ヘリコプターが沢山飛んで、
動物園の動物に
蜜巣板を取り出し遠心分離機の傍へ運ぶ小笹兄弟
「平成30年の地震の時には、他の蜂屋さんから声を掛けてもらって、元気出ましたよ。最初の揺れで目を覚ましたんですけど、夜中3時ごろでしたね。その後、背中を突き上げるような激しい揺れがドンと来て、家の中は滅茶苦茶ですよ。僕らの家は傾いたよね。怖くて家の中で寝てられないんですよ。ヘリコプターが沢山飛んでいるので、車の中に居て動物園の動物になったような気分になりましたね」と、元矢さんが当日を振り返ると、太史さん「辛かった5本の指に入るかな」。「あの時には、このまま終わってしまうのかなと思っていたね」と、元矢さんが相槌を打つ。
採蜜を中断し、遠心分離機をトラックに積み込む
「稲刈りをしている農家の姿を見て、俺らも漸く、採蜜に行くか、となりましたもんね。採蜜していた時期なんですけど、分離器の回転軸が地震の震動で折れていて、それでも無理やり回して採蜜しましたもんね」
「その前日には台風21号が上陸して倒木があり停電が発生していて、地震が収まり掛かっている時に蜂場に行こうにも道が通れなくて……。ようやく蜂場に辿り着いたら、養成群の蓋が全部開いていて、スズメバチにやられてしまって残ったのは3群だったかな。そこの蜂場は今でも蜜が入らないんですよ。地震で山が崩れてしまったのが原因かなと思っているんですけど、本当の原因は不明です」
空の一斗缶を片付ける元矢さん
「僕らが始めた頃はシナ蜜が5000円の時代ですよ。どんな蜜でも4万円の時代もあったけど、それが続いたのは2、3年ですかね。今日までよくやってきたと思いますけど、父親が言っていたように、捨てるところはないから。蜂はすばらしい兵隊。自分たちの努力がそのまま結果に出ますから。蓋を開けた時、巣箱の縁にずらっと蜂の顔が並んで、こっち見ている時があって、あまりにも愛おしくてドキッとすることがありますね」
太史さんが漉し器を載せたまま一斗缶を運ぶ
競走馬の飼育や調教を仕事としていた父親がハウスイチゴの栽培を始めたことで、交配に使う蜜蜂と出会う小笹兄弟。双子で生まれ、幼少には父親の仕事に合わせて転居し、少年時代から思春期には家族で山奥に暮らした希有な生い立ち。養蜂家は誰でもが成れる職業ではない。養蜂家は小笹兄弟が成るべくして成った天性の職なのだ。「この仕事をどんだけ好きかということですよね」と語る太史さんの言葉に、自負が滲む。
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