2018年(平成30年2月) 3号

発行所:株式会社 山田養蜂場  http://www.3838.com/

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完熟レモンが欲しい

 手を伸ばし、一つ目のレモンにハサミを入れようとした髙本美枝(たかもと みえ)さん(57)が、「凍っとる」と小さく声を出す。

 「ちぎっても、ちぎっても、落とすのばっかりの可能性があるわ」と、夫の愼(しん)さん(54)に訴えるような口調だ。一旦凍ったレモンは、解凍されても果汁がほとんど無くなり出荷することはできないのだ。出荷先である株式会社味彩の富永誠司社長(54)の「完熟レモンが欲しい」との要望を満たすには、できるだけ収穫を遅くしなければならなかった。できれば昨年12月中に終わらせたかったレモンの収穫を、年を越して収穫するのは大きな寒害のリスクが伴う。事もあろうに、ほとんど雪の降ることはない愛媛県今治市大三島でも今年の寒さは格別に厳しかったのだ。

「今朝は大三島もマイナス3度になっとったんやないん。(木の)内生りやったら大丈夫やと思うわ」と、美枝さんを慰めるように愼さんが声を掛ける。

 「完熟になると味が全然違うんで、2月まで置いてくれと言われてますんで。これだけ傷んどんのは温度が下がっとんでね。ここまで下がったのは初めて。2月6日にはマイナス6.2度。果実だけやなくて、枝まで傷んどるんでね。今年だけで終わってくれればええけど」

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    人間の便利は風の通り道

     海岸道路から畑地へ緩やかに上る整備された幅4メートルの道路から少し入り込んだ小川沿いの平地に、樹高が背丈の倍ほど伸びたレモンの木が18本。髙本さんが苗を植えて15年になる3アールほどのレモン畑だ。狭い農道だった道が整備されて4メートル幅になり、畑の入口の木に風が当たりやすくなったようだ。「人間の便利は風の通り道」と、愼さんが自嘲気味に呟く。

     「霜に当たっとるのは、むっちゃ冷たいな」と再び愼さんが、木の陰に潜り込んで姿の見えない美枝さんに声を掛ける。

     レモンの実の直径が5センチ以上でないと出荷できない基準があるので、小さい実は木に残したまま大きめの実を選んで切り取っていく。

     「木を見らんと手を入れよったらトゲが出とるんで、手を傷つけるけんね」と、愼さんが私に説明する。レモンの木にはユズほど多くはないが鋭いトゲがある。

     「泣きたくなってくる」と言い、美枝さんが収穫している木の根元に、凍っていたレモンの実がたくさん落とされていた。

     愼さんが凍っていた実を輪切りにして見せてくれた。10部屋ほどある房(じょうのう)はスカスカになっていてほとんど果汁がないのが分かる。

     「これやったら汁が出てけえへんのやないか」

     完熟レモンを出荷しようとする農家の寒害リスクは大きい。レモン畑の東隣は近所の農家が栽培する早生みかんが植えてある。その早生みかんの木が大きくなり、樹間を空けようと間伐したために、その間を通った風が直接当たり、レモンを凍らせているのだ。

     「この木が(凍っている実が)一番多い」と、美枝さんが嘆く。確かに、すぐ横の木は凍っている実が少ない。

     「この木は毎年、大きな実を付けるんですよ。数は少ないですけどね。収穫の時、量は同じなのにハサミの数は少なくて済むので助かりますよね」

     美枝さんには、特に愛着のある木なのだ。

     

    長かったよ結構、結婚まではね

     ちょっとした気付きもお互いが声に出し合い、いたわり合う、仲の良さがほのかに伝わる髙本夫妻の仕事ぶりだ。

     「この田舎ですんでね。昔は青年団の集まりがありますよね。この地区は割と、お祭とかお盆とかいうようなんを青年団が主催してやりよったんですよ。それからの始まりですね。3つ違うんですよね」

     愼さんが、少し照れたように話すと、すかさず美枝さんがフォローする。

     「私の方が上なんですよね」

     「さすがに3つ違うと、中学、高校とかは一緒にならんですよね。こいつはもっと上の集落なんですよ、ちょっと離れているんで。青年団は学校卒業したら入る。ここに居りさえすれば若者は皆入り、私らの頃は25歳まででしたね。地域の青年団活動がないと、なかなか顔を合わせることは……」

     横で愼さんの顔を見つめるように話を聞いていた美枝さん。

     「長かったよ結構、結婚まではね、4年か5年かね」

     「私が青年団抜ける頃には結婚しとったですから。平成元年」

     「もうすぐ29年、すごいね。喧嘩もしますよ。でも、次の日には、ま、どうにか仲直りができるくらいの喧嘩かな」

     「実家に帰ると言っても、直線距離で500メートルぐらいのとこですからね」

     愼さんが卒業したのは、進学校の愛媛県立今治西高校だ。

     「高校出て仕事始めたんは、1人か2人。大学へ行っとったら、まず、ここには居らんだったでしょうね。私らの頃は農業で食べられる時代じゃなかったんですよ。将来的には漠然と、銀行か商社なんて思っとりましたね」

     「人生変わっとったよ」。美枝さんが縁の不思議に改めて驚いている。

    子どもっぽいんですよ。

    もう、純真な……

     愼さんは小学1年生の時に父親を亡くしている。島を離れて下宿をしなければ通えなかった今治西高校の3年間を、母親が一人で支えてくれた。そのことへの感謝の気持ちがあったのかも知れない。愼さんは高校を卒業すると、すぐに大三島へ帰り、自宅に工場を建てて自らが布地裁断の仕事を始めたのだ。

     「たまたま声が掛かって始めることになったんです」と多くは語らないが、将来はホワイトカラーを想像していた若者には大きな決断だったはずだ。

     「高校生時代の考えですけどね、体動かして汗かいてという仕事はまったく頭になかったですからね」

     でも、島に帰って仕事を始め、青年団活動の中で美枝さんと出会う。

     「他に女性も居ったけど……、好みだったんでしょうね。3つ上で、自分としては楽やったんかも分からんですね。今でも、ま、そんな感じもあるけん、頼れるけん」

     「子どもっぽいんですよ。もう、純真な……。私はしんどいよ。子どもが3人いるような感じで」

     2人の言葉の端々に、お互いへの愛情と信頼が伝わってくる。

     髙本夫妻には息子が2人。長男の圭(けい)さん(27)は地元JAに営農指導員として勤め、夫妻と同居している。二男の怜(れい)さん(26)は香川県で勤め始めて2年になる。

    園地は荒らしても人には貸さん

     愼さんは高校を卒業してすぐに始めた布地裁断の仕事を20数年続けたが、情勢の変化もあり、7、8年前から美枝さんと母親がやっていた柑橘農家を専業とするようになった。

     「土地を守りたいという田舎者の考え方がありますね。それに、物を作るというのは面白いことですよね。世話しただけの結果は出てきよるように思えますからね」

     愼さんのレモン畑と小川を挟んだ向かいのみかん畑は、鈴なりの実を付けたまま放置された木が枯れた茅に覆われている。

     「柑橘の値が良かったので、早い人で昭和30年代、島全体に広がったのは昭和40年代になってですね。今では、園地は当時の半分くらいになっているんじゃないですか。自分が愛情掛けてやってきた園地は荒らしても人には貸さんという人もおりますから。個人でやれるのは限界があります。柑橘は、トラクターがあれば、田植機があれば出来るというものではないので、人手が足らなくなったら、園地を減らして維持するしかないという傾向になりますよね。柑橘の前は田んぼ、その前は除虫菊を作っていたようですよ」

     愼さんのレモン畑の入口に、水田時代の灌漑に使った井戸が大きく口を開けたまま放置されている。時代に翻弄されてきた島の農業を象徴するようだ。

     レモン畑を見下ろす傍らの丘に上ると、瀬戸内海が目に入ってきた。海面が輝いていた。1999年5月に開通した今治市と広島県尾道市を結ぶ「しまなみ海道」で繋がった広島県生口島が目の前だ。

     レモンを切ろうと空を見上げた愼さん、「雲なんかないじゃん。こんな天気は久し振りやわ」と、晴れ晴れした声で美枝さんに呼び掛ける。

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