2017年(平成29年11月) 2号

発行所:株式会社 山田養蜂場  http://www.3838.com/    編集:ⓒリトルヘブン編集室

〒880-0804 宮崎県宮崎市宮田町10-22-203

トゲでズルズル、この痛みがユズかな

 目を見開いて小枝をかき分け、ユズの木の中へ突進していく。革手袋をした右手に赤い柄の収穫鋏を握り、肩から布製の腰袋を下げている。小屋敷健太郎(こやしき けんたろう)さん(36)が、収穫の最盛期を迎えているユズを一つ一つ切り取っているのだ。

 「腕なんてトゲでズルズルですからね。でもやっぱ、この痛みがユズかなって」

 作業着の袖をめくって見せてくれた健太郎さんの腕には、赤く細い引っかき傷が無数に付いていた。

 切り取ったユズのヘタに付いた枝をもう一度短く切り落とし腰袋に入れる。他の実を傷つけないためだ。健太郎さんは実だけでなく小枝も切り取ってパチパチとトゲを切り、短く切り刻んでいる。小枝をそのまま地面に落としておくと、うっかり踏んで足の裏に突き刺さることがあるからだ。

 「踏んで病院へ行くことになった人が何人もいますから」

 健太郎さんは高校を卒業後、愛知県の企業で働いていたが、9年前の9月に故郷に帰り、両親と一緒に農業をしている。「ちょうど栗の収穫の時に帰ってきたね」と母親の和美(かずみ)さん(61)が、息子が帰ってきた時の嬉しさを思い出したのか、健太郎さんの顔を見ながら弾んだ声で教えてくれた。

勝さんが、「ジョイフルゆずファーム」の現在の会長を務めている

「ジョイフルゆずファーム」の設立を先頭に立って指導した富永誠司さんは、

現在、株式会社味彩の社長を務める

近い欲があったら、年ごとの差が大きくなる

 愛媛県西予市の山間地にある急な段々畑になった「ジョイフルゆずファーム」のユズ畑は、以前は地元産業として盛んだった養蚕組合が桑園にしていた3.5ヘクタールの土地だ。養蚕業が衰退した後、桑園は耕作放棄地になっていたが、城川農業協同組合(当時)が主体となって、1996年から園地改良、作業道の整備、土壌消毒などの整備を行い、転換作物としてユズの苗木3522本を植えた。

 ユズの栽培者を募り応募があった10名の中から選ばれたのが、1998年4月に誕生した「ジョイフルゆずファーム」の会員4人だ。現在会長を務めるのは小屋敷勝(まさる)さん(65)である。勝さんは、約1ヘクタールの畑に870本ほどのユズを栽培している。

 「去年は31トン穫ったけど、今年は20トンほどかな。年ごとに6:4を交互に繰り返し、今年は4。剪定でな5:5にしていくのが技術。近い欲があったらな、年ごとの差が大きくなるな。思い切って切られんからな。剪定は寒の峠が越えた3月過ぎじゃわな。ユズの仕事は剪定から始まるけんな」

 城川農産センターへ出荷している柚子生産部会の会員は250人ほど。

 「コツコツやってきた人がユズ農家には多いですよ。耕地面積が広い農家は栗を植えましたからね」と富永誠司(とみなが せいじ)さん(54)から聞いた。

ユズの木のトゲは鋭く長く硬い

ユズ畑の脇を流れる中津川のトゥファ(石灰岩質堆積物)が古い大地であることを物語る

ユズ畑のすぐ下に建つ現在は使われていない養蚕施設の建物

売りは風土が作る昔からのユズ

  耕作放棄地をユズ畑に有効活用しようと、先頭に立ったのが当時城川農協の営農指導員を務めていた富永誠司さんだ。

 「ここらは黒瀬川構造帯といって古い大地なんです。粘土質でアンモナイトとか化石も出ます。地表は黒ボク土で土地が肥沃なんですよ。風土ですよ。風土が大切なんです。不思議ですよね、ユズ産地として知られる高知の苗でも、うちに植えると全然違うのができるんですよ。うちの皮食べたら、他ん所の皮は食べられないですよ。果汁だって風味もあるし、飲み比べたら分かる。嫌でも良いものができる所なんですよ。太古の大地が基礎となった風土が作物を作り上げていることを、みんな分かってない。うちの売りとしては、風土が作る昔ながらのユズ。形、香り、果汁の成分も他とは違います」

 「ジョイフルゆずファーム」のユズ畑を案内してもらうために、富永さんが運転する軽自動車の助手席で熱弁を聞いた。ユズ畑の九十九折りの急坂を上りながら、話に熱が入り、スピードはグングン上がっていくばかりだ。

 富永さんは、「ジョイフルゆずファーム」が誕生した後、農協職員を辞め、現在は、ユズの搾汁や皮の加工、瓶詰や缶詰、食品製造などを業務とする株式会社味彩(2009年設立)の社長を務めている。

 「皆が、故郷で一生を生活できるような地域にしたいと会社を興したんです。地域で学びながら仕事もできる地域にしたいんですよ。そうすれば皆が豊かになれるんだから。産地を創出する基本は適材適所。ユズはここの風土が一番。川の水が違います。四万十川水系なんですよ。農家は作物を自分で作ってきたのではなくて、出来た物に合わせて生活の基盤を作ってきたのです。それが農業の基本です。風土に合わせて生きることが絶対大事なんです。そこから文化が生まれ、祭りも生まれるんです。ぼくらが目指す道は風土を活かす道しかないんですよ。ここはユズしか出来ない所だけん強いんです。ユズ、これしか無い。これで生きていこうという人しか生き残ってないんです」

 富永さんがユズに託す気持ちはますます熱を帯びてきた。「高知県安芸市の山本、徳島県阿南市の田中、愛媛県西予市の富永、これをユズの日本三大馬鹿」と言うそうだが、その中の一人に数えられる富永さんは「ユズに賭けた男じゃけん」と、嬉しそうだ。

健太郎さんの腰袋が一杯になり収穫カゴに移す

ユズのヘタに付いた枝を短く2度切りする

和美さんはヘタに付いたゴミを払うための歯ブラシを
腰にぶら下げている

工程を増やすことで、出荷時の品質管理

 小屋敷勝さんの家族がユズの収穫をしていたのは11月中旬。日本列島に今季初めての寒波が襲い、突風がユズの木を大きく揺さぶる日だった。

 「おおっ、台風かよ。今日は冷やい、冷やい」と、健太郎さんが思わず口にする。収穫は、一本のユズの木に3人が集中して穫るのではなく、大まかな流れはあるが、各人がそれぞれ周りの木を巡りながら目に付いた実から収穫している。その方が見る目が替わり見落としが少ないのかも知れない。肩から下げた腰袋が一杯になると約15キロの重さになる。それを丸いプラスチック製の収穫カゴに移し、そのカゴが一杯になったら出荷用のキャリー(コンテナ)に移す。なぜ腰袋から直接キャリーに移さないのかと不思議に思っていたが、収穫カゴからキャリーに移す際に、葉っぱやゴミ、傷や腐れのある実が紛れ込まないようチェックしているのだ。面倒なようでも工程を増やすことで、出荷時の品質管理をしていたのだ。

 収穫したユズの実を自宅で撰果して18キロずつキャリーに詰めて出荷するのが、JAひがしうわ柚子生産部会の本来のルールになっている。しかし、小屋敷さんの自宅はユズ畑から遠く、片道20分ほど掛かるため畑で撰果することを特別に認めてもらっているのだ。

両脚を踏ん張って木の中のユズを収穫する勝さん

勝さんが収穫カゴから出荷用のキャリーにユズを移す

和美さんが腰袋から収穫カゴにユズを移す

穫り残しが無いように注意深く収穫する和美さん

収穫が終わったら夫婦で八重山諸島

 小屋敷さんはユズの他にキウイフルーツと栗も栽培している。

 「ユズの収穫が終われば、12月はキウイフルーツの剪定、1月と2月は栗の剪定、3月と4月にはユズの剪定。それが終われば5月はキウイフルーツの授粉がありますけんな。除草剤は撒かんね。草刈りは大変なんやけど、6月ぐらいに枯れる面白い草を見つけてな、増やしていったんや。ナギナタガヤ言うらしいけど、名前を小屋敷ガヤにしたんや。雑草とは付き合わんといけんけんな」

 勝さんが仕事に追われて一年間暇がないという話をしている傍で、和美さんがそっと言い添えた。

 「ユズの収穫が終わったら、夫婦で八重山諸島に遊びに行くんですよ」

 「そういった旅行もできる物作りをせんと、難儀だけじゃいけんけんな。農業は労働がきつい割りには収入に結び付かないと古いイメージが残っているから、やれるんだってことを(旅行に行くことで)示しているんですよ」

 勝さんは、ここぞとばかりに旅行に行く意義を強調した。

▶この記事に関するご意見ご感想をお聞かせ下さい

Supported by 山田養蜂場

 

Photography& Copyright:Akutagawa Jin

Design:Hagiwara Hironori

Proofreading:Hashiguchi Junichi

WebDesign:Pawanavi