2020年(令和2年12月) 48号
発行所:株式会社 山田養蜂場 http://www.3838.com/ 編集:ⓒリトルヘブン編集室
〒880-0804 宮崎県宮崎市宮田町8-7赤レンガ館2F
境内の右 隅に天へ向かって立つ「鮎澤諏訪社一之御柱」は地元氏子の誇り。諏訪大社と同じように7年に一度建て替えられる
スズメバチ来襲の時期が過ぎ、巣箱から取り外した捕獲器を掃除する薫さん
秋の風情満載の鮎澤蜂場で内検をする康さんが、巣箱の中や巣房の状態を丁寧に観察している
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大事なんはポリネーション
天竜川がすぐ裏を流れる自宅兼店舗に帰ると、巣箱を積み上げてある自宅横で薫さんが、来襲の時期が終わった後に巣箱から外したスズメバチの捕獲器を掃除している。薫さんが蜂場へ一緒に行かなかったのには何か理由があるのだろうか。
「2年前に刺されて、呼吸が苦しくなっちゃって、鼻水が出て、血圧も下がっちゃって。蜜蜂でもアナフィラキシーは出るから、蜂も命がけだし、命に付いて考えましたね。『苦しいんだけど』と言われた時は……、あの時はあせっちゃったですね。蜂にはありがとうという感謝の気持ちを持たなきゃいけないなと思っているんですけどね」と康さんが、薫さんを労るように教えてくれた。
康さんは自宅に帰り着くと、すぐに玄関に据え付けられている薪ストーブの前に座り込んで一斗缶に準備してある薪をくべながら炎を見つめている。どうやら康さんにとってストーブの炎が気分転換のアイテムになっているようだ。
「カリンの蜂蜜漬けやレモンの蜂蜜漬けがありますけど、見てみますか」と、居間に誘ってくれた。カリンやレモンを漬けた大きな瓶を幾つもテーブルの上に並べる。そのうち薫さんも居間に姿を見せた。「3年物の梅の蜂蜜漬けがありますけど飲んでみますか」と、真剣な目つきで瓶からお玉で梅の蜂蜜漬けを掬いグラスに注いで炭酸で割ってくれた。生活を楽しもうとしている2人の気持ちが伝わってくる。「サングリアも砂糖ではなく蜂蜜で造りますよ。飲んで欲しいけど車がね……」と、康さん。
「蜂というのは巣別れして分家を増やそうというのか、分封したがるのが習性なんですね。分封することがないならば、養蜂家の仕事はすごく楽なんですよ。1週間ごとに内検できれば良いんですけど、9日置き10日置きになってしまって、1回分封熱が出ると、もう止めようがないんですよ。養蜂家の大事な仕事はポリネーションをする蜂を育てることと蜜を採ることなんですけど、より大事なんはポリネーションですね。蜂を管理できるのは養蜂家しかないんだから。『蜂を増やすのは養蜂家の義務だ』と先輩に言われたことがありますよ。群を3つに分けるのは、より多く(蜂を)増やしたいと思っているからなんです。4月20日から5月10日にはリンゴ農家にポリネーション用に貸出の時期なんです。170から180群貸し出し群を準備するんですけど、きつい時は父親のことを思い出したりしますよ。こんなことやってたなとか、これどうやっていたんだろうとか、無意識の内に考えてますね」
鮎澤蜂場で内検を始める前に燻煙器に火を点ける
蜂数の多い群から少ない群へ蜂を移動させる場合は巣門の前に蜂を払う
鮎澤蜂場の一角に蜜源となるトチの幼木を植えた
蜂蜜を贅沢品にしたくないな、潤沢が一番
翌朝9時過ぎ、康さんが蜂場へ行く準備をしていると、東京ナンバーの乗用車が玄関先にやって来た。「2か月に1回くらいは来てるんだ」と、蜂蜜を買いに来てくれたお客の宮沢兼康(みやざわ かねやす)さん(74)だ。
「実家は近くなんだけどね。墓参りしてさ、帰るんよ。他だとね、値段が2倍から3倍くらいしますよ。ひとに差し上げると喜んでくれる訳よ。金原養蜂があんまり知られて沢山買いに来られると困るのよ。何が困るといって、ネットで値段を調べられるとね、せっかく『高い物を』と言ってもらってるのに、残念。アカシア(蜜)は味がマイルドだからゴルゴンゾーラ(チーズ)に掛けるね」
こう言ってアカシアの瓶詰めを2個買って、風のように帰っていった。
康さんが出発の準備をしている倉庫の棚には、今年採った蜂蜜の瓶詰めサンプルが採蜜した日付順に蜂場の場所と糖度を記入したラベルを貼って並べてある。
「アカシア(蜜)を採る前の百花と採った後の百花は味が違うので、それを混ぜて味が一定になるようにして瓶詰めしているんです。アカシアも蜂場によって透明度が違っているので、アカシアも異なる蜂場の蜜を混ぜてなるべく同じものを提供できるようにしています。蜂蜜を贅沢品にしたくないな。潤沢で皆が使えるものであったらいいなと思ってるんです。潤沢にあるのが一番なんですけど、そのためには花もなければならないので、自然が豊かであることは大切ですよね」
「5月後半から6月初めに天気と花の状態が良いと、標高1000mほどの木曽の山奥でトチを採るんですけど、車に乗ってる時間だけで1時間20分なんです。通常だとトチが咲いて、その後にアカシアが咲くんですけど、グーンと気温が上がると、花が一斉に咲いちゃうんで、木曽のトチと岡谷のアカシアの花が一緒になって、あっちも採りたいこっちも採りたいになっちゃっうんです。ここ2、3年は結構一緒になってしまって、日程が詰ってしまって、どうしても今日(巣箱を)運ばなくちゃという時には徹夜してでも運びますね。アカシアも2回採りたいんですけど、1回は採れても2回目が梅雨に入ってしまうと、花は萎む、蜂は飛ばない。なかなかタイミングを合わせられないですね。花の状態がいいと中4日で搾れるんですけどね」
巣箱の近くを歩いていた蜜蜂の脚が滑って枯れ葉の上でもがく
康さんは淡々と規則正しく内検を続ける
蓋を閉めたら2月までは開けない
この日も「詰める」作業だ。出発しようとして康さんが手にしている道具を見ると、椅子のようだが蓋のない箱のようでもある。
「色々と工夫して第3弾(3つ目)なんです。巣箱を輪切りにして作業効率向上椅子。古くなって交換した消防団のホースを切って取っ手などに利用してるんです。第2弾はうっかり軽トラでひいて壊してしまいました」と、康さんは苦笑い。
この日の鮎澤(あいざわ)蜂場は周りを紅葉で囲まれ緩やかな傾斜のある清々しい環境だ。
康さんの作業は、判で押したように正確で一定のリズムがある。巣箱の蓋を開けて全体の状況を確認すると、巣板を1枚1枚持ち上げて重さを確かめながら、集っている蜂の状態を観察し、巣房の中の卵や蜜の状態を確認していく。同じ作業を淡々と繰り返す。巣箱に蓋を被せる前に康さんは必ず、もう一度何かを確認するかのように巣枠に被せた薄いシートとハトロン紙をめくって巣板を覗き込んでいる。
「蓋を閉めたら、もう来年の2月初めまでは開けないんで、何か間違いはないかというような確認ですね。来年もよろしくねという願いも込めてですね」
「来年の春に出荷する蜂はもう決めてあるんで……。後で選ぼうと思っていると迷ってしまうので、(採蜜が終わってから)7月に3つに分ける時に元群は出荷用と決めておくんです。3月になると出荷用は餌を多く与えるし、採蜜群はできるだけ自然に任せますね」
何度も説明を聞いているうちに「蜂を詰める」という作業の内容が少しは理解できるようになってきた。
出発前に倉庫で、巣箱の断熱材としてハトロン紙を準備する
今年採った蜂蜜のサンプルに日付と蜂場と糖度を記入して保存し、蜂蜜が均一になるよう混ぜる参考にする
父親からこのトチの花を見ろと
鮎澤蜂場での作業が終わった後、自宅の近くにある鮎澤諏訪社(あいざわすわしゃ)を案内してもらった。康さんは任期2年の鮎澤区議会議員を現在務めていて、鮎澤諏訪社でもあの名高い諏訪大社の「御柱祭」と同じ形式で御柱祭が執り行われるのだと言う。拝殿に向かって境内の右隅に「鮎澤諏訪社一之御柱」が真っ直ぐ天に向かって立てられている。それを康さんが得意そうに案内してくれる。
「『人の付き合いはしてやんなきゃ駄目だぞ』と、父がよく言ってました」
養蜂での考え方では反発をしたかも知れないが、生き方には父親の影響を受けている康さんなのだ。境内をぐるりと回ると拝殿横に根元が苔に覆われたトチの古木が聳えていた。葉は落ちているが迷路のように横へ伸びた枝が凌いできた風雪を感じさせる。
「トチの花粉は赤いんですよ。赤い花粉団子を付けて帰って来ている蜂がいると、ああトチに通っているなと分かりますが、岡谷には蜜を採るほどトチの木はないのでトチ蜜というのでは採ってないですね。このトチの花が満開になったら木曽の山の方でトチが咲き始めると父から教えて貰いましたね。父親からこのトチの花を見ろと言われてて……。もしかしたら、お祖父ちゃんから父も同じことを言われていたのかも知れないけど……」
精密機械の設計技師だった父親の國雄さんが設計した巣門の図面
父親の國雄さんが設計したツバ付き三角駒
父親が巣門と三角駒を設計した
鮎澤諏訪社の境内を一巡りして自宅に帰ると、喜代子さんが2階の自室で巣枠に針金を張っていたのでお邪魔させていただく。喜代子さんの部屋は午後の陽光が部屋の奥まで射し込み明るい。
「お父さんの時は、段々増やしていって、多い時はひと冬2000個作ったかな。朝ご飯の片付けや洗濯を終えてからだから、朝9時ごろから始めて夕方4時ごろまでやったかね。今年は1300個くらいかな」
5年前に69歳で亡くなった夫の國雄さんを偲ぶように、作業の手は休めないまま語りかける。
「25歳で嫁に来て、今年4月に97歳で亡くなった姑とも長く付き合ってきましたね」
その言葉の奥に、嫁の立場で過ごした半世紀近くの歳月を感じさせた。喜代子さんは今ようやく安堵の時間を迎えているのかも知れない。
喜代子さんが針金を張っている巣枠をよく見ると、見慣れない三角駒が取り付けてある。精密機械の設計図を書くのが仕事だった國雄さんが設計したツバ付き三角駒だ。落下防止と回転防止用の小さな板が突き出した三角駒である。安春さんが亡くなった後も、2年7か月は勤めを続けながら養蜂もしていた國雄さんが、その間に、巣箱の巣門に取り付けるプラスチック製の巣門と併せて設計したのだ。現在は、金原養蜂で販売もしている。
「ツバ付き三角駒は合計で約1000万個は売れているんじゃないかな」と、國雄さんが書いた設計図を持って2階に上がってきた康さんが教えてくれる。
「蜂蜜は贅沢品ではなく潤沢に手元に届くように価格を抑えて販売すること」や「養蜂家の役割で大事なのはポリネーション用の蜜蜂を沢山育てること」など、養蜂家の社会的役割を意識して「そのためには自然が豊かであることは大切ですよね」と語る康さんに、本物の養蜂家魂を感じる。天気予報では来週あたりが本格的な冬の到来と告げている。八ヶ岳連峰はすっぽりと雪で覆われ、諏訪湖の湖面は氷で閉ざされることだろう。せめて蜜蜂が巣箱で越冬している冬のひと時を、康さんにはのんびり過ごして欲しいと願っているが、休む間もなく春の活動期に向けての準備を始めているのかも知れない。
秋の光が輝く鮎澤蜂場で巣箱の内検を終え、次の巣箱へ移動する康さん
鮎澤諏訪社の境内に聳えるトチの古木。「このトチの花が満開になったら木曽の山の方でトチが咲き始めると父から教えて貰いました」
冬の間、「今年は1300個くらいかな」と2階の自室で巣枠の針金張りを手伝う母親の喜代子さん
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