2015年(平成27年10月)8号

発行所:株式会社 山田養蜂場  http://www.3838.com/    編集:ⓒリトルヘブン編集室

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愛媛県八幡浜市古町 下井巣礎製造所・松岡養蜂場

スイスへ行って巣礎造りを習って帰ったですよ

|「巣礎(すそ)」と聞いて解る読者がどれほどいるだろうか。養蜂家にとって巣礎は、まさに「礎」であって、蜂を飼う土台となるものだ。

その巣礎を日本で最も古くから造っている下井(しもい)巣礎製造所を愛媛県八幡浜市の古い街並みに訪ねた。2階建ての作業所がある。看板はない。

|「初代が104歳まで生きてですね。跡継ぎが出来ないからと嫁さんを8人替えましてね。実は、本人に子種が無かったようなんですがね。初代郡長でね、今の県知事みたいな仕事ですよ。それを辞めて、スイスへ行って巣礎造りを習って帰ったですよ。そりゃもう、明治初めですよ。日本で近代養蜂が始まった頃ですよ」

後継者がなく、製造を止めようとしていた下井巣礎製造所を引き継いだ松岡哲夫(まつおか てつお)さん(83)は、私と会うなり堰を切ったように話し始めた。

|「もうほんの手造りなんですけどね。機械化すれば出来んことはないんですけど、物がね、ちょっと違うんですよ。機械化したら製品の質が落ちますね。やはり手造りの良さ言うんは、昔からのやり方をしないとね。それと、何よりもね、原料ですよね。まぁーいっぺん使ったら、うちのは品物が違いますよ、分かりますよ。蜂が知ってますよ」

言葉の端々に製品の良さでは他所には負けないという自負が滲む。

巣礎造りは通常、11月中旬から翌年3月頃までの冬期に行うのだが、今回は無理をお願いして巣礎製造の工程を2階にある作業所で見せていただくことになった。

金属製の正方形バットに湯が張ってある。その中に幅25センチ、長さ50センチほどのロウ板が、3枚ずつ重ねて2組浮かせてある。湯の中に指を入れると、我慢すれば入れるくらいの熱い風呂の温度だ。

 

標準寸法約2枚分の巣礎がローラーから送り出される

定規板を使って正確に手早く裁断する

石けん水に浸したタオルで包丁を拭いて巣礎を裁断する

巣礎の目に定規板を慎重に合わせる寺岡康子さん

セルが大きくなるんで、オス蜂になってしまうんですよ

|「巣礎の仕事いうんはね、もう、ほんと温度だけなんですよ。下井さんが巣礎造りを止める言うから、そりゃもったいない、駄目ですということで従業員と機械を引き受けて巣礎を始めたですよ。35年前のその当時ねぇ、自動温度調節器いうものが無かって、炭でね、炭では火の加減がなかなか難しくてね。よう辛抱できたものよ思うてね。私が自動温度調節器を入れたですよ。それで、だいぶ楽になりました。巣礎造りは1℃違うたら出来ませんからね。それぐらい厳しいもんなんですよ、温度にね。純粋な蜜ロウは生き物ですね。それだけ繊細に扱ってやらんといけんのです」

3枚ずつ重ねて湯に浮かべたロウ板を下から順に取り出し、六角形の型押しをする巣礎ローラーの前で待ち構える哲夫さんに渡すのは、孫の松岡恭司(まつおか きょうじ)さん(27)だ。5年ほど前から恭司さんが、下井巣礎製造所と松岡養蜂場の主力を担っている。

|「建築の学校へ行ってましたけど、蜂屋は伝統的な仕事であることが魅力に思えて家業を継ぐことに……」と、多くは語らないが巣礎造りを守ろうとする意志は堅い。

上下2段になったローラーの間から表裏が六角形にプレスされた巣礎が送り出されてくる。その先端を恭司さんが大きな木製のクリップで挟み、垂れ下がらないよう慎重に後ずさりしていく。

|「これは0.54いう機械なんですよ。普通は0.52なんです。ドイツ語でピッチ言うんですよ。これで蜂の体格が0.02違うんですよ。巣礎サイズ2枚分の長さじゃないと、六角の形が垂れるんです。伸びてしまうとセルが大きくなるんで、すぐオス蜂になってしまうんですよ」

ロウ板をローラーに差し込んでいる哲夫さんが、巣礎の説明をしてくれるのだが、私の理解が追い付けない。数字の単位はインチなのだろうか。どうやら、ロウ板の厚みと湯の温度、それと巣礎ローラーの上下の間隔、回転速度が連動して、正確なピッチを刻んだ巣礎ができるようだ。

巣礎が伸びてセルが大きくなると、生まれてくる蜂がオス蜂になるというのは驚きだ。そんな自然界の神秘を知った上で、人工の巣礎を利用するのが長い間人類が培ってきた養蜂技術なのだ。

積み上げられたロウ板

バットの湯に浮かぶロウ板

湯に浮かべたロウ板を取り出す

うちの巣礎は100%蜜ロウだから蜂に良い

|「日本種の蜂は巣を自分で作るですからね。西洋種の蜂でも巣は自分で出来ますけどね。春の時分に蜂自身で作った巣は、雄蜂(ゆうほう)を作っていかんのですよ。オスを必要とする時期ですからね、蜂はオスを作ろうとするんですよ。それでうちで造る巣礎の寸法は、働き蜂を産むサイズにしてやるわけです。巣房が大きいと雄蜂になりますよ。オス蜂は蜜を溜めないですからね」

ローラーから送り出された標準寸法約2枚分の巣礎は、哲夫さんの長女で恭司さんの母になる千恵(ちえ)さん(54)と、助っ人に急遽呼び出された哲夫さんの二女の寺岡康子(てらおか やすこ)さん(51)が、次々と規格の寸法に切り揃えている。作業所の壁に巣礎の寸法を書いた紙が貼ってある。普通寸法は41.0×20.0センチだが、松岡養蜂場で使っている寸法と長崎の養蜂家の注文とはミリ単位で異なっている。そんなところに養蜂家のこだわりが見える。

千恵さんと康子さんが、ローラーから出てきたばかりの巣礎を、規格の寸法に合わせた定規板を使って競争するように手早く切っている。

|「巣礎が柔らかいうちに切るとスーッと切れますけど、硬くなると力が要るので、やっぱり人数が揃って一気にやった方が良いですね」

千恵さんが急ぐ理由を教えてくれると、勢いよく包丁を引いて裁断していても巣礎の角でピタリと包丁を止め、押すように切る理由を康子さんが説明してくれた。

|「柔らかいんでねぇ、切っていく最後は止めて押し切らないと(巣礎の)端が伸びるんですよ」

簡単に切っているようだが、細かい気配りが必要なのだ。

|「機械3分の1、材料3分の1、それに器用さ3分の1、そんなもんでしょう。毎日、ついな(同じ)事ばっかりしていますから。うちの巣礎は100%蜜ロウだから蜂に良いんですよ。巣礎の六角形の縁に沿って蜂が巣房を盛り上げていくのが早いですよ。蜂が好む巣礎ですわ」と、哲夫さんが誇らしげに補足する。

注文の寸法に合わせて切り揃えれば、巣礎造りは終わりだ。

裁断され完成した巣礎

この方法で巣礎を造っとるのは、世界にうちの他にないでしょう

巣礎の素材となるロウ板は、精製した蜜ロウを重ね合わせて板にしている。無駄巣を溶かして作った蜜ロウを各地の養蜂家から仕入れ、再度熱を加えて殺菌し、不純物を取り除いた蜜ロウだ。

|「蜜ロウを焚いて精製するのは、夏の仕事ですよ。気温が低うなったら蜜ロウが早よう固まるでしょう。蜜ロウはゆっくり固まってくれないといかんのですよ。夏、暑い時分やったら、なかなか固まらないから不純物が底に沈殿する時間があるんですよ。7月から10月まで、ついこないだまでやりました。来年使う分をね。4トンぐらい焚きましたろうか」

説明を聞きながら、ガラス戸の隙間から見える奥の部屋のレンガ積みの竈を撮影させてもらおうとすると、ちょっと困った表情で哲夫さんが言う。

|「ここからは企業秘密なんで、写真は撮られたくないんです。話だけで……」

湯に浸けていたロウ板を造る工程が、このガラス戸の奥で行われているのだ。巣礎の素材となるロウ板の製造工程が見せて貰えないとなると、記事にならない。何とか、その工程を見せていただきたいと、お願いする。

|「部分的なら」と取材の許可が出た。ロウ板の製造もこの時期には行われない作業なので、翌日、特別に仕事をして頂くことになった。

許可するかどうかを哲夫さんと千恵さん、恭司さんの3人で話し合っていた時、「どうせ誰も真似は出来んじゃろ」と取材を許そうとする哲夫さんに対して、恭司さんは「祖父ちゃんは良くても、俺は、まだ先が長いんじゃから」と、ロウ板の製法が外に漏れることに危惧を抱いていた。それでも、恭司さんは恐縮している私に、「造ったロウ板が無駄になる訳じゃないですから」と、気遣いの言葉を掛けてくれる。

|「この方法で巣礎を造っとるのは、世界にうちの他にないでしょう」と、哲夫さん。いったい何が始まるのか、一層興味が湧いてきた。

釜の蜜ロウが弾ける音がし始め

表面が泡立ってきている

翌日午前8時、下井巣礎製造所。

昨日は閉じられていた2階作業所のガラス戸を緊張して開ける。すぐ右手に一斗缶が幾つも積んである。中を覗くと、前日の巣礎の裁ち屑と夏に精製した蜜ロウを砕いたものが入っている。

千恵さんが、竈のガスに火を着ける。

|「ひと釜大体4キロですね」と、恭司さん。ロウ板を製造するのは、恭司さんと千恵さんの2人だ。

火を着けてしばらくすると、ボッボッボッパチッパチッと釜の蜜ロウが弾ける音がし始めた。表面が泡立ってきている。「ロウを焚いている時の温度は250℃ぐらいありますよ」と、細い竹の棒で釜の中を掻き回していた恭司さん。ロウは完全に溶けているように見えるが、混ぜた時のとろみで作業に取り掛かれるかどうかを判断しているのだ。

蜜ロウがサラサラに溶けたと思える時、千恵さんが大釜の蜜ロウを銅製の細長い容器に注ぎ移した。蜜ロウを入れた銅の容器は、大きなタンクの湯に浮かべるようにセットしてあり、蜜ロウが冷えて固まらない仕組みになっている。千恵さんは、かく拌棒で丹念に銅容器の蜜ロウを掻き回している。

|「上が熱くなるんですよ。この棒で混ぜて上下の温度が均一になるようにしているんです」

ここからが企業秘密となる工程だ。恐る恐るカメラを向ける。

千恵さんが、両手に持った厚めの板を銅容器の蜜ロウの中にゆっくりと沈める。板の大きさは、幅25センチ、長さ50センチ、厚み2センチほど。

|「この板は何という名前ですか」「名前はないです」

千恵さんは、工程を明らかにする取材に納得できていないのか。心なしか、素っ気ない。

|「何の木で作られているのですか」「素材は企業秘密です」

私は質問を止めて、許される範囲の撮影を心掛ける。

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