2017年(平成29年11月) 2号

発行所:株式会社 山田養蜂場  http://www.3838.com/    編集:ⓒリトルヘブン編集室

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夜10時まで毎晩撰果、これが日課ですな

 翌日は冷たい小雨が降る土曜日だった。ユズの収穫は休みになった。「ジョイフルゆずファーム」初代会長の大野末友(おおの すえとも)さん(81)が自宅倉庫で撰果をしていると聞いて午前8時に訪ねた。

 「夕方5時ごろまで山(ユズ畑)で仕事して、それから積んで帰って夜10時ごろまで毎晩、撰果せないかん。それをやっとかんと市場が困るんです。もうこれが日課ですな。今年は、熟し方が早かったんです。それで収穫の時に腐れが出てるんですよ。今年はやっぱり天候の関係じゃろと思うとるんよ。柚子生産部会の生産者全体で共同資産の意味合いがありますから。皆がええ物を出せば市場評価が上がり単価も上がっていくんです。もう80歳になったからゆっくりしたいんですが……」

 昨日収穫して積み上げてあったキャリーを倉庫の床に1個ずつ降ろし、空の出荷用キャリーを前に置いて4、5個を両手に載せてユズの実に付いた傷や腐れを確認しながら移していく。

 「あんまり熟し過ぎとるけん」と、呟く。

 出荷用キャリーに移していると、ヘタに小さな葉の付いた実が幾つもある。素人目には葉っぱが付いていると新鮮な穫りたてのイメージがあって良さそうに思うが、ユズの出荷には無用なもの。末友さんは一つ一つむしり取っている。

 「みんな(末友さんが頼んでいる作業員)が急いで穫らないけんという気持ちで穫るもんだけん」

 仕事を急ぐ余り丁寧さが無くなっていると、少々不満そうだ。

 末友さんの後ろには5段に積み上げたキャリーが何列も並び80個ほどはありそうだ。

 末友さんは6年前に妻のセツ子さんを74歳で亡くし、現在は独り暮らしをしている。

 「ユズは平成8年(1996)に最初の植樹をしたんですけん。私は農協の職員をやってたんですわ。今のユズ畑は養蚕の桑園じゃったんですわ。その土地が荒れ地になったんですよ。ムラサキモンパ菌という病原菌がおりましてな、栗はできんと。それでユズになったんですわ。5年間はほんと金にならんかったですからな。10年ぐらい経って、やっと収穫ができるようになったんです。私が農協を辞めたんが平成20年(2008)。幼木の時から女房が一人で苦労したんじゃろ思いますけどな。今は、私が一年中、ええ物を作らないかんがと頑張りよるんですけどな。品質のええ物がどのくらい出来たかが楽しみですな。傷がなく色は黄金色に熟れた物だな。秀品となる割合をいかに上げるかですわね。秀品率は2%前後ですけんな。肥培管理と病害防除によって、全然病気のないユズを作ることが夢やな。その夢を持って一生懸命やっとるんですな」

 午前9時ごろ、末友さんが4、5個のキャリーの撰果を終えたところで、松山市で勤めをしている長男の大野秀一(おおの しゅういち)さん(51)が、車で1時間掛けて夫婦で撰果の手伝いに帰って来た。

 そっと倉庫に入ってきた秀一さんは、ユズの撰果をしている末友さんの前に片膝を着いてしゃがみ、黙ってキャリーを引き取るように作業を受け継いだ。

 「傷と柔いのを弾いて、一杯になったら秤に」

 末友さんが言葉少なく簡単に撰果作業を指示する。最初のキャリーは父と息子が向かい合って作業をし、秀一さんが一杯になったキャリーを分銅秤に載せると棹の先端がポンと跳ね上がってしまった。それを見た末友さんがすぐに幾つかのユズをキャリーの中から取り除くと、棹の先端がスーッと降りた。

 「この真ん中で止まればええ」

 末友さんが棹の先端が上下する小さな四角い空間を指差して秀一さんに教える。最初は戸惑った様子の秀一さんだったが、キャリー2、3個を量るうちに要領を掴んで作業は一気にはかどり始めた。「それ、入れ過ぎ違うん?」と、撰果している末友さんに注意を促すほどだ。

幼木の時から女房が一人で苦労したんじゃ

息子の手伝いで選果一気にはかどる

元々農業が好きなもんですけんな

松山市から手伝いに帰って来た秀一さんのお陰で撰果は順調に進む

撰果を終えて6年前に亡くなった母親セツ子さんの
墓参りをする秀一さん夫妻

母の墓参りから帰る秀一さん夫妻。「松山からは遠いです。月曜から金曜まで働いて、土曜日曜もはつらい」

出荷するユズを分銅秤で量る秀一さん(右)を

父親の末友さんが見守る

秀一さんの手伝いで早々と撰果を終えホッとした

表情を見せる大野末友さん

 2人はほとんど言葉を交わさず黙々と撰果を続けていた。時折、「これちょっと柔らかいけど」と、秀一さんがユズを一つ末友さんに差し出して判断を仰ぐ。末友さんは、その都度差し出されたユズを手に取り、「大丈夫」とキャリーに入れている。父と息子が向かい合う少々ぎこちない時間ではあったが、仕事は順調に進み昼食を挟んで午後2時過ぎに撰果作業が終了し、農協の撰果場への出荷も終えた。末友さんに安堵の表情が浮かぶ。

 「このところ毎晩10時ごろまで撰果しよったけど、今日は秀一が手伝いに来てくれたから早う終わった。若い頃にはちょくちょく帰って来てくれよったんやけど……」と嬉しさを滲ませながらも、末友さんが呟くように言う。

 「月曜日から金曜日まで働いて、又、土日というのは、50(歳)過ぎてからはきついですね」と、秀一さんは私に向かって言う。確かに秀一さんの年代は、どこの職場でも責任が重く、重要な仕事を背負い込んでいる時期だ。ましてや秀一さんは、現在、単身赴任中だというのだから尚更だろう。

 秀一さん夫妻が母親の墓参りを済ませ、帰り支度を始めている。末友さんは久し振りに嫁の手料理で昼食を食べ、撰果作業も区切りが付いてほっかりとした気持ちのようだ。

 「収穫、出荷を楽しみにしてやりよんのじゃけど、手間が掛かってたまりませんな。収穫したら木が弱っとるじゃろ、春の剪定の前に徒長枝(とちょうし)を切るなど木の整備をしてやらないきませんのじゃ。暇というのはありませんな。農作業はそうなんですけどな。ぼくは元々農業が好きなもんですけんな。目標としている夢を実現するのがやり甲斐になるわけですよ。体を動かすけん元気の素でもあるんですよ」

 息子の秀一さん夫妻が手伝いに帰って来たことで、末友さんの気持ちも前向きになったようだ。JAひがしうわ柚子生産部会では、「霜が降りる前」の11月末までに収穫を終了するよう申し合わせをしている。末友さんのユズの収穫作業はもう数日で終わるはずだ。

国内に3台しかないユズ専用の撰果機。

1秒間に5個の傷を数値化する

生果の選別だけで大きさ6階級、品質3等級の18ランクに分けられる

加工用ユズは上中下に分けて株式会社味彩へ納入される

1億円の選果機 1秒間に5個数値化

 ユズの出荷先であるJAひがしうわ城川農産センターを訪ね、所長の松本徳明(まつもと のりあき)さん(43)にユズの撰果場を見せてもらった。

 「愛媛県ではうちだけ、全国でもユズ専用の撰果機は3台だけなんです。用途別に大きさを仕分けしておく機械なんです。ストロボセンサーが1秒間に5個、ユズの表面の黒点の数と面積を数値化してコンピューターで表示します。大きさを6階級の品質を3等級に仕分けするので生果は18ランク。加工品は上中下の3ランクに分けていきます。細かく選別することで市場の細かい要求に的確に対応できますし、生産者の収入の平等性も確保することができるのです。撰果機を平成12年(2000)に1億円掛けて導入したんですが、生産者負担が大きくて当時はユズ生産農家が減りましたね。今では自宅撰果の労働負担が大幅に軽減されて、撰果機の威力が理解されていますけどね」

 ユズ専用の撰果機があることで、夜の撰果が大幅に楽になったことを指しているのだ。「もう20年近くになるんです。その分、農家が広く農地を作ることができるようになったんです」と、松本センター長は20年前の英断が良かったのだと確認するように話す。

 ユズは冬至に風呂に入れて使われるのが生果では最も多いという。5キロ詰めで2万箱、つまり100トンが冬至の風呂用に出荷されるのだから驚きだ。「冬至の風呂用は搾汁用の中の良い品が使われるんです。ジュース用だと、1キロ9玉か10玉で150円ですが、冬至の風呂用だと1パック2玉100円で売られるんです。農家のことを思うと、できるだけ多く冬至用で出してやりたいですよね」

両側のベルトが狭くなる圧力でユズの搾汁をする

搾汁されたユズの果汁

搾汁されたユズは皮と種に分離され、皮は加工工程へ

3度の水洗い ベルトで搾汁

 柚子生産部会で収穫されたユズは城川農産センターで撰果された後、加工品は株式会社味彩の工場で搾汁と皮の加工を行っている。果汁を搾るのはもちろんだが、ユズ皮油は化粧品、皮はつま物、漬物、ピール菓子にと、その用途は多様なのだ。

 味彩の加工場を訪ねると、常務の明智祥勝(あけち よしかつ)さん(69)が搾汁工程を案内してくれた。搾汁用のユズが入荷すると、工場入口にある小さなプールに入れられ最初の水洗いをする。ここからベルトコンベアで運ばれ、水洗い、シャワーと更に2度水洗いをすると同時に、人の目によって傷と腐れを弾き出す。搾汁機に掛ける直前に一個ずつ流れてくるユズの実に切れ目が入れられ、両側から徐々に狭くなるベルトに挟まれて送られる。両側のベルトの圧力で完全に果汁が搾り取られるのだ。果汁を搾られたユズは、皮と種に分けられ皮は更に皮加工の工程に送られる。

 加工といってもユズから何か別の物を作り出すのではなく、ユズそのものを利用するのだから、明智常務の次の言葉が重い意味を持つ。

 「1次で良い物を作ってないと、2次3次へ受け継いでいけないですよ。なんぼ2次の技術が良くたって受け継げない」

虫が降りてきとる低気圧になってきとる

 生産者である農家を大切にすることで、より良い製品を作り出そうとする「味彩」の経営姿勢を富永社長自らが実践していたのを見た。

 寒風の吹き荒れる中で小屋敷勝さんの家族がユズを収穫していた時だった。時刻は午後4時ごろになり、陽は傾き寒さが一段と身に沁みる頃だ。富永社長が温かいユズジュースの瓶詰を持って小屋敷さん家族の陣中見舞いに訪れたのだ。朝からの収穫作業と寒さで疲れ切っていた小屋敷さんの家族は、どれほど癒やされたことか。

 ユズ畑の峠に立って、温かいユズジュースを両手に抱えるように小屋敷さんの家族が飲んでいる。「虫が相当降りてきとるな。低気圧になってきとる」と、空を見上げていた勝さんがふいに言葉にして、気付かされた。ブヨなのか、小さな虫が群れとなってすぐ近くまで降りてきていた。さすがに農家。自然の中の小さな生き物の行動の変化にも天候の前触れを見逃さないのだ。

 あの日から半月過ぎた。ユズの収穫を終えた小屋敷さん夫妻は、暖かい八重山諸島の風に吹かれて羽を伸ばし、収穫の疲れを癒やしていることだろう。

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