことなんですけどね。戦後の甘味料不足の時代に蜂蜜を闇市で売っていたらしいと聞きましたけど、何かの縁で繋がっているんですかね。曾祖父ちゃんが使っていたハイブツールが家に残っていたんですよ」

みかん蜜の採蜜が終わった夕方、みかん畑蜂場で建勢群の内検をする

きじ場蜂場での採蜜が終わり、冷たいお茶で休憩のひととき

13群の巣箱を置いた原点

 翌朝は、午前7時に自宅を出発した。電気代1600円という約束で土建屋さんから借りた天井の高い大きな倉庫に立ち寄って、草刈り機や新しい巣礎枠を軽トラックに積み込む。倉庫には、冬の間に蜜蜂に与える人工餌の備蓄や予備の巣板や給餌箱などが積み上げてある。その真ん中にイギリスのRileyという自動車メーカーが50年ほど前に生産していたライリー・エルフ・ミニが置いてある。ナンバープレートが付いているところを見ると、偶には乗って出掛けることがあるのだろう。亮太さんらしい生活の楽しみ方だな、と嬉しくなる。

 この朝も昨日と同じ天浜蜂場に到着だ。先に上の段に上った亮太さんを、草刈り機のエンジン音を頼りに探すと、広場の奥まった所に壁のように立ちはだかる竹藪を切り拓いていた。

 「ここは僕が修業に行く前、初めて13群の巣箱を置いた場所なんです。僕にはこれ(竹藪)が草に見えるんですよね。伐る対象なんです。元々、野バラが盛り上がっている野原だったのを切り拓いて、蜂群を増やしていったんです。草刈り機を3台潰しました。そしたら今になって『糞害で困る』と言われても、創業者として切り拓いてきた者としては、素直に縮小撤去という訳にはいかないんです」

 実は昨日、あと少しで採蜜が終わると思われた時、蜂場入口近くにある大きなテクノ工場の担当者が来て、「工場の駐車場に停めている社員の車に蜜蜂の糞害がひどいので話し合いがしたい」と申し入れがあったのだ。亮太さんは仕事の後、工場へ話し合いには行ったが妙案はないままで、気に掛かっていたのだ。天浜養蜂場が養紡屋・塩見亮太の原点なのだ。

天浜蜂場に置いてあったブロックに過去の仕事の足跡が記録されていた

最初に飼った13群の巣箱を置いた天浜蜂場で、亮太さんが竹藪を切り拓く。

画面左に当時の巣箱が朽ちて置いてあった

ワオッこんなに大変かよ

 次に行ったのは、きじ場蜂場だ。縞模様のハンチング帽を被り、胸当ての付いたジーパンに革靴。およそ養蜂家の服装ではないが、これが亮太さんの普段の仕事着である。この日の作業は、秋に同業の養蜂家に売り蜂とする群の建勢(分け出し作業)だ。次々と巣箱の蓋を開けて巣板を引き上げ、群の様子を確認していく。ほとんどの巣箱に新しい巣礎枠を2枚ずつ追加していく。

 「今年初めての分け出しをして、50群ずつに分けたんですけど、今年は全体に群の勢いが弱く2割くらいしか分け出し(勢いのある群を2つに分け、女王蜂の居ない群に人工王台で育てた女王蜂の幼虫を与えて蜜蜂群を増やす作業)ができず、出だしが悪いんです。チョーク病が出たのかも知れないし、近くに養鶏場があるので何らかの影響があるのかも知れません。昔は、全体の8割から9割ほどは巫女さん(未交尾の女王蜂)が産まれ、その9割は交尾をするので、全体からすると7割ほどは女王蜂が誕生して新しい群になるんですけどね。チョーク病は女王蜂を替えれば治りますので、女王蜂の性病ではないかと思っているんです」

 「法定伝染病になっている腐蛆病という蜜蜂の伝染病があるんですが、この病気の唯一の予防薬(抗菌剤)の主成分でタイロシンというのがあるんですね。タイロシンを使わない方が良いとは思うんです。昔ながらの養蜂家は抗菌剤を使っていますね。対処の仕方が分からない病気が出てきて、その時に抗菌剤を使って対処することは悪いとは思わないですね。僕は4年ほど前、蜂が病気で2割ぐらいしか出荷できず、切り替えるのに1千万円ぐらい借金しましたね。養蜂を始めた頃で、分かってなかったからやりましたけど、実際やってみたらワオッこんなに大変かよって感じでしたからね」

 きじ場蜂場では、分け出し作業の流れから深刻な話になってしまった。しかし、養蜂が生き物を扱う畜産業の一つであることを考えると、養蜂家は常に蜜蜂の健康に敏感でなければ、大切な財産であり、かけがえのない命でもある蜜蜂を守ることは出来ないということなのだ。

養蜂技術は人間の働き方

 昼食の時間になり、亮太さんはみかん畑横の作業道を上り、蜂場に着くと空の巣箱を木陰に持ち出して腰を下ろした。亮太さんは昼食というより話をしたかったのかも知れない。

 「岐阜の移動養蜂家の師匠は『養蜂の技術というのは特別な技術ではなく、無駄な動きをしない人間の働き方なんだ』と言うのが持論なんですよ。師匠とは弟子入りして2年半後に、事情があって自分から離れてしまったんですけどね。その後、弟子の頃からの慣わしで師匠が北海道へ巣箱を送る時は、積み出しの手伝いに岐阜へ行っていたんですが、喧嘩別れみたいになっていたので2年間、師匠はもちろん誰も口を利いてくれなかったです。3年目になって師匠から、あれやれこれやれと指示をしてもらって、やっと受け入れてもらえたと嬉しかったですね」

夢を語って良いですか

 この後だ、亮太さんが少し改まって「夢を語って良いですか」と言う。

 「1つ目は、昨日の夜も少し話しましたけど、養蜂を始めた切っ掛けですからワインよりも古く人類が親しんでいるミードという蜂蜜のお酒造りをしたいんです。そして2つ目ですけど、地球版お遍路をしたいんですよね。世界移動養蜂家と言っても良いんですけど。ウーフ(WWOOF)という1971年にイングランドで始まった有機農業を手伝う活動があるんです。蜜蜂を持って転々とウーフの農家を移動して、交配で農家の役にも立って、蜜を売って収入を得ながら、世界を回るんです。あいつ、今、どこにいるの。ああ、あいつ、今、アフリカ辺りを回ってるんじゃないのとか言われるような、そんなお遍路をしたいんです。『風の谷のナウシカ』に森の人が出てくるでしょ。虫を友として人里から離れて生活をしていて、ナウシカを導く人。あの森の人が養蜂家だと思うんです。お金が優先の社会では、みんなが迷って生きているのではと思うんですよね。『透明な存在』というのは神戸連続児童殺傷事件の犯人が使って話題となった言葉で、僕ら世代が影響を受けた言葉だと思うんですが、僕は蜜蜂に出会った時、これで迷わないですむ仕事に出合えたと思えたんです。『自分の色を手にした』と言うか、社会の中の自分の役割を得たなと思ったんです」

 唐突な話の展開に、私は少々戸惑った。がしかし、亮太さんの語る夢を現実社会に照らし合わせてみると、確かに、養蜂家がこの地球上で果たしている役割を言い得ていると思えてくる。否、これは養蜂家だけの話ではなく、この世の全ての職業が地球上で果たさなければならない役割を担っている筈なのだが、お金優先の社会に目がくらみ、見えなくなっているのかも知れない。亮太さんの夢「地球版お遍路」の話は、哲学の話だったのだとようやく気付いた。

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