裏山を見れば鹿や熊
クローバー蜜の採蜜を中断した後、太史さんが蜜蜂との出会いを話す
仕事の休憩時間に、木陰に座り込んで太史さんと元矢さんの生い立ちから養蜂家として独立するまでを聞いた。兄の太史さんが、自らの生い立ちを話し始めた。
「僕ら、生まれは熊本県八代市なんです、親父の出身地。母は長崎県の対馬なんですよ。親父が転勤族で、競争馬の厩務員を仕事にしていて、千葉県船橋市に居て、次に北海道日高町に来て、馬産地なんで……。そこで脱サラしてイチゴ農家を始めたんですね。僕ら、高校1年生の頃でした。そこで交配用の蜂と出会うんです。両親が人見知りのところがあって、静かな所で暮らしたいというので結構な山奥に居ましたね。裏山を見れば鹿や熊が居て、キタキツネも珍しくないような所でした」
兄の太史さんが、自らの生い立ちを話し始めた。太史さんと元矢さんは双子の兄弟だ。2人の間では、先に生まれた太史さんを兄と呼んでいる。
富川蜂場で採蜜を中断した後、
片付けを始めようとする元矢さん
「僕は、幼い頃の事故で右目が見えなくなっていて……、よく『こっちを向いて話をしろ』と言われたりして、コンプレックスがあって、誰かと一緒に仕事するのは無理だなと思っていました。高校生時代は親との軋轢も強かったですね。親父が読書好きで、イチゴ交配用の養蜂を自分でやってみたいと勉強する中で、近所のイチゴ部会の農家から北海道の就農支援制度があることを教えてもらって、高卒で、研修生として新ひだか町静内の太田養蜂場に2年間入ったんですよ。その後、半年ほどは手伝いもしましたね。太田養蜂場はローヤルゼリーの養蜂家で、48時間採りで、移虫の技術はすごい方ばかりだったです。移虫の技術は、その時に身に付けさせてもらったですね。鹿児島県の養蜂家の手伝いにも行きましたけど、飼っている量がすごい。1000群2000群の養蜂家です。それに鳥取、秋田も行ったんです。鳥取へ行った当時は18歳じゃないですか、今、36歳。あっという間ですね。」
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