蜂がバーッと飛んでいる中で生活
内検の前に美穂さんが燻煙器に火を入れる
旧小学校の校舎を改修した集会場の階段に座って、美穂さんと並んで持参した弁当を食べる。父親の孝成さんが亡くなった後、残された600群の蜜蜂を受け継ぐことで子ども達の気持ちは一致したのだが、その時の様子を伺う。
「4人の娘の中で誰がとなった時、一番下の娘(優さん)は、まだ子どもが幼稚園だったんで『協力がなければ無理です。ちょっと考えさせて……』となって、でも、結局、優もやったんですけど……。父がやっていたクレーン会社が叔父に切り替わったんで、二女は今、クレーンに乗ってます。亡くなる1ヶ月くらい前、私と父が遠方に蜂を買いに行った時に『蜂をやるか』と聞かれて、『私は継ぐ気はない』とはっきり言いましたもん。父は『そうか』と言っていましたね。でも、せっかくお父さんの蜂があるので……、右も左も分からない状態だったんですけど、蜂がバーッと飛んでいる中で生活しているようなもんでしたから……」と結局、美穂さんが、父親の友人だった養蜂家や地元の養蜂組合に所属する養蜂家と相談しながら、蜂の世話をすることになった。
チクマ養蜂の蜂場が河川敷にある根尾川の流れ
「でも、とても大変でした。採蜜の時期だったんですけど、灯油だったんかな、蜂が嫌がる何か油ものが体に付いていたんでしょうね。何10匹という蜂が襲ってきて刺されたこともあったりして……。蜂場の仕事を始めてから1年くらい経った頃から、ストレスだったんですかね、仕事モードが抜けなくて、体全体に発疹が出て、眠られないで、手は発疹でぐちゃぐちゃなったことがありましたね。今も、体にちょくちょく支障が出ています。肩に石灰が溜まって病院通いをしていたこともありました。激痛で夜中に眠られないので、座ったままで眠っていると、小さかった子どもがくっ付いてきて眠らせてくれなくて……。今でも蜂屋さんは男手の仕事だなと思っていますけど……。3、4年前に蜂がダニにやられて、体の調子も悪かった時期で、落ち込んでしまって、誰にも会いたくないという時期がありましたね。家族にも会いたくなかったですね。10年やっても分からないことは一杯あるんで、今も組合員の方に教えてもらいながらやっています」
確かに、養蜂の仕事は、女性1人では難しいだろうと想像できる。巣箱1つ持ち上げるだけでも、女性の力では簡単ではない。それを美穂さんは、採蜜時には助っ人を頼むとは言うものの、1人で11年間やっているのだ。美穂さんが飼っている蜜蜂は、現在240群。
「ポリネーション用の貸し出しも要るから、最低限、150群は居ないと回らないんです。トチの採蜜群は、採蜜が終わった途端に割りますからね」
越波集落からチクマ養蜂の工場まで、曲がりくねった山道を軽トラで小一時間、越冬のために平地に移動させる10群の巣箱を積んで運転だ。平地とはいえ、岐阜県の山中である。越冬はできるのだろうかと心配になる。「越冬は何とかなります。巣箱の中にスポンジを入れたり、対策はしますけど」。これまで11年間の経験に裏打ちされた自信が、ちょっとだけ伝わった。
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