2020年(令和2年8月) 45号
発行所:株式会社 山田養蜂場 http://www.3838.com/ 編集:ⓒリトルヘブン編集室
〒880-0804 宮崎県宮崎市宮田町8-7赤レンガ館2F
周りを森に囲まれた大谷蜂場で小雨の中シナの採蜜が続く
大谷蜂場で電動蜂払い機を使って蜜巣板を取り出す康裕さん(右)を見守るように待機する蜜巣板を運ぶ役の菅野茂樹さん
小雨が降る中、蜜蓋切りに集中する亜紀子さんの表情に真剣さが漂う
3 - 3
<
>
国産蜂蜜ブームが追い風
翌日、採蜜を延期した康裕さんはのんびりした時間を過ごしていた。庭の花壇でグラジオラスの植え替えをし、空いた巣箱を洗って干す。それが終わると、3年前に訓子府町の市街地に購入した中古住宅のリフォームにも取り組む。午後からは、緑丘蜂場の脇を抜ける林道の奥へ行き、シナノキの花が咲いている状態を見せてもらった。
「明日が今年最初のシナの採蜜ですが、巣箱を伊豆から持って来てからシナの花が咲く前までに貯まった蜜を、掃除採蜜といってシナの花蜜が入る前に一度採蜜しているんです。以前はシナ蜜の人気がなくて、専売公社の時代ですけどね。公社の人がテイスティングをして、刻んだ煙草の葉にシナ蜜を香料として染み込ませて、葉がすぐに燃えてしまわないようにするために使っていたんです。そんな時代だったため、一斗缶のまま問屋さんに売りに出していたので、たくさん採らないと養蜂家は食べていけなかったという話も聞きましたね。それが10年ぐらい前から国産蜂蜜のブームが始まって、僕らの追い風になっていると思います。今では、シナ蜜というか菩提樹蜜という一つのブランド(単花蜜)として評価されています」
シナノキには、7月下旬から里に近い所で花が咲き始める青シナ(オオバボタイジュ)と8月上旬から山の深い所で咲き始める赤シナ(シナノキ)がある。青シナの葉は大きくて皺があり、赤シナの葉は小さく皺が少ないのが特徴だ。林道に近い所のシナノキはほとんど花が終わり、小指の先ほどの丸い実を付けていた。林道から見上げる少し高い山の頂上付近一帯が濃い黄色に彩られ、今がシナの満開であることを告げている。
午前5時前、大谷蜂場がある森へ続く林道入口のゲートを開ける
小雨が降る中、亜紀子さんが蜜蓋を切った蜜巣板を遠心分離機にセットする
シナ蜜の香りは針葉樹が聳える風景
「蜂場を探す時には、上から流れてくる沢の水量を見ると山の規模が分かるのでシナの木の量も分かると、先輩から教えて貰ったことがありますね」
沢の流れに沿って続く林道を歩きながら康裕さんが言う。康裕さんと話をしている間、亜紀子さんは茂みに踏み込んで森の空気を楽しんでいたようだ。横浜育ちの自然児なのだ。林道から戻る途中、蜂場の傍らに少しの間だけ車を止めた時、亜紀子さんが感激して言う。
「ほらブーンという良い音が聞こえるでしょ。腹一杯蜜を吸って重たいのに一所懸命飛んで帰って来ているんですよね。シナ蜜の時には特に重たそうに聞こえますよね」
花蜜を吸って巣箱に帰って来ている蜜蜂の羽音を「良い音」と表現しているところに、亜紀子さんが蜜蜂に抱いている愛おしさを感じる。羽音で蜜蜂の機嫌が分かると言う養蜂家は多いが、「良い音」と表現する養蜂家に出会ったのは初めてだ。そういえば、この朝のお茶の時間だったか亜紀子さんの言葉に蜜蜂と同じ目線で仕事をしようとする養蜂家の意識を感じたのを思い出した。
「蜜蜂の苦労は、どんな蜂蜜も一緒ですよね。だから、どんな蜂蜜も同じ値段で良いと思うんです。だけど、大島桜の蜜だけは別ですけどね。大島桜は巣箱を移動する苦労が大変だからというのもありますし、香りが強い、土着の香りがするんです。シナ蜜の香りは、針葉樹が聳える風景を思い描きますよね。そんな蜜蜂を取り巻く環境も伝えたいんです。蜂を通じて賑やかな場所になったら良いなという思いも込めて、私たちの仕事場を『村上養蜂Beehive』としたんです」
大谷蜂場で採蜜する前日、継ぎ箱の蜜巣板を点検し蜜が溜まっていることを確認
緑丘蜂場の奥の山でシナノキが満開の状態だった
巣箱に打ったピンの位置で女王蜂の状態を示す。この位置は王台が出来ていることを
示している
小雨模様の為しばらく様子を見た後、採蜜の準備を始める
夫婦は以心伝心
今年初めてのシナ蜜を採蜜する朝。偶然にも8月3日、ハチ・ミツの日だ。約50群の継ぎ箱が整然と置かれた緑丘蜂場に到着したのは午前4時40分。熊避け電柵の電源を切り、2トントラックの荷台に載せた遠心分離機をベルトで固定する。荷台の上に蜜蓋を切るスペースを確保し、蜜蓋を切る包丁を温めておくためステンレスの缶とコンロを準備する。遠心分離機で搾った蜂蜜を漉し器を通して貯める一斗缶を設置して準備万端だ。
康裕さんが燻煙器に火を入れ、最初の継ぎ箱の蓋を開ける。電動蜂払い機を通して蜜巣板を取り出す。最初の1箱分だけは亜紀子さんが取り出した蜜巣板を受け取り、運搬用の継ぎ箱に納めて自分でトラックの荷台まで運ぶと、ただちに蜜蓋切りを始めた。最初に搾った蜂蜜が遠心分離機の蜜口(排出口)から流れ出した時、亜紀子さんが思わず声に出す。
「すごく色がきれい」
2人は自らの役割を黙々と進めている。康裕さんが蜜巣板を取り出して蜜蓋を切るトラックの荷台まで運ぶと、亜紀子さんが蜜蓋を切り遠心分離機にセットする。お互いの仕事の進み具合では、康裕さんが搾った蜂蜜を一斗缶へ移すか、亜紀子さんが移すか、お互いの様子を見ながら判断している。
1時間ほど経ったところで、康裕さんが「休憩、大丈夫」と亜紀子さんへ声を掛ける。「あっ、大丈夫」と亜紀子さんが応じる。会話はこれだけ。
遠心分離機がゴッゴッゴッゴッと回転すると、トラックの荷台が微妙に揺れる。その上で作業している亜紀子さんは、揺れる大地の上に居るのと同じだ。ちょっと心配になる。
予め荷台の上に置いてあった一斗缶6本が蜂蜜で一杯になった。康裕さんが予備の一斗缶を荷台に運び上げると、「ありがとう」と亜紀子さん。夫婦は以心伝心、最小限の会話なのだ。
搾り終わった蜜巣板を元の巣箱に戻す時、康裕さんは新しい巣礎枠を1枚足している。今がシナの花の最盛期、花蜜が沢山あれば蜜蜂の群はこれからも数を増やしていくのだ。最初の継ぎ箱の蓋を開けたのが午前5時。休憩することもなく黙々と作業を続け、「これでお仕舞い」と亜紀子さんに声を掛けて、康裕さんが最後の蜜巣板8枚を運んだのは、午前8時44分だった。
蜜蜂の数が増えて継ぎ箱の周りに溢れ出している
蜜蓋を切ると透明感のあるシナ蜜が現れる
蜜源が豊かだと、良い結果
「何年か振りでやりがいのある採蜜でした。ここの蜂は完璧に出来上がってはなかったのですが、良く稼いでくれました」
康裕さんは疲れもみせず、満足そうだ。
「4、5日前の内検の時より巣板1枚分は蜂の数が増えていましたし、蜜も貯まっていましたね。蜜源が豊かだと、蜂の勢力にかかわらず良い結果になるという典型例ですね」
蜜蜂の充実した働きを巣箱の蓋を開ける度に感じることで、長時間を休むことなく作業を続けることができたのだ。康裕さんは、今年の単箱(下段の巣箱)には巣枠と巣枠の間を13ミリ空ける従来型の駒を止めて、間隔を8ミリにする駒を使っている。
「8ミリ駒にして作業はやりやすくなりましたね。ムダ巣が少なくなり、巣板1枚に集っている蜂数が少なくなったので、蜂の状態が見やすくなりました」
この朝の満足できる成果は、康裕さんが繰り返す試行錯誤の結果なのだ。康裕さんの基本的な養蜂技術は、養蜂家になる切っ掛けを作ってもらった菅野富二さんの仕事を手伝うことで学んだ。
「菅野さんからは『最低限の技術を身につけるには5年は必要だな』と言われていたので、ただ働きでも構わないので手伝わせてくださいと、お願いして『そんな気持ちでいるなら、手伝いに来い』と許してもらえたんです。実際はアルバイト代は貰いましたけどね。今でも手伝いに行くと、新しいやり方を学ぶことがありますね。それに数値化できない体で覚える技術というのもありますしね」
鳥が鳴き始めた、もう降らない
翌朝は小雨模様。この日採蜜を予定している大谷蜂場は採蜜群の群数が多いこともあり、師匠の妻の菅野菊枝(かんの きくえ)さん(63)と師匠の弟の菅野茂樹(かんの しげき)さん(66)に手伝いを頼んであった。大谷の森へ入る林道入口のゲートを開ける時には、まだ小雨が降り続いていた。大谷蜂場に到着したのは午前5時。心なしか雨が激しくなったような気がする。康裕さんがトラックの運転席から降りて「しばらく様子を見て待機します」と手伝いの2人に告げる。天気予報では次第に回復する筈なのだ。蜂場に並べられた継ぎ箱は、巣門から蜜蜂が溢れ出て周りにびっしりと集っている。蜂の数が増え過ぎているのだ。それだけ強い採蜜群になっているのである。
30分ほどすると、康裕さんが「鳥が鳴き始めたから、もうそんなに降らないでしょう」と、作業開始を告げる。直ちに亜紀子さんと菊枝さんが蜜蓋切り作業の流れを作り上げ、茂樹さんが遠心分離機をトラックの荷台にベルトで固定していく。康裕さんは、採蜜した後で加えていく巣礎枠を1枚ずつ継ぎ箱の横に立て掛けていく。誰かが指示する訳ではなく、みるみる採蜜工場の流れが出来上がっていくのだ。重い蜜巣板を運ぶのは茂樹さんの役割だ。遠心分離機が回り、採蜜作業が進む中でも小ぬか雨は降り続いた。気温が上がらないためなのか、蜜蜂の気性が荒くなっているようで体や面布の周りに纏わり付いてくる。康裕さんの表情から、「この程度の雨ならば最後まで遣り遂げる」という覚悟が伝わってくる。菊枝さんと一緒に蜜蓋を切り、蜜巣板を遠心分離機にセットしていた亜紀子さんが、蜜口(排出口)から流れ出る蜂蜜を見て、「昨日の蜜より色がきれいですね。やっぱり山奥だからね……」と、自らを励ますように声に出す。雨は次第に小降りになり、やがて止んだ。
半数の継ぎ箱が採蜜を終えると、一旦作業を止めて朝食だ。亜紀子さんと菊枝さんが食べきれないほどのおにぎりや生野菜、果物、トウモロコシなどを準備している。話題は共通の知り合いの噂や養蜂道具の情報交換だ。
菅野茂樹さんが蜜巣板を運ぶ
遠心分離機の蜜口(排出口)から流れ出るシナ蜜
蜜蓋切りの手伝いに来た菅野菊枝さん
お母さんのような心遣い
腹ごしらえをして作業は順調に進む。蜂蜜を搾った巣板が巣箱に戻されてきた時、康裕さんは巣板を瞬時に確認し、サナギや卵が多い巣板は巣箱の中央に置き、蜜房が多かった巣板は巣箱の外側になるように並べ替えて巣箱に入れていく。それと同時に、新しい巣礎を1枚追加し、古い巣板を1枚取り出している。巣板は4、5年ごとに新しくしてやらなければならないのだが、流蜜が太い時に巣板を入れ替えてやると巣房を盛り上げていく蜂の働きの効率も良いのだ。
「流蜜の太い時でも巣礎から巣房を盛り上げるのに3日くらいは掛かっていますから、その分採蜜の量は減ります。それで、価格の高いアカシア蜜よりは価格が少し安いシナ蜜の時に巣板を入れ替えるという経営的な戦略もありますね」
シナの採蜜時に巣板を入れ替えるのは、養蜂家としての計算があるのだ。
採蜜作業が3人対1人の体制になると、康裕さんの作業が遅れがちになる。採蜜作業が終わりに近づいた頃、亜紀子さんの手が空いたので蜂場の中から蜜巣板を運んできて、菊枝さんが蜜蓋を切ろうとして「あれ、これ搾ったのでないの」と大笑いしている。搾り終わって巣箱に戻すはずの巣板を運んできたのだ。連日の早朝作業で疲れが出て、集中力が途切れているのかも知れない。採蜜作業が終わるころになると、薄日が射していた。
採蜜作業は昼前に終わった。直ちに蜂蜜を貯めた一斗缶をトラックに積み込み、帰り支度だ。菊枝さんが帰り際の車の中から亜紀子さんに声を掛ける。
「あなたたちは昼ご飯は一緒に食べるの、(自分の)家で食べるの」。亜紀子さんが応える「あっ、家で食べます」。「分かった、それなら昼ご飯は準備しないからね」と声を掛けて、菊枝さんは一足先に帰っていった。疲れて自宅に帰ってからも道具を洗ったり、蜂蜜を貯めた重い一斗缶を倉庫に運び入れたりしなければならない康裕さんと亜紀子さんに対する、お母さんのような菊枝さんの心遣いなのだ。
村上康裕さんと亜紀子さんの周りには、師匠である菅野富二さんの家族はもちろん養蜂家仲間や訓子府の近所の人びとの厚意が感じられる。それは今回の短い取材期間でも感じられた康裕さんと亜紀子さんのひたむきで誠実な暮らしぶりが周りの人びとの情を引き寄せているからなのだろう。康裕さんが亡くなった父親の話をしている時、ぼつりと言った言葉が思い出される。
「父親が亡くなる前に言い残した『蜂を覚えておくと良いよ。財産になる』という言葉の意味は、単に経済のことだけでなく、人との繋がりや自然と関連して得られた知識や生活感を含めたものが自分の財産だなと、今になって実感してますね」
そう感じられること自体が康裕さんの人柄なのだと、取材を終えて改めて思う。
採蜜が継ぎ箱の半数終わったところで朝食タイム。気温が上がらず蜜蜂が纏わり付くため食事中も面布を外せない
気温が上がらないため蜂が纏わり付く中で蜜巣板を継ぎ箱から取り出す康裕さん
緑丘蜂場近くの麦畑では収穫が終わり、夕暮れになると霧が棚引いていた
3 - 3
<
>
Supported by 山田養蜂場
Photography& Copyright:Akutagawa Jin
Design:Hagiwara Hironori
Proofreading:Hashiguchi Junichi
WebDesign:Pawanavi