タイでローヤルゼリーの技術指導
大滝蜂場で住夫さんが、孵化して3日目の幼虫を人工王台に
移虫する
「私はもともと山が趣味なんですよ。冬のロッククライマー。俺は何でこんな辛いことをしてるんだ、死ぬかも知れないし、というような競技が性に合うんでしょうね。鳥取と山梨の国体に2回出場してるんです。その頃、山に登ってから飛び降りる道具が出来たぞという話を聞いて、そのはしりをやっていたんですよ。日本に入ってきたばかりのパラグライダーですね。池田山の頂上でパラグライダー・スクールの校長をしていたんです。インストラクターですよね。そこで妻の裕子と出会うんです。今、ちょうど結婚して30年なんだけどね。蜂屋の子として生まれたけど、養蜂とパラグライダーの2足の草鞋を履いていた訳ですよ。30歳代はローヤルゼリー生産の品質管理を指導するために定期的にタイに行っていました。当時はローヤルゼリーが主体で蜂蜜は訪問販売の会社に卸してました。その頃なんですけど、親父さんと一緒にタイに指導に行ってた時、食事していると食べ物が親父さんの口からボロボロこぼれ始めて……、脳梗塞だったんです。それで治療するつもりで入院したら前立腺ガンが見つかって、タイで手術したんですけど失敗だったんですね。半年後に72歳で亡くなりました。自分が37歳の時です。その頃、アジア養蜂会議という集まりがあって、ネパールで木を植える会が開催されたんです。そこで山田養蜂場の山田社長と出会って、2年間だけ山田養蜂場の仕入れ担当とカスタマーサービスのマニュアル制作をすることになるんです。ローヤルゼリーの会社との関係が上手くいかなくなっていた時期でもあったし、親父さんが亡くなって間もなくだったし、良いタイミングだったと思います」
移虫を終えた人工王台の枠を巣箱に入れて10日後に取り出す
2年間だけ山田養蜂場に勤務した後、住夫さんは亡くなった父親の蜂場を受け継ぎ、数年間は採った蜂蜜のほぼ全量を山田養蜂場に買い取ってもらうことで、生産に集中することができるようになる。「40歳代に生産に集中できたのは良かった」と住夫さんは現在でも、20年前の出会いとタイミングに感謝している。
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