2021年(令和3年1月) 49号
発行所:株式会社 山田養蜂場 http://www.3838.com/ 編集:ⓒリトルヘブン編集室
〒880-0804 宮崎県宮崎市宮田町8-7赤レンガ館2F
沖縄科学技術大学院大学(OIST)の生態・進化学ユニットの研究者に、巣箱で死んでいた蜜蜂の死骸を渡し原因究明を依頼する池宮さん(左)と桐野龍さん(中央)
恩納村が取り組むハニー&コーラル・プロジェクトの支援者・金城信康さん(左)が内検を終えてホッとした表情で面布を外す
ハニー&コーラル・プロジェクトの支援者が管理する蜜蜂の巣板を内検する池宮さん
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蜂が主を判ってくれたら嬉しいな
次に養蜂指導に行ったのは、マンゴー農家の津波古政廣さん(66)がハーブを植えている畑だ。猪が出るというので頑丈な金網柵に寒冷紗を張り巡らし、その中に巣箱が1つ置いてある。津波古さんは麦わら帽子に面布を着け、手袋と腕カバーもきちんと付けている。巣箱の下にはブロックを敷き詰めてある。津波古さんは几帳面な性格のようだ。津波古さんが巣箱から持ち上げた巣板を見て、池宮さんが説明している。
「このボコボコしているのは雄蜂(のサナギ)です。巣板を持ち上げる時にはゆっくり引き上げてやらないと蜂が騒ぐんです。雄蜂が増えてきているのは順調ですね」
巣房の上に重なるように作っているムダ巣をハイブツールで削るように指示する。「(巣板を巣箱に)戻す時に巣板の間隔が狭くなって蜂を潰してしまいますからね。できるだけ(削ったムダ巣を巣箱の)外に出してくださいね」
津波古さんは、一つ一つの言葉を頷きながら聞いている。
「昨年10月から始めてやっと蜂に慣れてきた感じですね。騒いでいるなというのがちょっと分かるような気がします。(蜂を見ていると)よく働くなあと感心しますね。見ていても飽きないですよ。蜂が主を判ってくれたら嬉しいな。蜜蜂をマンゴーの交配に使えるかなと思っていますし、ドラゴンフルーツも増やそうかと思っています」
プロジェクトの支援者一人一人に蜜蜂に対する思いがあり、それぞれの夢があることが伝わってくる。
うんな中学校の生徒が管理する巣箱の外に蜂の死骸が落ちていたが原因は不明
OISTユニットの研究者に原因を究明してもらうため蜜蜂の死骸を採集する池宮さん(左)
と桐野さん
目指すところはものすごい家庭菜園
次に池宮さんが訪ねたのは小山の裾にポツンと置いてある山本暁さん(36)の巣箱だ。すぐ近くに菊の栽培をしていた畑があった。「大丈夫かな」と、軽ワゴンを運転しながら池宮さんが呟く。花卉栽培は農薬を大量に使うため、蜂の行動半径内に入る距離だと気になるのだろう。
「昨年から蜂蜜をやってます。よろしくお願いします」と明るく大きな声で挨拶をして山本さんがやって来た。「出身は兵庫ですけど、こちらに来て、もう18年になりますから」と自己紹介をしてくれた。さっそく池宮さんと内検が始まる。山本さんが巣板を巣箱から引き上げている間、地面に置いた燻煙器の煙が巣箱に掛かるように流れていると、池宮さんが煙の量を少なくするために燃料の麻布をハイブツールで上から押さえている。池宮さんは燻煙器の煙が直接蜂に触れるのは好ましくないと考えているようだ。
「幼虫も大きくなってきているので大丈夫ですね。全体的に蜜が増えてきました。12月から1月初めは雨が多かったけど、先週はカラカラでしたからね」
池宮さんの言葉に安心したのか、山本さんが自己紹介の続きを始めてくれた。
「家畜動物と一緒に農業をやろうというので、一昨年から開墾を始めているんです。もともと大学で畜産を勉強していた人間なので。これまでは動物園(の勤務)が長かったですね。牛とトカラ馬の担当をしていたものですから。草の管理は誰かにお願いしようかと思っていますけど、与那国馬を飼いたいですね。日本の在来馬の一つで走る美しさのある馬です。目指すところは、ものすごい家庭菜園」
根っからの動物好きであることが伝わってくる山本さんの話しぶりだ。別れ際に池宮さんが山本さんに伝えている。
「12月までは大丈夫だったんですよ。もし変化があったら電話ください。来週も同じ時間にお願いします」
具体的に菊畑の話はしなかったが、池宮さんは菊畑で使用される農薬が気掛かりなのかも知れない。
恩納村役場庁舎奥の巣箱内で死んでいた蜜蜂を採集
恩納村役場庁舎奥の巣箱の中で死んでいた蜜蜂
蜂が2、30匹飛んでいると嬉しくなる
次に訪ねた溝江富久雄さん(69)は、ちょうどクーガイモの収穫を終えたばかりだった。月桃が数本伸びている横のミフクラギの大きな木の根元に置かれた巣箱の内検がさっそく始まった。「花粉が一杯ですわ。幼虫もきれい」と池宮さん。「蜂がざわついていますよね。もっとゆっくり巣板を持ち上げてください」と、溝江さんに指示する。溝江さんの蜂も特には問題なく、一日も早く花が咲き始めてくれるのを待つばかりだ。
「内地で叔父が趣味で2箱だけ(蜂を)飼っていて、子どもの頃から蜂蜜を貰ったりしていたので、いつかは自分でも飼ってみたいなと思っていましたね」と、今回の応募の動機を教えてくれる。溝江さんも面布は着けているが、素手で作業している。
「クーガイモを掘った畑に、次はバタフライピーを植える。青い花が春先から12月で咲きます。タイ原産ですね。それをまず植えて……、次はジャーマンカモミール、ハーブの花の蜂蜜を採ってもろたらいいな。メラレウカもいいな。挿し木で増やしてティーツリーオイルを採るんですよ。オーストラリア原産の木なんですね。村の花カレンダーがあればいいなと、(農業環境コーディネーターの)桐野さんに言っているだが。花のある木を村内に増やしていければ面白いんじゃないのかな。朝、畑に来て、蜂が2、30匹飛んでいると嬉しくなるね」
始めて間もない蜂に対する親密さや植物についての知識の豊富さにも驚くが、溝江さんの話は次々と広がり自由人の面目躍如だ。
プロジェクトの支援者・溝江富久雄さんがスマホを池宮さんに渡し「これで写真撮って、孫に会いに行けてないから送ってやりたいんよ」
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漁師の金城信康さんは新しいゴム手袋を準備して巣箱の内検に臨んだが、この後、刺されてしまうことに
立派な体をした女王蜂
昼食を取りながら池宮さんの養蜂についてと、ハニー&コーラル・プロジェクトに対する考えを聞く機会があった。
「最初は、蜜蜂を飼うことで嫁の実家の会社が成り立っていることに興味が湧いて始めたことですが、自分でやってみると、どんなにしたら強い蜂が出来るのかを年中考えるようになって……(それで池宮さんは蜜蜂の世界に引き込まれていくことになる)。今年は2群を新しく購入して、現在の10群と併せて12群を採蜜群とします。秋口には蜂分けして20群までにする予定。その20群が冬を越して、強くなった来春の採蜜群になってくれればと期待しているんですけど。支援者さん1人当たり2群管理するようにしたいですね。採った蜂蜜を恩納村ブランドで販売したい希望はありますけど、販売ルートなど決まっていないこともまだ沢山ありますから……。越冬時の餌をあげていない、ダニ駆除の薬を使っていない蜜蜂が集めた蜂蜜であることで、少しは高い評価を得て価格に反映する可能性もあると期待しているんですよね」
採った蜂蜜を恩納村ブランドで販売
昼食の後、役場庁舎近くの林や屋上の巣箱、それにうんな中学校の広場の巣箱前で死んでいた蜜蜂の死骸を届けに、OISTの生態・進化学ユニットの研究者を村役場の桐野さんと一緒に訪ねた。ユニットの研究者が蜜蜂の死骸を受け取りながら「いつ」と聞いている。桐野さんが「気付いたのは1週間ほど前」と答えると、研究者は「原因になる物質はとても微量だから、時間が経つと検出が難しい」と残念そうにしているが、検体は預かり調べてくれることになった。
ゴム手袋の上からでも刺すんだね
この日、最後に訪ねた支援者はアーサ採り漁師の金城信康さん(70)の巣箱だ。もう1人の漁師と2人で巣箱一つずつ飼育しているのだが、この日、相棒は漁に出るため休みだった。茂った月桃の葉が防風林の役割を果たしている畑の隅に巣箱が2つ並べて置いてある。
金城さんはヘルメットに面布を着け、新品の炊事用ゴム手袋で準備は万全だ。
「去年、刺されたね。やっぱ後遺症になる。寒くなると痺れる」と、少々警戒気味だ。真新しい燻煙器に火を入れ内検が始まる。「気を付けて女王蜂を見つけようとするけど、見つけられないな」と、金城さんが池宮さんに訴えている。継ぎ箱を単箱の前に降ろして、単箱の巣板を持ち上げ巣房の状態を確認している。「この蓋がされているのは何」と、金城さんが尋ねる。「これは蜂の児と書いて、蜂児のサナギですね」と池宮さん。金城さんは好奇心が旺盛だ。
何枚目かの巣板を持ち上げた瞬間、「うっ」と金城さんが小さく呻き声を上げた。右手中指の先を刺されたようだ。「ゴム手袋の上からでも刺すんだね」と、誰に言うともなく呟く。金城さんは作業用革手袋を取りに行って、手袋を2重に着け内検を再開した。巣枠の周辺の巣房を指でなぞるように丹念に見ていく。王台が出来ているかどうかを確認しているのだ。王台が出来ていれば、分封の兆しがあることを意味するから、発見次第これを潰しておかなければならない。継ぎ箱に蜂が上がってくるほどではないが、順調に育っている。大きな腹をした女王蜂も見つけることができた。
「来週も同じ時間でお願いします」と、池宮さん。金城さんが頷きながら「アーサを本畑に移したから、後は成長を待つばかり。旧正月が終わってすぐ採りたい」と応える。つまり、それまでは時間があるということなのだ。
金城信康さんの巣箱が置いてある畑で飼っている山羊
防止に役立てるベチバー。これが成長し2、3mの高さにまでなる
取材の最終日は、中頭郡北中城村で障がい福祉サービス事業を行っている合同会社ソルファコミュニティが就労継続支援A型事業の1つとして行っている養蜂の指導に、池宮さんは行くことになっていた。昨年5月から始め毎週一回行っている。この日は、事業担当者の神谷丈維さん(29)と利用者が池間邦浩さん(69)と島袋正さん(54)、それに林恭平さん(30)の3人、計4人の参加だ。
「うちは農福連携事業なので、農薬や肥料に頼らない環境保全の自然栽培農業を行っていて、主力はセロリ、人参、玉ネギ、オクラやモロヘイヤなんです。蜜蜂と共存するために蜜源植物を植えていきたいと思って、コーヒーも植えたんですけど、まだ小さいんです」
神谷さんの話を聞いていた池宮さんが即反応する。
「コーヒーは楽しみですね」
蜜源植物をと思ってコーヒー植えた
奥の畑を覗くと、背丈30センチほどのコーヒーの木が10アールほどの畑に植えてあった。コーヒーの蜂蜜が採れる日が来るのを皆が楽しみにしているのが伝わる。
利用者の身支度が調って内検が始まる。巣箱は2群。林さんが率先して巣板を持ち上げ、巣房の底の状態を確認しようとしている。燻煙器を持った池間さんが前から煙で援護する。横で巣板を覗き込んでいる島袋さんが「(巣房に)頭突っ込んでいるのがいますね」と興味津々の様子だ。神谷さんが林さんに聞いている。「卵って見えますか」。林さんが巣板を顔の前まで持ち上げて巣房の底を見ようとしている。その時、林さんがコロナ禍の防備としてマスクをしていたにも係わらず、面布の上から唇を刺されてしまった。
一旦ワゴン車に戻って手当をすると林さんは、すぐに帰って来た。再び巣房の底を夢中で覗き込んでいる林さんに池宮さんが声を掛ける。
「白っぽい液体が底に入っているのが分かりますか。それがローヤルゼリーの入っている状態。これを食べて1週間経つと、サナギになりますね」
養蜂家が社会で果たす役割は多様な分野で可能性
池宮崇さんの仕事に3日間、同行させてもらった。自らの蜂場は決して良い状態ではなかったが、台風や長雨という自然の条件が味方しなかった昨年後半の結果だ。しかし、池宮さんは自らの蜂場の他に、OIST生態・進化学ユニットと恩納村ハニー&コーラル・プロジェクトの一員として、養蜂家の職能を活かした自然環境保全の社会活動に参加し、障がい福祉サービス事業の一環にも独自の立場で参加している。そんな池宮さんの活動を見ていると、養蜂家という職能が社会で果たす役割はポリネーションと採蜜だけでなく、多様な分野で活躍できる可能性があることを具体的に描くことができ貴重な体験となった。
もう1つ、池宮さんが自らの養蜂に課した「ダニに負けない力のある蜜蜂を作る」ことと、「自力で冬を越せる力のある蜜蜂を作る」ことの意識の根には、安易に豊かさを求め経済効率や合理性を追うことで本来あるべき姿を見失いがちな現在、今一度、私たちの暮らしに目を向けるよう促していると思えてならない。
池宮さんが見守る中で漁師の金城信康さんが巣箱の内検をする。「気を付けて女王蜂を見つけようとするけど、見つけられないな」
障がい福祉事業所の就労継続支援A型事業の1つとして養蜂に取り組む活動に指導者として参加している池宮さん(右)
恩納村の絶景観光スポット万座毛は、18世紀前半の琉球国王が「万人が座するに足る毛(原っぱ)」と賞賛したと伝えられる
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