毎日、星空を観て生活は出来ない
2階ベランダに置いた連合巣箱を赤嶺良雄さんが内検していると、下の道路を郵便屋さんのバイクが走る
「子どもの頃から星を見るのが好きだったですね」と、あかみね養蜂の赤嶺良雄(あかみね りょうゆう)さん(69)が、広々とした1階の駐車場兼作業場で語り始めた。2階へ上がる階段下に蜜蜂5群の巣箱が置いてある。良雄さんは、この他に2階のベランダで3群の蜜蜂を飼い、合計8群の蜜蜂で住宅地養蜂を実践している。
沖縄県那覇市市街地の空中を走るゆいレール那覇空港駅を出発して2つ目、小禄(おろく)駅に近い市街地の一角、鉄筋コンクリート造り2階建てが赤嶺さん宅である。
「この土地は元開放地なんですよ。敗戦後接収されて本土復帰(1972年5月)の頃に返ってきたんです。たぶん、空港の予備地として空き地にしていたんじゃないですかね。うちの親父は『この土地は誰にも売らん。戻ってきたら骨を探したい』と言っていて、この土地を私が貰ったんです。私は8人兄弟の6男なんですけど、長男と二男、それに長女が、戦時中は畑になっていたこの土地に芋掘りに行くといって……、艦砲射撃に遭って3人共帰って来なかったんです。親父は『壕に逃げ込んだ筈』と言って、ずいぶん捜したらしいんですけど、見つからなかったんです。小禄駅前にある現在の那覇イオンショッピングセンターの下も当時は病院壕だったんですよね」
良雄さんが、この地に自宅を建てた1992(平成4)年頃は周辺に住宅は3軒だけで、直線で約6㎞離れている首里城が2階のベランダから見えたという。
浄化を促す木炭とレンガを入れた蜜蜂の水飲み場が巣箱の前に作ってあった
「私は(沖縄県が本土に復帰する前だったので)パスポートを持って東京の大学へ行って教育畑を出たんです。専攻は地学を選んで、星空が専門なんですよね。妙な経歴ですけど……。東京学芸大学を卒業した後、埼玉県の中学校で理科の教員を12年間やりました。それから沖縄に戻って定年まで教員をやるんですけど、教員ですから公務員ですよね。管理職の公務員というのは潰しが効かないと言われていましたので……、そうならないようにと気を付けてはいましたね。大学の指導教官から『固定観念があると新しい発見が出来ないから、先生らしくない先生になれ』と教えられました。星が好きだけど、毎日、星空を観て生活は出来ないし、毎日、趣味の自転車に乗っては生活できないし……。考えて考えて、教員を選んだんです。埼玉県の中学校の時でしたけど、夕方見た星が朝にはどう動いたのかを子どもたちに実体験して欲しくて、泊まり込みで星を見る会をやっていました。それを許してくれた当時の管理職には感謝していますね。伸び伸び教えることが出来たというのも、自分の宝かなと思っているんです。実は、養蜂を始めて、はちみつマイスターの制度があることを知って、マイスターの資格を取った後2年間は銀座・はちみつフェスタにボランティアに行って、3年目に間借りするような形で沖縄の蜂蜜を持って初めて出店した時、当時の埼玉の教え子たちが埼玉を離れて30年ほど経っているのに『先生、蜂蜜売ってください』って訪ねて来てくれたんです。嬉しかったですね。教え子からお金取っていいのか、迷いますよね。埼玉と沖縄での教員生活を合わせて37年間。教員最後の勤務は本島の小学校校長だったのですが、その前の3年間は沖縄県最北端の有人島・伊平屋島(いへやじま)の小学校校長だったんです。辞令が出て初めて島を訪ねて宿屋に泊まった時、夜、星を見るんですよね。きれいかったんです。これなら大丈夫、3年間、やっていけると思いましたね。島が5地区に分かれていて、その内の4地区で蜜蜂を飼って、伊平屋島の養蜂4人衆が居ましてね。その内の3人は私が養蜂のやり方を教えたんですけど、味がそれぞれ微妙に違うんです。蜂蜜が島の特産品になればと応援したいなと思っているんですけどね」
庭の隅に植えてある月桃の枯れ葉を燻煙器の燃料にする。「蜂蜜が香ばしくて美味しい」と良雄さん
中学校で理科を教えていた良雄さんは蜜蜂の8の字ダンスを見るためにガラス張りの巣箱を作った
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