2020年(令和2年11月) 47号

発行所:株式会社 山田養蜂場  http://www.3838.com/    編集:ⓒリトルヘブン編集室

〒880-0804 宮崎県宮崎市宮田町8-7赤レンガ館2F

戻り蜂に頭を36か所も刺され

 真庭市は現在でも自然豊かな地方都市だが、卓美さんが高校生の頃までは今よりずっと自然豊かな地域だったようだ。

 「高校まではずっとここですからね。ガキの頃、アシナガバチの幼虫を捕りに行ってましたね。草を燃やしてね。巣の中の幼虫を食べたりしてましたからね。あれ、少し甘いんですよ。今、うちで作っている農作物はジャガイモとサツマイモ、それにナスビと米なんですけど、ガキの頃から両親を手伝っていましたから農作業は大丈夫ですね。2年前だけど、蜂で大失敗しましてね、36か所も頭を刺されてね。レンゲ蜜を採るので田んぼに置いてあった巣箱を、花が終わって家に持ち帰った後、戻り蜂がおったんですね。田んぼでトラクターに乗ってレンゲを鋤き込んでいる時に、石垣に垂れ下がった草の中に居たんでしょうね。一斉に蜂が襲って来て、嘘やろと思いましたね。うちの奥さんと息子で毒針を全部取ってもらいましたけどね、首の後ろに後々までチクチクが残りましたね。始めてだよね、あんなに刺されたのは。戻り蜂には用心しないといけないな、まいったな、あれは」

マドンナ的存在だった

 卓美さんの話に夢中になっていると、康子さんがおとぎ話に出てくるような洋風な陶器の小さな家を見せてくれた。イギリスのリリパットレーンという会社が作るミニチュアハウスを輸入して販売しているのだという。康子さんが「仕事は書籍商です」と自己紹介。輸入した洋書を1000冊ほどもAmazonに出品して販売しているのだ。その他に、蜂蜜を使ったプリンやフィナンシェ(焼き菓子)を作り、市内の菓子店で販売をしてもらっているという。輸入している洋書の中には、フェアリー本と呼ばれる妖精の本もあるとのことだが、ご本人の雰囲気が夢に見る妖精のような存在だと思った。

 卓美さんと出会った札幌医科大で教授の秘書をしていた康子さんは、当時、若い医者の卵たちの間でマドンナ的存在だったようで、卓美さんが康子さんを射止めて結婚することになった時には、医科大の同僚たちから妬まれ「大変でした」と言葉少なだが、嬉しそうに当時を振り返る。

康子さんが輸入販売しているリリパットレーンのミニチュアハウス

 「結婚した当初は、私が退職したら札幌で暮らすつもりでマンションも購入してあったんですけど、それで子どもたちは札幌で生活していたんです。だけど、癌研究所の所長を勤めた最後の5年間は、会社が京都に家を準備してくれたもんで、そのまま退職後は私の故郷で農業をする流れになったんですね。最初、奥さんは蜂場に一緒に来ていたんです。車の中で本を読んだりしていましたね。一緒に仕事をしようとしていたんですけど、顔を刺され、2回目は脚を刺されて、その時は、咳が出て全身に発疹が出て、アナフィラキシー反応が出ることが分かって、今は蜂場には行かないですね」

蜂場へ出発する卓美さんと達彦さんを自宅前で見送る
康子さん

勝山蜂場へ入る山道の入口で私を待つ住田さん親子

勝山蜂場での内検を終えた後、近くの景勝地・神庭の滝
(かんばのたき)へ

蜜蜂とお友だちになろうと思って

 それでも康子さん、自宅裏の蜂場に置かれた巣箱は注意深く観察しているようだ。

 「ずっと見ていると、スズメバチが蜜蜂を捕まえてフワーッと拉致していくんですよ。あれを見ると許せないですね。私ね、蜜蜂とお友だちになろうと思って、掌に蜂蜜を塗って蜂を可愛がっていたんですね。でも、すぐには来ませんよ。そのうち門番みたいな蜂が何だろうという感じで掌に乗って来ますけど、結局は、唇の上を刺されてしまって……」

 やはり、康子さんは、夢見る少女がそのまま大人になったような女性なのだ。傍らに居る卓美さんの話を聞いていると、住田夫妻は似たもの同士なのだと思えてくる。

 「田植えの頃には蜂を食べにカエルが寄って来るんですよ。それを狙ってヘビも来ますからね。巣箱をブロックの上に載せて高くしているんですけど、下で待ち構えていて下に来た蜂を食べますね。元気のない蜂は絶対食べません。元気のいい奴だけ食べられます。小っこいカエルも来て蜂を食べますけど吐き出しますよ。口の中を刺されますからね。冬はモズも来てますからね。巣門の前で待ち構えて蜂を銜(くわ)えていきますからね。この野郎何してんだと思いますね」

巣箱の蓋を開ける時にはノック

 この日、午後からは、今年から試験的に使っているダニ駆除剤のチモバールが3週間余を経て入れ替える時期だったため、移虫の結果を確かめる内検と併せて、勝山蜂場へ出掛けた。単箱11群、継ぎ箱20群が2列に並んでいる。巣箱のすぐ横で聳えるユリノキの大木が印象的だ。花の時季は有効な蜜源になるのだと、卓美さんが教えてくれる。

 内検を始めると、卓美さんは煙をプップッと巣門の前で吹いてから「開けるよ」と声には出さないが、トントントンと蓋の上を軽くノックする。内検が終わって蓋を締めた後もトントン。なるほど蜂の気持ちになれば、いきなり巣箱の蓋を開けられるより、ずっと安心感があるだろう。そんな卓美さんの仕草を見ているからなのか、達彦さんは巣枠の上に置く網蓋を被せる時に、巣箱の角に居た一匹の蜂を指でそっと押し込むように巣箱の中に入れてから被せている。

 「網蓋は冬には役に立ちます。砂糖水をやる時にも網の上からやって、すぐ蓋を締めると巣箱の温度は下がらないですからね。蜂には優しいんです。チモバールは、巣枠の上に載せておくタイプなんで、蓋と巣枠の間が2㎝ほど空いてなければならないんですけど、網蓋があるとちょうど良い空間ができますね」

 網蓋を使う養蜂家は少ないため、珍しそうに見ている私に、卓美さんが説明してくれた。

卓美さんは巣箱の蓋を開ける前にトントントンとノックをする

新女王蜂の産卵が始まっているのを確認した卓美さんが達彦さんに示す

交尾に出て帰って来ない女王蜂

 移虫の成果を確かめる内検を進めると、新王が誕生した後、交尾に飛び出した筈なのに女王蜂の居ない群があった。

 「この2つが帰って来ていない。残念だね。まぁ、全部が帰って来ることはないですわ。ほんとは帰って来てほしいけど」と卓美さん。

 だが、次には「こいつは帰って来ているわ、大丈夫。蜂も多いわ。もう卵を産んでる」と、声が弾む巣箱もある。卓美さんと並んで内検をしていた達彦さんが「この子は少し荒い群なんです。女王蜂を替えたから、次に子どもが生まれてきたら、少しは温和しくなるんじゃないかと思うんです」と、すでにいっぱしの養蜂家のような説明だ。

給餌箱に砂糖水を満々 2段が満群でしたね

 「今年は分封が多かったから、分封する時には腹一杯蜜を持って出て行くでしょう。それで蜜が溜まらなかったですね。分封熱が出た時には、ものすごい勢いで出て行きますからね。それを見たら巣門を閉めて、巣箱の蓋を開けて、上から水をぶっ掛けますね。そうすれば分封熱は収まりますね。そりゃ蜂にしたらたまらんでしょう」

 「今年は3月から4月中旬までサクラ蜜がすごい入りました。年によって違いますね。藤蜜も結構入りましたね。3、4、5月までの蜜、レンゲ蜜までは糖度が80度までにすぐなるんですけどね。7月のビービーツリーと8月のカラスザンショウは、糖度が77度以上にはなかなか上がらないですね。蜂は瓜類にはだいたい行きますね。ネギ坊主の蜜に1群だけが行ってましたね。巣箱の蓋を開けた途端に匂いますからね。まだ、食べたことはないけど個性があるから、かえって良いかなと思っているんです。11月中旬までは冬越しの卵を産みますからね。去年は温かかったし給餌箱に砂糖水を満々とやっていたら、雄蜂もずっと冬も一緒に居ましたね。(継ぎ箱の)2段が満群でしたね」

 卓美さんが今年一年を振り返っている。雄蜂は秋口に巣箱を追い出されて凍死するものだと思い込んでいたが、冬越しの餌の状態が良ければ一緒に巣箱で冬を越させてもらえるのだ。

 「洋蜂をやる1年くらい前には、日本蜜蜂を飼っていたこともありました。ザックブルード病が出てしまって……。一気に衰退するのはウイルス病ですからね。それを媒介するのがダニですからね。ダニを退治しないと……」

 ダニ駆除剤を取り替えながら、昔の痛い思い出を教えてくれる。養蜂家なら誰でも1度や2度は痛い目にあったやっかいな伝染病だ。

巣枠を引き上げると生まれたばかりの女王蜂が隔王板の上で

働き蜂にいじめられているのが見つかった

まさに今、王台から生まれ出ようとする女王蜂

スズメバチの捕獲器を取り付けた巣箱に花粉団子を脚に
付けた働き蜂が飛び帰る

女王蜂の発見遅れていじめられ

 翌朝は、自宅裏の蜂場で移虫の成果を確認する内検だった。

 「9月の始めから3回やって、25群ぐらい移虫が完了できましたね。最初に移虫した8群がもう卵を産んでいますね。8月お盆明けから10月始め頃までにやればたいがい上手くいきます。そうすると春の立ち上がりが良いですからね。新王が誕生すれば1週間で交尾に飛び立つといわれているけど、早い奴は4日くらいで飛び出していきますよ。移虫して10日か12日で、だいたい新王が出ますね」

 そんな卓美さんの説明を聞きながら内検を進めていると、巣枠を引き上げた隔王板の上で、団子状になった蜂が居るのが見つかった。

 「12日目だから、今朝、生まれてますね」と、卓美さん。生まれた女王蜂を早く見つけて王籠に入れ、女王蜂が居ない群へ移してやらなければならなかったのだが、発見が遅くなり生まれたばかりの女王蜂が働き蜂からいじめられていたのだ。卓美さんは、すぐにその女王蜂を救い出して王籠に入れ、準備してあった無王群に迎え入れてもらえるよう巣枠に挟み込んでいた。僅かな時間差や温度差で、巣箱の中の状況は刻々と変化する。採蜜期が終わり来春をイメージして越冬の準備をする初秋から晩秋に掛けての養蜂は、一年間で最も大切な時季に当たる。

妖精を共として

 養蜂を始めて9年目を迎えた住田卓美さんの話を聞いていると「レンゲ畑を鋤き込んで無農薬の米を作りたい」という願いが発端となった養蜂だが、その根底には巡る自然と儚い命に対する慈しみが潜んでいると思えてくる。高校卒業までを過ごした故郷の自然体験や獣医師の資格を取得して向き合った生物との対話、それと製薬会社に長年勤務したことで培われた生と死の係わりを経て辿り着いた住田さん自らの哲学だ。言うまでもなく、そこに辿り着くまでに果たした妖精のような妻の影響力を忘れてはならないのだが……。

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