2025年(令和7年12月) . 88号
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ローヤルゼリーで儲かって家が建つ
新垣養蜂園近くの高台から那覇市街地を望む
「僕が3歳の時、父は、自分が生まれ育ったこの土地には2度と帰って来ないと決意して、那覇の街に引っ越して行ったんです。美田(みたく)という那覇市街地外れの地域で、現在は楚辺(そべ)という地名となっていますけどね。そこへ引っ越して、父は映画館の経理をしながら日曜日だけ蜂の面倒を見ていたんです。敗戦後間もなくの頃で、那覇市街地はまだ瓦礫の街で、誰もが苦しい生活を余儀なくされている時代でした。佐賀県の山口雄三という養蜂家に出会って、蜂蜜の栄養価やローヤルゼリーの神秘的な効果を聞き、種蜂2群から養蜂を始めたそうです。ところが蜂蜜は全然売れなかった。『虫が出したものを食べられるか』という時代だったんです。蜂蜜は売れなかったけど、そのうちローヤルゼリーが売れるような時代が来るんです。30グラムが20ドル。社長、医者の月給が100ドルの時代、30グラム一本売れただけで晩ご飯のおかずが一週間豪華になったんですよ」
蜜ロウで人工王台を作る際の木型
「ローヤルゼリーが売れ出してからは、父が出勤前にローヤルゼリーを採り出して、その後の移虫は母(美代)がしていましたね。88歳で亡くなりました。その当時は、家族みんなで、両親と僕と妹の4人で、王椀作りをやっていましたからね。木製の王椀の型があって、蜜ロウに浸ける前に木型の先を塩水にちょっと浸けて……、小学校の頃からやっていますからね。春先の3月から5月までローヤルゼリーの時期は毎日。家族で楽しいというよりは、ちゃんとした物を作らなければいけないという緊張の方が大きかったですね。ローヤルゼリーで儲かって、私が中学3年生の時、元々親父が持っていたこの土地に家を建てたんです。父は、こっちに来てもまだ首里バスに乗って映画館に勤めに行っていましたね」
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