2021年(令和3年6月) 53号

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蜂蜜で大当たり、家を建てるぞ

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 「父は渥美半島の出身で、ラバウル航空隊の隊員として戦地へ赴任していたんですけど、病気になって帰国して来た時には、紡績工場をやっていた実家に帰って設計をやろうと思っていたんだそうですよ。ところが紡績工場なので土地が広いもんで、温暖な渥美半島で越冬するために養蜂家が来ていて、その様子を見ているうちに養蜂に関心を持って、鹿児島県の大隅半島から北海道まで移動養蜂を始めたんだそうです。しかし数年後、移動の途中に岐阜で病気になって移動できなくなってしまって、そのまま巣箱を置いていたら蜜が結構入っていたので、継続して岐阜で養蜂を続けることになるんですけど、父はローヤルゼリーを採る方向へ転換するんですね。現在、ほとんどの蜂場が家から10分くらいの距離にあるのはローヤルゼリーを採っていた名残なんですよ。ローヤルゼリー採集は毎日の仕事ですからね。それで私も20歳代は父と一緒に国産ローヤルゼリーを採っていましたね。18歳から大学へ行こうと思っていたけど、やることないから仕方ないからって感じかな。それでも20歳の時に親父が新しく巣箱を100箱買ってくれて、跡を継ぐことが嬉しかったんでしょうね。私がユリノキを植えた時ですよね」

 「話は前後しますけど、伊勢湾台風が紀伊半島から東海地方を襲った1959(昭34)年に、移動養蜂で北海道へ行っていた親父が蜂蜜で大当たりして、巣箱はもちろん色んな容器に現金を詰め込んで『よし、これで家を建てるぞ』と帰って来て自宅を建てたそうですよ。その年が私の生まれた年で、それで住夫と名前を付けたと聞きましたね。1962(昭37)年ごろから親父は体を壊して北海道へ行けないし、ここに残ろうということで一粒何千円としていたローヤルゼリーを採ることになるんです」

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