小学校の時から夏休みは蜜採り
杉林の中に巣箱を並べた丘の上蜂場で、越冬のために蜂を縮める作業を進めていた西垂水栄太さんが手を休めて豪快に笑う
小雨が降り続く静かな午後だった。鹿児島県薩摩半島の突端に近い南九州市知覧町だ。
「(昨年)11月28日の話ですよ。3日間で1mくらい降り積もって『こんな天気ないよ』って、北海道の人たちもびっくりしていましたもんね。巣箱が雪に埋まってしまって……。ぼくの養蜂の親方は祖父になるんですけどね。ああなりたくて頑張るけど、なかなかなんですよ。蜂屋やっていたら、よほど下手くそでなければ食うのに困らないと思うけどな」
昨年12月中旬、豪雪の北海道から巣箱を移動させた蜜蜂群を知覧町で越冬させるため、杉林の中に並ぶ巣箱の内検をしながら作業の内容を説明するのは、はちみつ西垂水養蜂園株式会社の蜂場を仕切っている3代目の西垂水栄太(にしたるみず えいた)さん(27)だ。
「蜂の数に合わせて巣板の枚数を決めて、餌をいっぱいあげて、春に向けての作業ですね。祖父は蜂のためを思って仕事をする人で、仕事が丁寧でしたから……。でも、そうしていると儲からないんだよね。親子3代は難しいなち思いましたよ。親方が祖父と父親と頭に2人居るんだもん。それも意見が違う2人が……。でも、自分が良いなと思う方をやるしかないんですけどね。だから(どっちからも)だいぶ怒られましたよ」
薄暗い蜂場で春に向けての蜂作りが続いていた。栄太さんが内検している巣箱の横で、弟の潤(じゅん)さん(22)が巣板に集っている蜂を払うと、「こっちの前でしなさい」と栄太さんが巣門を指差して注意している。
巣箱に残す巣板の「枚数は直感です。3年か4年やると分かるようになりますね」と栄太さん
「(この蜂群は)去年からずっとこの(巣)箱に入りっぱなしなんで、1年に1回入れ替えてやって、その箱は洗って消毒して防腐剤塗って……、次のために準備しておくんです。蜂の仕事って見栄えはしないんですよ。地味な仕事が出来ていないと、蜂は上手く育ってくれないですよね。北海道で最後の頃にイタドリやソバ、カボチャの蜜が入るので、ソバ以外は搾らないで、そのまま持ち帰って来るんです。それを餌として今、巣箱に入れているんです。だから北海道から帰る時の巣箱は重いんですよ」
越冬のための作業を続けながら栄太さんが、初代であり親方でもある祖父の正(ただし)さん(84)から聞いた昔話をぼつぼつと聞かせてくれた。
「会長(正さん)は農家の四男坊なんで、畑は貰えないので、戦後は食うために近くにナタネの蜂蜜を採りに来ていた養蜂家の弟子になったと聞いています。同じ頃に祖父の兄も養蜂を始めたそうです。その頃は巣箱を北海道へ運ぶ貨車の隙間にテントを張って、そこに寝たと言っていましたよ。この〈丘の上蜂場〉は祖父の代からの蜂場なんです。当時は他にもう1か所しか無かったから……。養蜂はぼくにとって天職でした。でも、同い年の養蜂家がいないですからね、寂しいですよ。特殊な仕事ですからね。(蜂を)可愛がっても刺されるし……。養蜂家は変わった人が多いから会っていて飽きないですもんね」
「小学校の時から夏休みは、北海道で採蜜の手伝いをするのが当たり前でしたから、実際に養蜂を仕事とした時に覚えるのが早かったですよね。早くから親の苦労が知れているのは良かったかなと思うけどね。大学4年生の時やったかな、1回だけ、家出したことがあるんですよ。長崎へ巣箱を運ぶので皆が忙しくしている時に、母から髪型を叱られて、しょうもない理由で『出て行ってやる』って、1週間くらい逃げていましたね。鹿児島市内の友だちの所に居ったんですけど……」
内検のために巣箱の外に払われた蜜蜂が巣箱に戻ろうと巣門に集中する
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