2021年(令和3年2月) 50号

発行所:株式会社 山田養蜂場  http://www.3838.com/    編集:ⓒリトルヘブン編集室

〒880-0804 宮崎県宮崎市宮田町8-7赤レンガ館2F

 沖縄県石垣島ではサトウキビの収穫が最盛期だ。刈り取ったサトウキビを満載にした大型トラックが行き交う幹線道路から逸れて、農地の間を縫うように走る細い農道へ、さらに未舗装の小径に入る。その行き止まりが「よへな養蜂」の高田蜂場だ。

 「蜂場にしているこの場所は、野性クジャクのたまり場になってて、近くの畑でパインやカボチャ、紅イモを荒らすので問題になってるんですよ。白いクジャクも居るんです。幸せを呼ぶ白いクジャクとも言いますが、でもそんなことない。蜂場に使わせてもらえる土地を探しているよって、周りの人たちに言っていたんですよ。そしたら弟が『いい場所があったよ』って、『(地主さんに)聞いてみようね』って。それで(クジャクが寄りつかないためには)人の出入りがある方が良いからと、蜂場に貸してもらえたんです」

 饒平名 蘭(よへな らん)さん(40)だ。「実家が花の栽培をしているんですよ。それで名前を蘭と……」。

蜂場が野性クジャクのたまり場

蘭さんの父・森井一美さんは自らの農園でヒスイカズラの花を見付けご満悦

何か副業にと養蜂を

 石垣島の野性クジャクは外来種で、石垣島から10数キロ西に離れた小浜島のリゾートホテルが観光のためにインドやスリランカが原産地のインドクジャクを導入し放し飼いにしていた。そのクジャクが自然増殖し、近くの黒島や新城島、伊良部島、宮古島まで生息域が広がったということだ。石垣島ではクジャクを有害鳥獣駆除事業の対象として4年前の記録では1年間に613羽を捕獲したが、農作物の被害は現在も収まっていない。

 「蜜蜂へ直接の被害はないんですけど、ここの蜂は荒いんですよ。蜂場の近くにため池があって、クジャクが水飲み場にしているので、強い生物がいつも近くに居ることのストレスだと思いますね」

 蜜蜂の心情を推し量るのは饒平名 高幸(よへな たかゆき)さん(40)だ。高幸さんは中学校を卒業すると高校へは進学せず、17歳の時に那覇市にある住宅設備会社に就職した。「社長が石垣島出身の人だったんで『やる気があるんだったら来い』って、声を掛けてもらったんで……。ちょうどバブルの時代だったんですよ」と、高幸さん。

 お互いシマンチュの高幸さんと蘭さん夫妻は中学校時代の同窓生。「クラスは別でお互い全然知らなかったんですけど、2007年に那覇でモアイ(模合)があったんですよ。そこで出会って2009年に石垣に帰ってきて、でもすぐには(石垣市に建築の)仕事がなかったんですよ。弁当屋をやっている実家を継ごうかなと思っていたんですけど、両親と一緒に仕事をする決心が付かずに、地元の建築会社に就職して2010年に結婚したんです」。

 「建築一本で独立して仕事をやっていきたいと思っていたんですが、一本でやっていくのは不安があったんで、何か副業を考えていた時に、あっち(妻)のおかあに言われて、誰もやってないし、初期投資もたくさん要らないしというので、養蜂を始めたんです」

センダングサとカボチャなどの花粉が
巣板一面に溜められていた

昨年夏以降から蜜蜂が溜めた蜜蓋は黒く
皺が寄ったようになっていた

まだ花の少ない今の時期は、
増群のために蜜蓋を崩して餌として与える

巣枠近くの雄峰の巣房を崩しダニの有無を
確認する

電気製品はラジオと扇風機だけ

 高幸さんが養蜂を始める切っ掛けを作ってくれた蘭さんの両親は、共に東京農大を卒業し石垣島に移住した。父の森井一美(もりい かずみ)さん(71)は東京都武蔵野市出身、母の智恵子(ちえこ)さん(68)は沖縄本島出身だ。

 「僕はね、高校は中央大附属高校へ行ってたんですよ。そこの図書館でたまたまブラジル開拓の本を読んでね。その本に感動して自分の人生はブラジル移民だと思いましたね。喜んでくれたのは公務員を退職して税理士をしていた親父ですよ。『自分の人生だ、自由に生きろ』と。それで中央大には行かずに東京農大へ進学して、19歳の時に初めて石垣に来てからは一年のうち半分は石垣島に居るような学生でしたね。大学3年の時は1年間休学して石垣に来ていて、卒論のテーマが〈八重山農業の現状と展望〉でした。その頃、本土復帰前でしたので、150坪の土地を900ドルで買ったんですよ。茅葺き屋根の家が付いてるんよ。1ドル360円の時代、それを300円にしてもらいましたね。その後、結婚して実際に石垣に移住したのは29歳でしたから、初めて石垣を訪ねてから10年間掛かりましたよ。900ドルで買った家には、子どもらが高校へ行くまで住みましたね。僕は東京農大で海外移住研究会に入ってたんですよ。その後輩たちが毎年、うちに研修生を送り込んできてましてね。その中に17年間うちに住み込みで居た研修生がいて、その彼が蜂を飼っていましてね」

 ブラジル移民に憧れ石垣島に移住した森井一美さんの一代記を聞かせてもらったのは、補助事業で建てた石垣島最初のH鋼ハウスの中。しかし、この事業で栽培しようとした立体スイカはミナミキイロアザミウマの被害で大失敗。

 長女の蘭さんが石垣島での生活を証言する。「父は、電気製品はラジオと扇風機だけという生活に憧れて石垣島に来た人ですから、『働かざる者は食うべからず』で、子ども4人はハウスの直売会で(苗の)ポット外しなどの手伝いをしましたし、私と妹はお小遣いを貯めて自分たちの部屋にクーラーを付けたんですよ。父は開拓をしたかったんですよ。男の兄弟には拓の字が付いてるんです。動物も好きだったんで、馬や犬、ウサギ、インコ、鶏がいましたね。儲けることはヘタかも知れない」。

働き蜂が全部メスというのも知らなかった

 蘭さんの母、智恵子さんに勧められて高幸さんと蘭さんが始めた「よへな養蜂」は8年間が過ぎた。

 「まだ建築会社の社員の頃に始めたんで、最初は日曜養蜂ですね。最初の1群を沖縄本島の新垣養蜂から買って、小浜養蜂からあと2群買って、その3群がスタートですね。働き蜂が全部メスというのも知らなかったから」と、高幸さんが養蜂を始めた当時を振り返る。傍らで蘭さん「一箱に女王が一匹ということ位しか知らなかったもんね」と相づちを打つ。

 インターネットで養蜂情報を得ようとしても、ほとんど内地で仕事をしている養蜂家の情報だし、書籍では基本的に一般論だ。国内では特殊な気候条件の石垣島で養蜂を行うために試行錯誤しながら、徐々に養蜂家とのネットワークができてくる。そんな中で出会ったのが、「羽音に聴く」前号(49号)で登場した池宮崇さんだ。沖縄本島で25年間、養蜂に携わってきた池宮さんの情報は石垣島でも役立ったし、蘭さんは「はちみつマイスター」の資格を5年前に取り、蜜蜂の知識を得るだけでなく全国の養蜂家とネットワークを結ぶことができた。はちみつマイスターの資格を取るには、蜜蜂の生態や養蜂の歴史も学ぶが、主には蜂蜜の栄養成分や蜂蜜が身体に及ぼす効果、蜂蜜の特性や楽しみ方などの知識が資格を得るための条件だ。毎年夏に東京で開催される「はちみつフェスタ」にはマイスターとして蘭さんが手伝いに行っている。

 「全国で蜜蜂をやっている人を身近に感じられるじゃないですか。とっても刺激になります。石垣にいると他との繋がりがないので、孤独感がありますけど……」

 「石垣の人はたぶん養蜂ってピンと来ていないと思います。石垣島で養蜂を定着させることが第一歩の目標。ふるさとの味として記憶に残る蜂蜜を提供していきたいです。(蜂蜜を採る)地方で味が違うことを知って欲しいんです。沖縄では8割ぐらいがセンダングサの蜜だと思いますよ。センダングサ独特の味があるじゃないですか。その特長を分かってくれたらいいなって思いますね。いつか叶えたい夢は、内地のマルシェとかに石垣の蜂蜜を売り歩きたいですよね。旅も兼ねて、その土地の養蜂家とも会って情報の交換もしながら、ね」

石垣は湿度が高く糖度が上がらない

 「養蜂8年で、まだ分からないことだらけですよ」と呟きながら、高幸さんが高田蜂場の内検を始めた。よへな養蜂の基本方針は、ダニ駆除剤を使わないことと冬にも砂糖水の餌を与えないこと。それと(ポリネーション用の)売り蜂はやらない。つまり、蜂蜜一本で経営していくことだ。

 現在は建築業との兼業養蜂だが、「生活ができれば養蜂一本でやっていきたいと思っています」と高幸さんは願っている。しかし、今のところ現実は厳しいようだ。

 「去年の採蜜は約400キロ。現在43群あっても15群ぐらいしか蜜は採れないんで……。最初の目標は100群だったんですけどね、まだ……。1000キロ採れれば生活できるんですけど、現状では12月には売り切れになるんですよ」

 高幸さんが採蜜期に向けて建勢(群当たりの蜂数を増やす作業)の手を休めずに厳しい現状を教えてくれる。石垣島ならでの養蜂の難しさがあるようだ。

 「5月になれば梅雨。石垣は梅雨が早いんで、早い年にはゴールデンウイークに梅雨入りしますから。そうなれば石垣は湿度が高くて、糖度が上がらないんですよ。その原因が最初分からず、始めた頃はずいぶん悩みました。梅雨に入ってしまうと、もう蜜は搾れないんで、そのまま置いておいて、冬、(人工の)餌をやらないんで、弱い(蜂数が少なく蜜が足らない)群のところへ強い群から蜜巣板を移動させてやったりするんです。これなんかは、もう一年前の蜜かも知れませんね。それで一番搾りの蜜は濃厚で美味しいんですよ」

 こう言って私に見せてくれた蜜巣板は、巣板の中央辺りが皺の寄った黒い膜で塞がれている。蜜蓋が乾燥して硬くなっているのだ。高幸さんはダニの駆除剤を使わないし、人工の餌も与えない、それに蜜蜂のために抗生物質も使わないので、この蜂蜜を搾って食用としても何ら問題はないのだが、この蜜は増群のための餌として蜜蜂に与えることになる。

 「ねぇ来て、スマホでインスタ用に写真撮って。花粉がすごくきれい」と、少し離れた巣箱の内検をしていた蘭さんが高幸さんを呼ぶ。蘭さんが手にする巣板を見ると、オレンジ色と黄色、僅かに白い花粉が巣房にびっしり溜まっている。

自然環境が変化し蜜源が減っている

巣箱の底に落ちていた砂のような物の中にダニが混じって

いないかを調べる

高田蜂場で蘭さんが内検。台風対策としてブロックごと巣箱を縛るための青い荷造りテープが準備してある

 「センダングサとカボチャと白いのは何だろう」と、蘭さん。「今の時期、内地にカボチャはないので高くで売れるらしいんですよ。花粉も蜜も採れるんでもっと作ってほしいですね」と言いながら、花粉の詰まった巣板を高幸さんがスマホで撮影している。「放ったらかしの野原でセンダングサが咲いていたのに、急に牧草地になったり急にカボチャを始めたりして、農地が増えて野の花が少なくなってますね」と、石垣島でも少しずつ自然環境が変化し、蜜源が減っていると高幸さんは心配顔だ。

 内検の様子を見ていると、蘭さんが高幸さんの仕事を手伝っているというのではなく、それぞれが1人前の養蜂家として仕事をしているのが分かる。

 「産後2か月半とかなんで、半年ぶりの内検で握力がなくて」と、蘭さん。蘭さんは昨年11月に3女の茉菜(まな)ちゃんを出産し、この日、久し振りに養蜂の仕事をしていたのだ。

 「ここ2、3年は建築の仕事が忙しくて、自分はほとんど蜂を見てなかったんですよ。3女が生まれるまでは蘭が蜂を見てくれていて、はちみつマイスターの資格も取って蜂の世話をしてたんですけど、最近はコロナ禍で(建築の)仕事が落ちてきたんで、自分も蜂の仕事に戻ってるんですけどね。一昨年は仕事が忙しくて、その時にあっち(蘭さん)は妊娠していたし、両方で忙しかったですね。蘭は、お家でゆっくりという人間ではないんで、何かしよう何かしようという人間ですから」

 高幸さんの言葉に、蘭さんに対する労りと感謝の気持ちが伝わる。

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