2021年(令和3年9月) 56号

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退職金はほとんど注ぎ込みました

 「新聞広告で『都会でも蜜蜂を飼えます』といって『だれでも飼える日本ミツバチ』(農文協)って本が紹介されていて、えっ本当かなと思って……。子どもの頃の遊びが、アシナガバチの幼虫を釣りの餌にしたり、マルハナバチの尻尾を取って蜜を吸ったりすることでしたから。遊ぶのは自然だけだったんで、魚突きに行ったり山菜採り、キノコ狩りやサワガニを捕りに行ったり。それで、ニホンミツバチの待ち箱を自分で作りたくなったんです。でも、本を読んだだけでは分からなくて、直接、著者の藤原誠太さんへ電話を差し上げたら、NPO法人銀座ミツバチプロジェクトが主催する『養蜂講座を開催するから、その講座を8回受けて蜂飼いになりませんか』とお誘いを受けたんです。藤原さんは、盛岡市の養蜂家で日本ミツバチ協会会長をされていましたね。同じ岩手県の盛岡ということで親しみを感じたのかも知れません。その当時はレスキュー隊員の現役だったんだけど、休暇を取ったりして8回通ったんです。その後も、銀座ミツバチプロジェクトに蜜蜂保護の依頼が来ると、養蜂講座を受けた仲間同士でニホンミツバチを保護したりしていて、その1群を巣鴨の自宅のベランダで飼い始めたんです。東京なんですけど、自宅の庭が広くて近所に迷惑を掛ける心配もなかったので、ベランダで1年くらい飼ったんですが、突然、居なくなっちゃって……。女王蜂が倒れちゃって、更新できなかったんじゃないかと思っているんですけどね。でも、それまでに採蜜を2回して併せて15キロくらい蜂蜜を採りましたよ。家族は、最初は嫌がっていましたが、そのうち刺しもしないし、まあいいかという感じで受け入れてくれましたね」

 「蜂を飼う面白さを知ってから、西洋蜜蜂の養蜂家の仕事を見学に行ったり、お手伝いも結構やっていたんですよ。埼玉にいったり、千葉へ行ったり。今、岩手県との県境近くの秋田県側で養蜂をされている安士章さん(33号に掲載)とも、その頃に出会っているんです。安士さんが千葉に越冬に来ている時に積み込みを手伝いに行ったりしていましたから。でも、養蜂家になる気は全然なかったですね。面白いだけで良かったのですから。その頃、築地の臨港消防署で船に乗っていたんですよ、消防艇。退職の時期を意識する頃になって、定年後、嘱託で残っても5年ですよね。それで、元々、子どもの頃は田舎暮らしなんで自然の中で暮らしたいなと考えたんですけど、農業をやるのは機械を揃えるのも大変だし、実家に田畑の面積が沢山あった訳でもないので、なかなか決心が付かなくて。それで、退職する1年くらい前かな、養蜂をやれば経営が成り立つのかなと考え始めたんです。結局、定年の2年前2015年3月に退職して、自分の故郷の西和賀町で養蜂を始めたんです。何年かは大変でした。自分の退職金はほとんど注ぎ込みましたが、妻の援助も幾らかは受けたので、それは返さないとね……」

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