2022年(令和4年1月) 58号

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蜂が6で蜜が4が理想

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 駐車場で始まった食事会の別の輪では、元小森養蜂場の従業員で現在は独立して養蜂を営んでいる伏見寿晃(ふしみ としあき)さん(64)が、後輩従業員の川北さんや鹿野さん、それに大橋さんを相手に、今年(2021年)6月に亡くなったばかりの先代社長の小森和廣(かずひろ)さん(享年73)の思い出を語っていた。

 「ここの親方は、すごい人やったね。4000群以上あったと思うよ。従業員は6人くらい居ったと思うけど、(蜂蜜を一斗缶に)2000本ぐらい採っていたね。だから気違いですわ。文句の言いようがなかったね。小森ってすごい人でしたね。ここの親方は常識を覆すやり方だったんですよ。蜜を採るか、蜂を作るか。両方やろ。僕らは始めから蜂を作りにいっている。蜂が6で蜜が4が理想、社会貢献が仕事やから。蜂作りは腕がなければできないから。腕を上げなさいと、若い人には言っているんですよ。ここの親方は蜂作りが上手やった。交配用の蜂を作るということは、そういうことなんですよ。太平さんも、蜂作ってますからね。僕ら、仕事は素手でするように教えられてきたから……。刺された瞬間が痛いのは、皆、同じなんですよ。その痛みが長く続くことはないのよ。蜂作りをすると、暇がなくなるからね。仕事好きの人間にとっては、こんな面白い仕事はないね」

 現在の小森養蜂場の従業員たちが、先輩の話に聞き入っている。巣箱の移動を手伝った人たちに食事をご馳走するというだけの場ではなさそうだ。この場で人と人が出会い、それぞれの体験や考えを伝え合うことで新しい繋がりが誕生しているのだ。従業員の川北さんは7年間もシンガポールで仕事をしていた話をしていたが、どんな経緯があって小森養蜂場で働くことになったのか聞きそびれてしまった。

 正午前になると、ぼちぼちと帰宅する人たちも出てきた。大手養蜂会社で働く奥田遼太(おくだ りょうた)さん(21)は、白菜や泥付き人参、カボチャなどを両腕に抱えてお土産に貰って帰るところだ。太平さんたちが蜂と一緒に北海道から運んできた野菜だ。「今夜はカレーです」と、ひと仕事終えた充実感に満ちた顔をしている。結局、最後まで残って話が尽きないのは従業員の3人と伏見さんだけ。食卓や腰掛けが片付けられても地べたに座り込んで更に話が続いている。

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