2021年(令和3年3月) 51号

発行所:株式会社 山田養蜂場  http://www.3838.com/

編集:ⓒリトルヘブン編集室 〒880-0804 宮崎県宮崎市宮田町8-7赤レンガ館2F

蜜というのはものすげえもんじゃ

 電動工具が据えられ、木片や鋸屑が作業台の上に散らばっている。青いビニールシートを潜って木工場のような空間に入ると、一段高くなっている奥の窓際で大谷朝丸(おおたに あさまる)さん(84)が、巣枠を組み立てていた。

 「巣箱は、丸太の大きいやつを買(こ)うてきて、それを製材所で幅25センチ幅に引いてもろうて、自分で拵(こしら)えてな。巣枠は組み立て式のを買うて組み立てる。面白いですよ。こんな事しとりゃ。蜂を始めたのは、おらが23歳の時でしたがや。牛を2頭飼いよったですが、小さいやつを1頭買うてきて、昔は直掛けで2つ(頭)にして。それが、1つがどうしても肥(こ)えんし毛が長い。銭にならん。相談に行った伯母さんとこで『3か月蜜を舐(ねぶ)らしてみ』と言われてな。蜜蜂を1群買うてきて、明くる年には5群にならしたで……。朝夕、(牛に)餌やる時に盃一杯ずつ3か月やったら、毛は短こうなるし肌はぺとぺとするようになって、牛市場に出したところが200頭ぐらい寄っとったやろ、1等が7頭くらいおったやろ、その内の1つになって……。おらは石積み専門の職人をしよったですが、それを見てね、蜜というのはものすげえもんじゃ、こりゃ蜜を売った方がええと思うて、それから50群ぐらいまで増やしてずーっと蜜蜂を飼いよったですが……。四国へ行ったり鹿児島へ行ったりして飼いよったですが、4、5年前にたくさん飼いよったのがおらんようになったら、寂しいわいやということで、今は使い物にするくらいの蜜を採る蜂を飼いよるんです。今、20群。1年(蜜を)搾るのを止めたらものすげもえる(増える)ですけ」

 大谷養蜂場を創立した朝丸さんだ。しかし、2代目を継いだ孫の大谷祐輝(おおたに ゆうき)さん(38)と一緒には仕事をしていないようだ。朝丸さんに、その点を問うと「若けぇ者には若けぇ者の考えがあるさけぇ」と、多くを語らない。

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    どちらかといえば蜂は嫌な部類でしたね

     鳥取県八頭郡八頭町の大谷養蜂場を訪ねたのは、3月上旬。菜の花が満開を迎えていたが、午前中は気温が上がらず、巣箱の内検は、昼近くまで気温が上がるのを待って始めるとのことだった。

     「祖父が23歳頃に養蜂を始めていたので、ある意味、蜜蜂は身近でした。家の庭に巣箱が置いてあったりして、趣味でやっていたのでペットを飼っているイメージでしたね。蜂蜜は、水道をひねったら出てくる水のように普通に家にあるものという感じでした。蜜蜂に興味はなかったし、どちらかといえば蜂は嫌な部類でしたね。高校生時代にはアルバイトとして(祖父を)手伝っていました。蜂場に熊が出るので、熊の番をするために蜂場近くで祖父と一緒に車の中で寝たこともありましたよ。私の両親からしたら、仕事そっちのけで蜂の世話をやっていたので、あまり良いイメージはなかったようです。販売をするほどは蜂数を飼っていなかったので、自家消費か親戚に差し上げたりでした。僕にとって養蜂は身近ではあったけど、興味はなかったという感じかな」

     「両親がやっていた建設業を継ぐ気はなかったので、他所に働きに出ていたんですけど、全国へ転勤のある会社に勤めていたので上手くいかなくなって、30歳の頃に辞めて、次の仕事を考えていた時に『蜂をやらんか』と祖父に声を掛けてもらって……。ちょうど祖父が規模を広げようとしていた時でした。養蜂の仕事に惹かれたのは自然相手であることと、他所で働いていたのが売る側の仕事だったので、養蜂は物作りの面があることに魅力を感じましたね。真っ当な安心安全な食品を作ってみたいという気はありましたね」

    蜂をシステム的に管理すれば
    できると思っていた

     「実は、後で気付くんですけど、養蜂という仕事は蜂と向き合う仕事だという事なんですよね。最初の1、2年は祖父のアシスタントのような気持ちで、鹿児島へ行きたいというので鹿児島へも行ったんですけど、何が大変といって、すごいお金が掛かるんですよ。蜜がどれ位採れるか分からない状態で値付けして売り始めたんで、僕の給料が出るかどうかも分からない状態でした。それにだんだん祖父と意見が合わなくなって、結局、3年目の途中で別々にやろうということになったんですよ。2年目の時に種蜂として50群ぐらい売って、120群くらいになって冬越したら7、80群くらいになってしまっていて、あん時はきつかったですね。蜂を増やす難しさを思い知りました。4年目にダニと(越冬のための)圧縮で失敗したことで養蜂家として目覚めましたね。祖父と一緒に始めたのは2014年4月でしたので、今年(2021年)4月で丸7年になります。最初は蜂をシステム的に管理すればできると思っていたんですけど、巣箱一箱一箱ごとに向き合っていかないと出来ないと分かったのが4年目。それからは蜂に合わせた生活になりました。逆に養蜂の面白さを知ったのは、それからとも言えますね。蜂はやっぱり生き物だったなと改めて気付かされたと思います。育て方や蜜の品質にも一層こだわりが強くなれましたね。蜜を搾るタイミングで蜜が変わることにこだわっている養蜂家がどれ位いるんでしょうかね。同じ蜂場にあっても巣箱によって蜜は違うんですよ。単花蜜では得られない魅力があるんです。一斗缶ごとにテイスティングして違いを確認すると、5か所の蜂場によって味はそれぞれ違いますんで……。これからレンゲ蜜の時期になりますけど、僕の代になってから掃除蜜のタイミングにこだわっていますね。掃除蜜をしても巣房に元の蜜は残るんで……」

    蜂に漢方薬を与えている

     この他にも、祐輝さんには安心安全の蜂蜜を採るためのこだわりが目白押しだ。

     「ダニの駆除剤は使わない訳にはいきませんので、アミトラズを主成分にしたダニの駆除剤を使っています。これは加水分解するので蜂蜜や蜜ロウには残らないんです。それに抗生物質は使いませんし、腐蛆病の予防薬のタイロシンも使わなくしました。その代わりと言えば変ですが、実は蜂に漢方薬を与えているんです。蜂が元気になれば、病気にもならないと思うんです。知り合いに薬剤師がいて『漢方の蜂蜜を採ってくれ』と言われたんですが、それは無理。だけど蜂に漢方薬を食べさせてみようかというので、生薬を冬の餌に混ぜて与えているんです。今年で3年目になるんですけど、効果があるのかどうか、まだ効果は見えないですね。ずーっと観察を続けていれば何か分かることが出てくるかも知れませんけど。事実、うちではチョーク病は出ていないですし……」

    蜜巣板には古い巣板は使わない

     祖父の朝丸さんの指導から離れ、養蜂歴4年目に失敗したことで養蜂の奥深さに目覚めた祐輝さんには、この他にも様々なこだわりがある。蜜巣板には古い巣板は使わない。「できるだけ2年で入れ替えるようにしています。その年の味と香りを楽しんでもらうためには、新しい巣礎を入れて盛らせて蜜を溜めさせる。そのため(蜂蜜を溜める巣板を入れる)継ぎ箱には基本的に新しい巣礎を入れてやっているんです。実を言うと僕は、以前、蜂蜜が好きじゃなかったんです。でも、搾りたての蜜を食べると嫌じゃない。その時に、これまでは蜜巣板が古かったのじゃないかと思ったんですね」。その他に、巣枠は三角駒を使わないホ式を使う。「繊細な蜂の世話をするためには三角駒が邪魔になりますね。ホ式だとビースペース(巣板と巣板の間隔)がきっちり8ミリになりますからね」。

     独立して4年の間に祐輝さんが、蜜蜂の生態や商品としての蜂蜜について経験して学び、工夫を重ねてきた意欲が伝わる話だ。「お客様のニーズに合わせて、今年はデザインなどを検討して来年から新しい容器で」と、来年からはガラス瓶を止めて、耐熱性プラスチック容器に変える予定だと言う。

    同じようにしているのですが、
    結果は異なって

     翌朝は薄曇り。「暖かくならないと蜂が活動を始めないから」と、大谷養蜂場事務所での待ち合わせを午前10時と遅めに設定したのだったが、この朝の気温は5℃。「日照具合によるんですけど、陽が照っていたら(蜂は)10℃くらいで活動始めますね。曇りだと13℃からかな」。祐輝さんに急ぐ様子はない。気温が上がってくるのを待って、しばし事務所前で立ち話となった。

     「蜂場が山に3か所あって、全体で5か所蜂場があるんです。県内で移動養蜂という感じですかね。他の養蜂家との兼ね合いがあって、新しい蜂場を探すのは難しいですね。この冬で30群近く減りましたからね。蜜切れを起こさせたというのもあるし、冬前に蜜蜂群の圧縮(寒さ対策のために巣板を抜いて蜂の密度を高くする)をしているのですが、ダニのせいだろうと思いますね。どの群にも同じようにしているのですが、結果は異なってしまいますね。難しいです。ダニの駆除剤を入れるタイミングを変えてみたりしているんですけどね。それでも今年は、すでに巣板が10枚パンパンになっている巣箱がありますよ。鳥取のこの時期で……。やっとこういう群を作れるようになってきたんです。以前だと今の時期は(入れる巣板は)5枚ぐらいでしたね」

     養蜂家にとって越冬明けから採蜜までは、不安と期待が入り交じる緊張の時期だ。

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