2020年(令和2年11月) 47号
発行所:株式会社 山田養蜂場 http://www.3838.com/
編集:ⓒリトルヘブン編集室 〒880-0804 宮崎県宮崎市宮田町8-7赤レンガ館2F
諏訪湖近くの高台にある小坂蜂場の周りは、手前にアカシアの木立と奥は紅葉した雑木の小山に囲まれ清々しい空気を感じさせる
巣箱から巣箱へ手造りの作業用椅子を持って、金原康さんが「蜂を詰める」作業を続ける
諏訪湖を水源とする天竜川が金原康さん宅のすぐ裏を流れている
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宮大工に建ててもらった
諏訪湖に端を発する天竜川の流れに沿ってJR中央東線が走っている。その間に挟まれた一角に金原養蜂・金原康(かなはら やすし)さん(44)の自宅兼店舗がある。瀟洒(しょうしゃ)な日本家屋だ。玄関は白木の丸柱が軒を支え、大ガラスを組み込んだ濃い茶色の木製引き戸横の壁面に、一枚板をはめ込んだ上品な看板。白文字で「金原養蜂」と浮かし彫り。文字の上には円形のガラス細工がはめ込まれ、花に向かって一目散に飛ぶ蜜蜂の姿が浮かび上がっている。
引き戸を開けて玄関に一歩入ると、広々とした吹き抜けの天井と無垢板の上がり框(がまち)と玄関の間。木枠にガラスを組み込んだ商品棚には、瓶詰めとプラスチック容器に入ったアカシア蜜とトチ蜜、それに百花蜜が控えめに並び、右横には薪ストーブの赤い炎が揺れている。
「新築から2年、宮大工さんに建ててもらったんです」と康さん。傍らでコーヒーを淹れながら妻の薫(かおる)さん(44)が「以前の家が築80年で、隙間風だらけで寒かったです」と、説明してくれた。会話の間合いに夫妻の仲の良さが感じられる。
それというのも2人は中学生時代の同級生。中学生の時はお互い意識はしていなかったと強調しながら、薫さんが幾分早口で馴れ初めを話してくれた。
「何となく仕事のことは話したことはあったんですけど、偶々蜂蜜を買いに来た時に話をしたりして、養蜂って自然なのがいいなって……。病院で助産師をしていたんですけど医療とか科学とかではなく、出産も自然がいいなと思って助産院で仕事をするようになったんです。何より金原養蜂の蜂蜜は美味しいですもん」
煙に巻かれたような話だが、薫さんの自然志向が2人の縁を結んだのだと伝わったてくる。
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金原養蜂の店舗兼自宅玄関
初代安春さん手造りの巣箱に取り付けた巣門は
2代目國雄さんが設計
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蜂を愛でるという気持ちがありました
康さんと薫さん夫妻と一緒に康さんの母・喜代子(きよこ)さん(73)も話の輪に加わった。
「初代のお祖父ちゃん(安春)は材木屋だったんだけど、戦後で砂糖などの甘味料がない時代にいち早く養蜂を始めて、景気の良い時には毎日銀行員が来ていたと聞いたことがあります。貨物車に巣箱を積んで愛知県や木曽にも行っていて、採蜜期には山の中にテントを張って自炊して蜜を採っていましたね。お祖父ちゃんの手料理は上手だったですよ。私も50年ほど前に嫁に来てからは(養蜂を)手伝って(蜜巣板が)2枚入りの分離機を手回しで……。それを主人(2代目・國雄)が8枚のに替えてくれて、9枚のに替えてくれて……」
「主人が49歳の時に会社勤めを辞めたのは、お祖父ちゃんが亡くなってから(養蜂を)どうするかと自問自答して……。それまではお祖父ちゃんの持っていた群が少なかったから(会社勤めとの両立でも)出来たんですよ。主人が群を増やしましたからね。私も一緒になってやりましたから、結構きつかった。刺されるしね。唇の所を刺されたら、タラコみたいになって恥ずかしくて外に出られやしない。お祖父ちゃんには蜂を愛でるという気持ちがありましたね。いびる(触る・扱う)のが好きだった。お祖父ちゃんは少ないながらも、良い蜂蜜を採っていたからね。愛知県での写真は、見渡す限りレンゲ畑の中に巣箱が置いてありましたよ。私も枠打ちや針金張りを手伝いましたよ。巣箱を洗うのもしました、スムシが居るんですよ。帳簿付けも私の役だし、冬の間には巣枠を組んだですよ。洗濯機で(蜜蜂の餌にする)砂糖水も作ったですよ。継ぎ箱は既製品を買うようになって楽になりましたけど、お祖父ちゃんが作った巣箱は重くて大変。でも丈夫で、今も使っているお祖父ちゃんの巣箱がありますよ」
材木屋をしていた初代・安春さんが戦後の世相の中で始めた養蜂業だったが、2代目の國雄さんが会社勤めを辞めて蜂を増やして専業化する。そんな男たちの熱意に翻弄されながらも、共に一所懸命で働いた喜代子さんの苦労が偲ばれる。
7月に行った蜂分け作業の経過を見るため巣箱を回る
眼下に諏訪湖を臨む小坂蜂場。康さんの性格を現すように整然と巣箱が並ぶ
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頑張れば何とか生活はできるよ
3代目として金原養蜂を継いだ康さんは大学の工学部制御工学科を卒業して大手企業に就職するが、27歳の時に退職し、30歳で故郷に地元企業に3年間勤めた。その頃のことだ。
「養蜂を勧められたことは一回もないけど、『頑張れば何とか生活はできるよ』と父から言ってもらったのが、養蜂を継ぐ切っ掛けでしたね。今、11年目ですね。もう止める気もないですけど、父が亡くなるまで5、6年は一緒にやりましたね。でも喧嘩ばかりしていましたね。父は我武者羅タイプで私は効率的にやりたいタイプ。どっちにしても自分が後々独りでやらなければならないのに、自分を押し通そうとして、焦りがあったかなと、今、思いますね」
康さんは多くを語らないが、相当激しい父親とのやり取りがあったようだ。横で康さんの話を聞いていた薫さん、「康さんは几帳面がところがあるのかな。それが(お義父さんと)合わなかったのじゃない」と、慰めるように声に出す。
「父とは激しくやったんで、(自分で養蜂を遣り遂げるという)覚悟は出来ましたね。でも、父の病気が再発した後、余命が3か月くらいと知ってから、私が苦労しないように色々と残してくれていたことを知りました。養蜂協会の諏訪支部長もやったんです。すると國雄さんの息子かという風に(養蜂家の皆さんが)付き合ってくれているので、これは大きな財産でしたね」
康さんの話を聞いていた喜代子さんが、國雄さんを懐かしむようにぽつりと声に出す。
「(蜂を)飼っとると愛着が湧くんですね。仕事熱心な男だったんです。木曽へ行く時には3時半くらいに起きて行っていたんですよ」
巣箱の蓋に書かれた内検の情報は日付や巣板の枚数など具体的だ
巣板一面に蜜蜂が集る。群の成長は順調のようだ
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採蜜が終わったら、すぐに3つに分ける
この日、午前中は諏訪湖に近い丘の上の小坂蜂場で越冬のために「(蜂を)詰める」作業をする康さんに同行させてもらった。諏訪湖の岸辺に沿って2トン車で走っていると、遠く八ヶ岳の山頂が少しだけ雪を冠っているのが見える。
「蜂の量に合わせて出来る限り蜂を詰める作業なんです。蜂の量、餌の量を見て、問題ないな、又、来年よろしくという感じなんですけど……。無事に越冬させるのに必要なのは、蜂の量と貯蜜の量なんです。採蜜が終わると、すぐに群を3つに分けるんです。女王蜂の居ない群には早い時期に女王蜂を作って産卵させ、蜂数を増やしながら暑い時期に餌を沢山与えて、充分な(餌になる)蜜の貯えがあるようにします。冬を越す蜂に苦労させちゃいけないので、そのために大切なのは10月前半までには給餌を終わらせることなんです。寒くなってきたら働かないでおとなしくしていて欲しいですからね」
「採蜜が終わった後、群を3つに分けると一群が巣板3、4枚の群になってしまいます。3群の内一つの群には元の女王蜂が居ますけど、他の2群には女王蜂が居ないので、変成王台を作り新しい女王蜂が誕生するまでに約3週間、その新王が交尾して卵を産み始め、働き蜂が誕生するまでに約3週間、併せて6週間の空白があるんです。その空白期間を見越して早く群を分けてやらないと、越冬する時に蜂数の少ない群になって蜂に苦労させることになってしまいますからね」
「6月に採蜜が終わると7月に160から170群の採蜜群を3つに分けるんです。するとピークには500群を超える蜜蜂になりますよね。その内の200群は秋のイチゴのポリネーション用の売り蜂になります。去年は遅霜でアカシアが駄目で、おまけにダニにやられて、春には出荷できなかったんです。その上、今年は7月に長雨で、蜂分けしなければならないので、テントを張ってやりましたね。その間、蜂は餌食っちゃうしね」
康さんの性格を反映したように、巣箱が整然と2列に並ぶ小坂蜂場の周辺にアカシアの大きな木が数本立っている。
「花の時季に見上げてみても、この木には蜂は来てないですね。蜂は蜜を体内に溜めて飛んでいる間に何かの作用をしていると聞いたことがありますから、あまり近いと来ないのかも知れませんね」と康さん、傍のアカシアにはこだわっていないようだ。
康さんが自宅で作っているカリンの蜂蜜漬け
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蜂を混ませるのが基本
この日の内検は、以前に分けた群の状態を確認し、越冬するために充分な蜂数になっているかを確認すると同時に、巣板を持ち上げて重さを確認し、餌(蜜)が沢山残っている重い巣板を蜂数に合わせて2、3枚残してから、給餌器で巣箱の空間を狭めていく。
「父は、この一番端に断熱材を入れていたんですけど、そこまでしないでもいいかなと思って、今は入れてないんです」
康さんは、巣箱の空間を狭めて蜂を詰めた巣枠の上に年間を通して使っている薄いシートを被せ、その上に家から準備してきた2つ折りのハトロン紙(餌用砂糖が入っていた空袋)を被せている。
蜂を詰める作業を進めていると、中には蜂数の少ない群がある。
「春先になっても、蜂数が(巣板)2枚分しかいないのに、増やしたい気持ちが先行して巣板を差して(入れて)しまうと、寒い時に広げたら駄目よということなんです。蜂を混(こ)ませるのが基本なんです」
蜂数が巣板1枚に満たないような群は、他の蜂数の多い群から分けて蜂を移動させ、蜂数を増やしてやらないと、巣箱の中で蜂球を作り冬を乗り越えるだけの熱を発することが困難になる。
「(他の群から蜂を移動させてやっても)寒い時期にはあんまり喧嘩しないと思うんですけど、巣箱の中に(蜂を)振るってやると、いきなり他所の家族が飛び込んで来たようになって驚くかも知れないので、玄関から入るように巣門の前に振るってやるんです。こんな寒い時期は仲間が来てくれたら嬉しいと思うんですけどね。春先に初めて巣箱の蓋を開ける時は、いてくれるかなあとドキドキして開けますもん。苦労させないようにしてきた蜂が、どのくらい残ってくれているかですよね」
この蜂場で誕生した新女王蜂の巣箱は、交尾に飛び出してから戻ってきた時、自分の巣箱を間違えないように円形にして置いてある。康さん独自の工夫だ。
「詰める」作業に集中していたが、小坂蜂場に着いたのが午前11時半ごろだったのに、康さんは昼ご飯を食べる気持ちがないようだ……。
「仕事をしていると昼ご飯は食べたくないんですよね。どっちかと言うと、早く終わらせて帰りたいんですよ」
ということで、午後2時過ぎまで作業を続け、本日の蜂場での仕事は終わりとなった。
蜂場から帰宅すると玄関の薪ストーブ前に座って薪を焚く時間を楽しむ
サングリアの自家製蜂蜜漬けを真剣な眼差しでグラスに注ぐ薫さん
夕暮れ時の天竜川。画面奥が上流で水源の諏訪湖に続く
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