2021年(令和3年6月) 53号

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田んぼという田んぼがレンゲでピンク

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 次の日は栗原蜂場で採蜜だ。この日は、二男の慎平さんは転職先の面接に出掛けて、住夫さんと翔太さんとの2人で作業だ。

 午前6時30分頃、事務所を出発する前、蜜蜂群にいるウイルスの感染予防として、住夫さんが蜂払い器にセットするスポンジに弱酸性水を染み込ませている。栗原蜂場は巣箱が並んだ奥に樹齢の積み重ねを思わせる大きなケヤキが印象的だ。

 「ここは昔、レンゲ蜜の最も良い蜂場だったんですよ。それが今では……」と住夫さんが嘆く。

 「山田養蜂場から帰ってきた20年ほど前、池田山は標高差が900mあって渥美平野が一望できるんですよ。平野の田んぼという田んぼが全部レンゲ畑で一面のピンク。黙っててもレンゲ蜜が採れる状態だったんです。中4日で採蜜しても糖度は充分だったし、蜂を強群にする今の技術があれば、どれほど採れたかと思いますよね。レンゲで平野がピンクになる状態が何年続いたんだろう。5年は続いたのかな。農業政策が変わって大豆作ろう、麦作ろうとなってから抗菌剤を撒くようになって、土壌菌を殺してしまうため根粒菌から窒素を供給してもらっていたレンゲも育たなくなってしまったんです。それと同じ頃、レンゲの葉や花を食べるアルファルファタコゾウムシが西からやって来て、4、5年掛かってレンゲがやられてしまって……。2011年がレンゲ蜜を採った最後でしたね」

 慎平さんが居ない分、蜜巣板を運ぶ役割が住夫さんの負担となっているようだ。翔太さんは住夫さんが運んできた蜜巣板の蜜蓋を切って遠心分離機にセットする。搾った蜜を漉し器に通して一斗缶へ移すのも翔太さんの役割だ。2人だけで採蜜は大変ではと思っていたが、この日も霧雨の降り始めた午前9時には会社に帰り着いていた。

 兄弟で相談して春日養蜂場を継ぐことになっている翔太さんに話を聞いた。

 「9月が卒業の大学だったんですけど、就活もしてなかったので家に帰ってきて、アルバイトでお父さんに付いて手伝うようになって(養蜂の)現場を始めたんです。どっかの会社で事務仕事をすることは考えてなかったので、そのまま5年前の正月から春日養蜂場の社員として働き始めました。23歳でした。(仕事は)楽しい方がまだ勝ってますね、今のところは。(蜂蜜が)一杯採れたら稼げるんだ、やった分収入になるんだというのは思っています。良い蜂を作ればしっかり結果で応えてくれるなと思っています。(蜂が)怖いというのは全然ないですね。サッカーをやっていたけど途中で止めたので、今は、フットサルとマス釣りが趣味ですかね」

 傍で「腰が……腰が……、腰痛が出ますね」と呟きながら翔太さんの話を聞いていた住夫さんに、いつ主役を交代するのかと聞いてみた。

 「今はダニにやられて、立て直している最中なんで、良い条件が整えられたら任せようかなと思っているんですけどねぇ……来年!」と、翔太さんの顔を覗き込む。

 翔太さんが口をすぼめて小さく首を横に振った。

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