夜は村が輝くようだった
越波村に在る創業者・仁一さんの妻みつさんの実家
現在は誰も暮らしていない
結局この日は、10群の巣箱を平地に移動させることになり、軽トラに積み込んだ。昼ご飯の時間だった。美穂さんが誘ってくれて、折越蜂場を設置する切っ掛けとなった越波村で弁当を食べることになった。谷川沿いの道を越波集落に入ってすぐの対岸に建っている仁一さんの妻だったみつさんの実家も無人ではあるが健在だった。
根尾川河川敷の蜂場で美穂さん
越波村は現在、1軒、人口2人の集落となっている。しかし、旧住民が時折戻って畑の世話をしたり、集落が廃れてしまわないように旧小学校の校舎を改修して集会場にするなどの活動が続いているため、集落に入ると少しも荒れた様子はなく、畑に作物が青々と茂り民家の周辺は整理整頓され、家の戸口から誰かが顔を出しても違和感がないほどだ。
道路脇の掲示板情報によると、集落の菩提寺として住民が守ってきた願養寺は672年建立とあり、1347年前にはすでに寺を擁するほどの集落が存在していたことが分かる。元々の住民は、現在の福井県大野市から移り住んだと伝えられている。集落に電気が点いたのは1948(昭23)年12月8日で、住民の思い出として「その日の夜は村が輝くように明るかった」と言い伝えられ、その日を電気の日として村で長く祝ったそうだ。
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