2022年(令和4年4月) 61号

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夜明け前、雲海が上空を覆う三次市街地を高谷山山頂付近から望む

比叡尾山城歴代城主の墓地

墓守寺の隣に光源寺家の元家は在った

 街の灯りが少しずつ消えていく夜明け前。高谷山(たかたにやま・491m)の山頂下に設けられている高谷山霧の海展望台から望む三次市の市街地は上空が薄い雲海に覆われていた。空が明るくなるにつれて雲海が厚みを増し、市街地の建物は見えなくなり幻想的な風景が展開し始めた。

 展望台には、この春大学を卒業したばかりという東京からの女性が一人佇んでいた。社会人となる前に愛媛県の友人に会いに行く旅の途中だという。しばらくすると三脚を手にした地元の写真愛好家がやって来た。以前に撮影した雲海の写真を見せてくれて突然の雲海講座が始まる。雲海の出る条件が整いやすい秋から早春の毎週土日曜の朝は、ほとんど撮影に来ているというから熱心だ。

 三次盆地の雲海は川霧といわれる種類の蒸気霧で、盆地で合流する3つの川の水面温度が大気温よりも高く、山からの冷たい空気が水面に流れ込む時に発生するのだそうだ。もちろん発生した蒸気霧が風で飛ばされないことも雲海が発生する要件の1つになっている。

 毅寿さんが「3つの川が合流する盆地なので朝は霧が多くて、その間は蜂の作業が出来るんです」と言っていたのを思い出す。雲海は、養蜂家にとっても有り難い気象現象なのだ。

毅寿さんが小学生の頃に遠足で来ていた岩尾寺

 毅寿さんと出会った時から光源寺という苗字の謂れを知りたいと思っていた。「うちの先祖は比叡尾山城(ひえいびやまじょう)城主の墓守寺の隣に元家は在った」と聞いて、毅寿さんの案内で比叡尾山城址を訪ねようと、市街地の北外れから急坂の続く山道を上ったが目的の城址に辿り着くことは出来なかった。しかし、途中で思い掛けず「比叡尾山城歴代城主の墓地」という小さな標示板を発見。車を降りてちょっとした小径を登ると、竹林と木立に囲まれ五輪塔や墓石が立ち並ぶ平地が開けた。倒れた墓石も数多く荒れた印象ではあるが、ここが比叡尾山歴代城主の墓地であることは間違いなさそうだ。この近隣に城主の墓守寺があった筈だが、それを思わせるような場所を見つけることは出来なかった。しかし、歴代城主の墓地を訪ねることができたことで光源寺家の元家に少し近づけたような気がする。

岩尾寺境内から三次市の遠望を懐かしそうに撮影する毅寿さん

 「79歳で亡くなった父の正士が『ここの山の杉を伐り出して巣箱を作った』と言っていましたから、うちで使っていた巣箱のなんぼかは、ここの杉だった筈です」

 毅寿さんが、ふっと思い出したように父親の言葉を教えてくれた。

 歴代城主の墓地から急なカーブが続く杉林の中の山道を下ると、突然目の前が開けて岩尾寺の境内に出た。「何十年ぶりだろう。小学校の遠足は、ここに来ていたんですよ」と、毅寿さんが懐かしそうに声を出す。しばらく境内を散策していた毅寿さんが、境内外れの崖縁から望むことができる三次市の市街地をスマホで写真に収めようとしている。

 里に下りると梅の花が満開を迎えていた。毅寿さんは大きな夢を実現するために、これから秋口まで働き詰めの日々を送ることだろう。

三次市の里では梅が満開

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