2015年(平成27年4月)5号
発行所:株式会社 山田養蜂場 http://www.3838.com/ 編集:ⓒリトルヘブン編集室
〒880-0804 宮崎県宮崎市宮田町10-22-203
熊本県熊本市西区沖新町 中村養蜂園
整理蜜作業のため、蜜の溜まった巣板の蜂を邦博さんが蜂ブラシで払う。画面中央で巣板を受け取ろうとしてるのが規裕さん
倉庫で整理蜜作業が始まった。良子さんが蒸気蜜刀で蜜ブタを切り、晃さんが遠心分離器で採蜜する
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つっこけよらす蜂もおらすもんね
|息子たちが自宅に引き上げた後も、邦博さんは倉庫前に並べた巣箱の前に座り込んで蜜蜂の動きを見つめていた。
|「レンゲ畑から帰ってきた蜂は、道があっとですもんね。蜂は風上へ向かって飛ぶけんですね。風下(へ向かって飛んだら)は匂いが分からんですもん。うちん庭の上から次々こっちに飛んで来っとが見ゆっでしょうが。巣箱の上まで来て、ホバーリングするごつ上空におって、スーッと巣箱に入っとるでしょうが。今日の蜂はスーッと入りよっでしょう。あれは、蜜は採っとらんですもん。花粉ばっか採ってきよっとですよ。蜜が体に入っとう時は、巣箱の前で一旦ストンて落ちて巣に入っですもんね。時々、ボコボコッて、つっこけよらす蜂もおらすもんね。ちったあ蜜も入りよるごつあっですね」
|夕闇が迫る頃になっても予定していたハウス農家の一人がやって来ない。蜂の動きが無くなった巣箱の前に背を丸めて座り続ける邦博さんの横に居て、先日彼から聞いた言葉を思い出していた。
|「蜂屋はですね、100人おって100人違うけん。俺が最初に養蜂をする時も、『蜂は10年くらい掛かるけんね』って、うちの親っさんが言いよらしたもんね。俺、養子で来とるもんだけん」
採蜜のために遠心分離器を設置する邦博さん
採蜜した百花蜜の糖度を測ると79度だった
気性が荒かとは蜜も多く採っとたい
|翌日も、まずまずの穏やかな日和だった。午前中は、中村養蜂園近くのレンゲ畑で蜜蜂の撮影をしていた。レンゲは満開なのだが、風が冷たく気温が上がらないためか蜜蜂の姿はチラホラだ。
|昼前になって、邦博さんが「今から整理蜜をしますけん」と、呼びに来てくれた。いよいよ今年最初の採蜜だ。倉庫前に置かれた巣箱の前では、すでに晃さんと規裕さんが作業服に面布を付けて、巣箱の蜜の状態を点検している。邦博さんが巣板に集っている蜜蜂を蜂ブラシで払って規裕さんに手渡すと、それを空の巣箱に入れて倉庫に運び入れる。晃さんは、燻煙器で蜂を温和しくさせる役割だ。穏やかな3人の作業を見ていると、親子というより3兄弟のようだ。その様子を近くで見ていると、数匹の蜜蜂が羽音を立てながら異端者である私を狙ってきた。巣箱から離れても追いかけて攻撃してくる。平常とは異なる雰囲気に、蜂が苛立っているのだ。私を攻撃してくる蜜蜂の様子を見ていた邦博さんが、ひと言。
|「気性が荒かとは蜜も多く採っとたい。それだけ子も増える。やっぱ、そげん箱(群れ)もおっとたい」
|私は倉庫の中に逃げ込んで、気性の荒い蜂の苛立ちが治まるのを待つしかない。
|蜂の攻撃を避けているうちに、良子さんが蒸気蜜刀を使って蜜ブタを切り落とし、晃さんが遠心分離器を回して整理蜜作業が始まった。採蜜は、母と息子2人の共同作業なのだ。一方、邦博さんは採蜜作業には加わらず、外でハウスから返ってきた蜜蜂の管理を続けている。
|「整理蜜で採れた蜜は、百花蜜ですけん。レンゲ蜜も少しは入っとるばってん、桜や菜の花なんかの里の蜜だけん。うちんとは蜜が濃いかけん、(濾過器に)2、3時間置かんと、ポタッポタッだけん」
|遠心分離器で採った蜜を、濾過器に移しながら晃さんが説明してくれた。確かに絹布を二重に敷いた網の濾過器に溜まった蜂蜜は、なかなか減っていかない。
|しばらくして、遠心分離器で採ったばかりの百花蜜を、邦博さんが糖度計で計ってみると、79度だった。
レンゲ畑に置かれた巣箱
晃さんの採蜜の様子を真剣な表情で見つめる良子さん
遠心分離器で採った蜜を濾過器に移す
桐の箱を一つだけ作って、表書きを書道家に頼んで
絹布を2重に敷いた濾過器で蜂蜜を濾す
濾過器でろ過された百花蜜を瓶詰めする
瓶詰めされたばかりの百花蜜
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|中村養蜂園は、昭和8年3月に初代の中村一喜(かずき)氏が養蜂を始め、長男の一美(ひとみ)氏が跡を継ぎ、その娘良子さんと邦博さんが継承して82年の歴史がある。初代一喜さんのひ孫に当たる晃さんと規裕さんは、すでに4代目の役割を果たしている。養子として中村養蜂園を継いだ邦博さんには覚悟がある。
|「息子たちが、仕事を継ぐごつするとが俺の仕事なもんで。先代が、中村養蜂園の名前ば無くするなと言わするもんだけん」
|2代目の一美さんが、昭和48年に明治神宮へ「肥後七味漬」を献納した際の少々黄ばんだ感謝状が額に収められ、事務所の壁に掲げてあった。
|「あの時は、大変だったんです。桐の箱を一つだけ作って、表書きを書道家に頼んで書いて貰って、その字で焼き印を作って、真空パックの機械まで買うてですね」
|当時14歳だった良子さんは、父の一美さんが丹精込めて「肥後七味漬」を献納した姿を覚えている。桜島大根やキュウリ、メロン、瓜など7つの野菜を畑ごと買い占めて、蜂蜜を加えて作った味噌漬けは評判だったという。そんな栄えある中村養蜂園の歴史を継いでいるという誇りが、巣箱を縦に伸ばして蜜を溜め、濃厚な蜂蜜を1回だけ採集する独自の養蜂技術を守り続ける中村さん一家の支えとなっている。
蜂が動かなくなる夕方になって、ハウス園芸の交配用に借りていた蜜蜂を返しに来た農家と話し込む
ハウスから返ってきた交配用蜜蜂の巣箱を邦博さんが元の位置に戻す頃には、とっぷりと日が暮れていた
4月下旬に気温が24度以上になると、動きが活発になった働き蜂が、満開のレンゲ畑から一斉に蜜を運んできていた
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