2021年(令和3年10月) 57号

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蜂からは教えてくれんのやから

 「養蜂を始めたのは舅なんです。国会議員の秘書や色々な仕事をやる人で、養蜂は、その中の一部。『これは良い仕事や、これを続けていけばいい』と、常々言っていましたね」

 チクマ養蜂(岐阜県本巣市木知原・もとすし こちぼら)の代表を務める筑間幸代(ちくま ゆきよ)さん(74)が、嫁に来た当時を思い出すようにポツリポツリと話し始める。体調が優れないのか、心なしか声に力がない。

 「私が嫁に来た時には、14人家族でしたから。夫がやっていたクレーン会社の事務仕事をしながら、ご飯の準備をするのも大変で、普段、蜂場を手伝うことはありませんでしたね。たまに、(巣箱の)中をなぶって(触れて)、これは女王蜂がおるなと……。それくらいはありましたし、採蜜は手伝いましたよ。ここの舅が言っていました。『穏やかな人には穏やかな蜂が育つ。蜂からは教えてくれんのやからな、蜂を良く観察せないかんよ』。これは今でも覚えていますね」

 1984(昭59)年に蜜蜂を飼い始めた初代の仁一(にいち)さんは亡くなっているため、養蜂を始めた経緯を聞くことはできない。仁一さんの跡を継いだのが、幸代さんの夫で長男の孝成(たかなり)さんだ。養蜂と兼業で運営していたクレーン会社を弟に任せて、養蜂を専業にしたのは1993(平5)年だった。

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